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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
3/48

初陣2

    ◇


「親分、親分! 遊女が刀を振り回して暴れてらぁ!」 


 すっかり寝入っていた初老の岡っ引きの吉兵衛きちべえは、使いの小僧の叫ぶ声と戸板をたたく音にたたき起こされた。

 ――やれやれ、また心中騒ぎか。

 吉兵衛はようやく暖まりだしたせんべい布団からのっそりと這い出ると、不機嫌そうに顔をしかめたまま寝間着を脱いで着替え、枕元に置いてある十手を握った。


 最近は馴染みの客と来世での逢瀬を約束して心中する遊女が後を絶たない。流行りと言ってもいいぐらいだ。

 徳川家が関ケ原で勝利していくさがない世になったというのに、色恋沙汰ごときで命を粗末にする若者たちの心情は戦国の世を駆け抜けてきた吉兵衛には理解できない。


「命を粗末にしやがって」

 吉兵衛が舌打ちをする間も、小僧はせわしなく戸板を叩いている。

くなや!」

 戸板を開けた吉兵衛は使いの小僧をにらみつけた。しかし、小僧は吉兵衛の顔をいちべつもせずに店に向かって走り出した。

 その背を追い、吉兵衛も慌てて駆け出す。江戸の夜に舞い始めた初雪が吉兵衛の額に当たっては消えていく。

 

 五町(約五百五十メートル)も走ると小僧がひときわ立派な門構えの前で動きを止めた。

「今夜は桔梗屋か……」

 吉兵衛がため息交じりに見つめた玄関先では、顔なじみの主人が無様に腰を抜かしていた。


「どうしたい。今さら心中騒ぎに臆することもねえだろうに」

「あっ、吉兵衛の親分……陽炎かげろうの奴が……」

 主人は震える指を屋内へと向けた。


 陽炎は桔梗屋の看板遊女だ。

 太夫として世間に顔が売れおり、心中騒ぎでこれまでに何度か桔梗屋を検分したことがある吉兵衛は顔を見知っていた。

 陽炎は太夫となる人気を得るだけあって、遊女とは思えぬ気品と知性に満ちた女だ。

「あの陽炎が心中?」

 吉兵衛は驚いた。男のために命を落とすほど愚かな女だとは思えなかった。


「ち、違います、人斬りです!」

 主人は吉兵衛にすがるようにして叫んだ。 

「乱心です! 陽炎の奴、鬼に取り憑かれたかのように突然に暴れ出し、店の男衆や客をめった斬りに。用心棒の浪人衆も……」

「ちっ、そうならそうと、とっとと言いやがれ!」

 吉兵衛は自分の早とちりを棚に上げ、責めるように主人を押しのけると草履のまま屋敷に入り込んだ。


 桔梗屋の中は燦々(さんさん)たる状態だった。廊下や部屋には、ふすまや布団が散乱し、その所々で店の奉公人や客と思わしき男たちが血を流したまま転がっている。

 男たちは丸腰もいれば短刀を持った者もいたが、そのいずれの喉元を一突きされ、絶命していた。大量に出血しているが、誰一人として苦悶の表情はなく、ただただ驚愕きょうがく眼差まなざしだけを残している。


 ――ほう、一刀のもとに切り捨てている。

 吉兵衛は岡っ引きになる前は武士として数多の戦場を渡り歩いてきた。そのため、死体に残る鮮やかな切り口から、刀を振るった者の剣技の凄まじさが分かった。


「女とは思えぬ腕前だ」

 吉兵衛は十手を握り締めると、最近とみに目立ってきた白髪頭を廊下の奥へと用心深く突き出した。

 そして、行灯あんどんが照らす薄暗い屋敷の中を、縁側沿いに奥へ奥へと少しずつ進んでいった。


 行く手に転がる死体の数が十を超えたとき、吉兵衛は三十畳はあろうかという大広間にたどり着いた。縁側からのぞき込むと、天井は吹き抜けになっていて高い。

「ここなら存分に刀を振れるな……」


 大広間には、新たに四つの死体が転がっていた。

 これまでの男たちとは異なるはかま姿。いずれも、手に刀を握り締めたまま袈裟懸けに斬られて絶命している。主人が言っていた用心棒の浪人たちだろうと、吉兵衛は推測した。

 奥座敷まで相手を追い詰めたはいいが、返り討ちにあったようだ。


 そして、浪人が四人がかりで討ち取ろうとした相手が大広間の奥に立っていた。

 吉兵衛から三間(約五・五メートル)向こう側で、行灯の淡い光の中でゆらりとたたずんでいる。

 柳の葉のように細身の女。

 

 陽炎だった。

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