駿府10
勝姫は、重成が使う二つ目の鬼力は「刻を移ろう力」だと推察した。
先ほどまで勝姫と近習五十人が体験したように、過去の合戦に敵を放り込み、殺す力だ。
そして、時間を移動するための条件は、鬼力の発動時にその対象が動くことであると勝姫は予想した。
なぜならば、先ほど近習五十人と共に放り込まれた川中島の戦いでは、時間移動の直前に勝姫は重成を討とうと鬼力「収斂」で動いていたし、近習五十人も霧の中を進む上杉軍を賊と勘違いして追いかけていた。
しかし、行列で動かなかった残る近習たちと、動けなかった老臣、敵と対峙して不動だった十兵衛と助九郎は過去に移動していなかった。
――動きさえしなければ、過去の合戦は夢幻のままに終わるはず。
と勝姫は考えたのだ。
「わらわの読み通りじゃ」
勝姫が満足げに頷いた。
その時、周囲の風雨の勢いが急激に収まってきた。
勝姫が空を見上げると、そこには駿府城を出立した時と同様の澄みきった青空があった。
五町(約五百五十メートル)ほど後方には、駿府城から勝姫をかごに乗せて出発した行列が佇んでいるのが確認できた。その向こう側には、茶屋街と安倍川も見える。
「姫様、あれを」
十兵衛の声を受け、勝姫は視線を前方に戻す。
二十間(約三十六メートル)ほど向こうに、左右の手それぞれに刀を下げた木村重成の姿があった。
重成は脱力したように両手を下げたまま、激しく震えている。
その目線は十兵衛を見据えるわけでもなく、勝姫を警戒するわけでもない。
ただただ当てもなく虚ろに漂っていた。
「貴様ら……」
ようやく勝姫と十兵衛の存在に気付いた重成が、濁った瞳を二人に向けた。
重成は二人と対峙しようと刀を構えようとした。
しかし、体が柳の枝のように揺れ動いて定まらない。
「おのれ……」
体の震えが大きくなったかと思った途端、重成は豪快に吐血した。
まるで末期の病人のようである。先ほどまで十兵衛と互角に渡り合っていた剣士の覇気はすでになかった。
――常人が二つ以上の魔力を使えば太閤秀吉のように気が触れまする。
勝姫は天海の言葉を思い出した。信長の血肉を受け継いでいない重成には、二つの鬼力を扱うことは無理だったのだ。
「この機、逃すべからず」
勝姫は重成を討つべく刀の柄に手をかけた。
重成は勝姫の動きに反応することなく、地面に広がった己の血痕を見つめながら淡々と話し始めた。
「やはり、我には鬼力二つは扱いきれぬか。ならば、鬼力を治め、使役するのは諦めよう。我が命は、生まれた時より秀頼様に捧げている。あの人を、いや、あの人たちを守れるのならば、この命は惜しくない」
重成の声にわずかな力が戻ってきた。
「聞け、鬼力『九天』、『今昔』よ。我の身も心も好きに使うがよい。くれてやる。ただし、秀頼様に仇なす大敵、あの勝姫だけは殺せ!」
重成はそう言い放つと、手にした二刀を己の腹に交差するように突き刺した。
それぞれの刃が重成の胴体を串刺しにする。
途端、重成の首と両腕は筋が切れたように力なくたれ下がった。
しかし、体は倒れない。重成の体は操り人形のように不自然に前後左右に大きく振れ出した。
――二つの鬼力が重成の体を乗っ取ろうとしている。
勝姫と十兵衛は直感的にそう理解した。
破魔の力を持つ刀、それを扱う人の意思という二つのかせが解かれてしまったときの鬼の力の恐ろしさを、鬼力を使役する勝姫と十兵衛は存分に心得ていた。
鬼力を使う鬼憑きは、その力を完全に使役しているわけではない。
あくまでも刀が封じた鬼の力を、刀を通じて使っているに過ぎない。
鬼憑きたちは鬼力を使役しながらも、常にその力の禍々しさをひしひしと感じているのだ。
つまり、刀越しではなく、鬼の力そのものを敵にするのは危険すぎる。
「させるか!」
十兵衛は重成に向かって猛然と駆け出した。
そして、重成の間合いに近づいた途端、その身を跳躍させて満身の力で痣丸を振り下ろす。
しかし、十兵衛の刃は、重成が頭上で交差させた何かによって簡単に受け止められてしまった。
刀を受け止めたもの。それは重成の二本の腕だった。
いや、もはや腕とは呼べなかった。二の腕から先が大きな刃にその姿を変えていた。
「ゴオアァァア!」
重成は、人の声とは思えぬ雄叫びを上げると、その二つの腕の刃を左右に開いた。
すると、十兵衛の体は簡単に弾かれ、鉄砲玉のようは速さで後方へと吹き飛ばされた。
十兵衛の体はごう音とともに勝姫の横を通り抜けると、勝姫の遥か後ろで大地にぶつかってようやく止まった。
「うっ……」
十兵衛は胸に激しい痛みを感じた。
すぐに起き上がることができない。
肋骨の数本をやられてしまったようだ。
「ウゲャアアア……」
奇声を発しながら重成がゆっくりと首を持ち上げた。
その顔を見て、勝姫は息をのんだ。
重成の額の真ん中に大きな一本の角が生えていた。
それだけではない。口は耳元まで裂け、鋭い牙が何本も剥き出しになっている。目には瞳がなく、ただただ深い闇が広がっている。
「重成よ、人を捨て、鬼になったか」
勝姫は左手で自分の額の角に触れた。
「そうまでして、お前は豊臣家のために戦おうというのだな」
勝姫は小さな自分の角を握り締めながら、先ほど重成の鬼力によって垣間見た豪雨の中を突き進む若武者たちの一群に思いを馳せた。
目も開けられぬ雨と風の中を勇猛果敢に突き進む武者たち。そして、永楽通宝の銭が描かれた黄色の旗印。あの戦いは織田信長が今川義元を奇襲で討ち取った桶狭間の戦いに違いなかった。
馬上の若き将は織田信長その人であったのだろう。
幼い頃より鬼の権化として生きる宿命を追った大伯父の顔を初めて見て、勝姫は大きな驚きを得ていた。
若い信長は、己の天下布武の宿業をまるで楽しんでいるかのようだった。
信長は四十八体の鬼が巣くう我が身を呪っていたのではない。
むしろ、その力を最大限に利用して己の野望を果たさんとしているかのように勝姫は感じた。
鬼に我が身を利用されるのではなく、こちらが利用してやる気概が必要なのだと信長に教わったような気がした。
「重成よ、お主の言う通りじゃ。わらわは徳川家のために戦っているのではない。己のために戦っている。じゃがな、その理由は母の愛ではない。天下太平のためじゃ。わらわは心から天下太平を願っている」
勝姫は吹っ切れたように角から手を離すと、童子切安綱を両手で構えた。
「さあ来い、化け物! 同じ化け物が相手じゃ!」
「グルッアアア!」
重成は身をかがめたかと思うと、勝姫に向かって一気に跳躍した。




