駿府7
勝姫を抱えていた若い近習二人は、この霧を好機と捉えた。
霧に紛れてしまえば、追っ手が勝姫を見つけ出すことはできないだろうと判断した。
二人は森の中で勝姫が身を隠せる大木を見つけると、その根元に勝姫を腰かけさせた。
「どうやら逃げおおせたようです」
近習の一人がほっとした様子で話した。全身から玉のような汗を噴き出し、肩で息をしている。
「少し休んだ後、さらに山の奥へと向かいましょう」
もう一人の近習が荒い息遣いのまま話した。
霧はますます深くなり、すでに三人は互いの姿以外には周囲を視認できぬほどになった。
「逃げる前に、お主たちに聞いておきたいことがある」
童子切安綱を鞘に収めて座り込んでいた勝姫は、二人に向かって青白い顔を上げた。
「お主らの名は何と申す?」
若い近習二人が勝姫の前であらためてかしこまり、深々と一礼した。
「申し遅れました。拙者、丸本伊助と申します」
「拙者は本藤兵庫と申します」
「伊助に兵庫か」
二人は十代後半に見えた。そして、この二人を間近にして勝姫は十兵衛と助九郎のことを想った。
離れ離れになってまだ一刻ほどしか経っていないはずなのに、もう数日も会っていないような気がする。
――鬼憑きと対峙した二人は無事でいるだろうか。
勝姫は急に心配になってきた。
「元の場所に戻らなければならぬ」
そうつぶやきながら、勝姫は目の前にいるこの伊助と兵庫の二人は必ず生かして駿府に返そうと決意した。
それが死んでいった近習四十八人へのせめてもの罪滅ぼしになる。
勝姫が立ち上がろうとすると、伊助と兵庫が慌てて手を差し伸べて支えようとした。
「大丈夫じゃ。もう一人で歩ける。お主らのおかげで休めた」
勝姫は差し出された手を握らずに立ち上がると、二人に向かってほほ笑んだ。
二人は嬉しそうに笑みを返した。
一閃。
銀色の輝きが、近習二人の体を真っ直ぐに横切った。
その瞬間、あどけない笑みを残したまま、伊助と兵庫の胴体が真二つに割れた。
壮大に血しぶきを上げながら、四つの肉片が地面に崩れ落ちる。
勝姫の顔に二人の血が飛び散った。
勝姫は声を失った。
先ほど伊助と兵庫がいた場所に、血のりがついた刀を持った木村重成が立っていた。
――霧に紛れた奇襲。
この喫緊の事態を勝姫の脳は正常に判断し、体も自然と反応した。
その右手はとっさに童子切安綱の柄を握っていた。
だが、
「お前のせいで人がまた死んだ」
という重成の冷たい声を聞いた途端、勝姫の動きは止まってしまう。
「お前が刀を振るえば振るうほどに、多くの家臣や民がこうして死んでいくのだ」
勝姫は右手を柄にかけたまま動かない。いや、動けない。
「すべてお前のせいだ。お前が私欲を満たすために鬼力を欲している報いだ」
「違う!」
勝姫が必死に頭を振った。
「わらわが鬼の力を求めるのは天下太平のためじゃ」
「違う。お前は母親の愛に飢えているだけだ。弟よりも徳川家の役に立つことを証左することで、失って久しい母親からの愛情を取り戻したいのだ。鬼封刀を集めれば集めるほど母から信頼され、注目してもらえると思った。そうだろう?」
「違う、違う!」
「お前は母親に抱いてもらったことすらない。一度でよいから抱いてほしいと願っている」
「違う!」
「お前が我が身かわいさで鬼の力など欲さなければ、大坂へ向かう旅などに出なければ、死なずにすんだ者がどれだけいると思うのだ。見ろ、駿府で偽の行列など仕立てなければ、少なくともこの若造どもは死なずにすんだ」
重成は足元に転がる伊助と兵庫の死体をぞんざいに踏み付けた。
「わ、わらわのせいではない……」
勝姫の右手が小刻みに震え出した。
「お前は第六天魔王信長の血肉を受け継ぐ化け物だ」
「化け物ではない!」
「では、その額の一物は何だ?」
重成が侮蔑に満ちた視線を勝姫の額に投げかけた。
勝姫はその視線の先を震える右手で確かめてみる。
「な、なんじゃ、これは……?」
勝姫は己の額の左側に硬く尖った棒のような物が一本生えていることに気付いた。
――まるで鬼の角だった。
「お前が体内で飼っている鬼力に体が反応しているのだ。それが化け物の証拠でなくてなんなのだ」
重成の淡々とした声を受け、勝姫の心を恐怖が一気にむしばみ始める。
――鬼力を体に溜め込んだせいだ。
――多くの家臣を死に追いやった報いだ。
――なによりも、こんな化け物を母上が愛してくれるはずない。
「お前は化け物だ。天下太平のために死ぬべきなのは勝姫、貴様だ」
勝姫の震えが全身に及んだ。もう動く気力は残っていなかった。
「死ね」
重成が勝姫の首を狙って横に刀を振るった。
勝姫は己の首に届こうとする刃をしっかりと目に捉えながらも、重成の言う通りにこのまま死んでしまった方が世のためになると思ってしまった。




