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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
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駿府6

 武田、上杉両軍がこれほどの軍勢を持って真正面からぶつかった戦といえば、五十五年前の川中島の戦い以外にはない。

 霧の川中島として知られる両軍にとって最大の激戦。

 上杉軍が濃霧に乗じて身を隠し、武田本陣へと奇襲をかけた戦いだ。

 

 勝姫たちの行列を襲っていたかのように思えた武者たちは、霧の中を武田軍の本陣を目指して移動する上杉軍の一部だったのだ。

 武装した武者たちが行列に割り込んで来たのではない、勝姫たちがいつの間にか上杉軍の真っただ中に放り込まれていたのだ。


「戦が始まる!」

「姫様、お逃げください!」

 近習たちは勝姫を守るべく、この戦場から離脱しようとした。だが、赤と黒の軍勢はあっという間に勝姫たちとの距離を縮めてくる。


「間に合わん」

「姫様を守れ」

「囲め、囲め」

 近習五十人が抜刀し、勝姫を中心にして五重の輪を作った。


指雇しこ!」

 勝姫は童子切安綱を抜きながら叫んだ。

 百人の雑兵を意のままに操る鬼力「指顧」。その力を使って勝姫は襲いかかってくる両軍の兵を操り、少しでも両軍と近習たちの衝突を避けようとした。

 しかし、長槍を突き立てながら勝姫たちに迫る両軍の第一波、上杉軍と武田軍の足軽たちの足は誰も止まらない。


「鬼力が効かない?」

 いや、効かないというよりは、扱えていない。


 勝姫は己の体内にあるはずの四つの鬼力「空隙くうげき」「収斂しゅうれん」「金満きんまん」「指顧」が、今は存在していないことに気付いた。

 なによりも。抜き身にした愛刀から鬼力「暴飲」のむさぼるような貪欲さが感じられない。


 ――鬼力そのものが存在していない。

 勝姫の戸惑いをあざ笑うように、天地を割く咆哮とともに両軍の先陣がついに槍を交えた。勝姫を中心にした近習たちの五重の輪にも無数の槍が突き立てられる。


 その第一撃は、一番外側で輪を作っていた近習たちの体を瞬く間に貫き、一瞬にして十八人の命を奪った。


 間髪を入れずに両軍の第二派である騎馬隊が、近習たちの二番目の輪に突っ込んできた。

 近習のある者は馬上からの一閃によって首が飛んだ。ある者は、武者に付き従う足軽の槍によって討たれた。

 二番目の輪の近習たちの死が終わらぬうちに、上杉、武田両軍の第三波、第四波の攻撃が次々と押し寄せてくる。

 

 勝姫の周囲は、槍と刀が入り交じる乱戦となった。

 赤と黒の鉄、そして肉の壮絶なぶつかり合いによる渦の中では、鎧を着けていない近習たちは強風に吹き散らされる木の葉でしかなかった。


「姫様、鬼力を使ってお逃げください。我らのことは捨てて、姫様だけでも!」

 勝姫のそばにいた近習の一人が勝姫を狙った足軽の槍を刀で弾き返しながら叫んだ。

 眉の太い中年侍だった。この男は近習を束ねる侍大将であり、勝姫が敵との間合いを一瞬にして離す鬼力「空隙」を有していることを知っている。


「先ほどから試しておるが、いずれの鬼力も使えぬ。そもそも、お主らを置いて一人では行けぬ!」

 勝姫は襲いかかってくる敵に向かって童子切安綱を振るった。


 槍をかわし、刀を受け流しつつ、相手の鎧のつなぎ目や首を狙って確実に一撃を入れる。

 勝姫に刃を向けた足軽や騎馬武者たちは、ことごとく一刀で屠られた。

 

 ――大丈夫、斬れる。

 勝姫は血肉が飛び散る戦場で妙な安堵感を覚えていた。

 幼少の頃から柳生、小野の両師範によって鍛えられた剣の腕は、鬼力が使えなくなった今においても勝姫を裏切らなかった。

 

 襲いかかってくる敵に対し、勝姫の体は自然と反応し、刀を振るった。

 一心不乱に童子切安綱を振るう勝姫の強さに引っ張られるように、近習たちも奮戦する。

 しかし、次から次へと新手の兵が現れ、途切れることがない。


 戦端が切られてから早くも半刻(約1時間)が過ぎようとしていた。朝露に濡れた草原が血と屍で埋め尽くされていく。


 刀を振るい続ける勝姫と近習たちの体力は既に限界に達していた。生き残っている近習は十二人。

 勝姫の全身も鉛のように重くなっていた。

 呼吸は乱れ、刀の動きも鈍っている。

 

 体力の限界を勝姫が感じつつあったその時、突如として上杉軍の一角が手薄になった。

 いつの間にか上杉軍の後ろに武田軍の新手の大軍が現れたのだ。

 挟撃されるかっこうになった上杉軍が敗走し始めたのだ。


 勝姫は上杉軍が向かったのと逆の方向に、お椀を伏せたような形の山があるのを見つけた。

「あの山を目指せ、わらわに続け!」

 残る力を振り絞って大声を上げ、童子切安綱の切っ先でその山を指し示した。


「おう!」

 最後の力を振り絞って駆け始めた勝姫に十二人の近習が続く。


 上杉軍の背後を突いた新手の武田追撃隊は、勝姫たちの一群には脇目も振らずに上杉軍へと突進していく。勝姫たちは首尾よく戦場から離れつつあった。


 しかし、勝姫たちに気付いた武田追撃隊の武将がいた。その将の一声を受け、武田軍から三騎の武者と足軽二十人余が跳び出し、勝姫たちを追い始めた。


 この動きに気づいた近習のうち十人が、追っ手を迎え撃つべくその場に立ち止まった。

「ここは我らにお任せを」

「姫様はお逃げください」

 

 近習たちの声に勝姫は慌てて反転し、加勢に加わろうとした。

 が、その両脇をがっしりと二人の近習に抱えられてしまった。

「離せ!」

 勝姫は両脇の二人にそう叫んだ。

 

 しかし、まだ年若いこの近習二人は「離しませぬ」と叫び返すと、どこに残っていたのかと驚くほどの強い力で小さい勝姫を持ち上げると、そのまま前へと走り続けた。


「離せ!」

 勝姫にはこの二人を振りほどく力は残っていなかった。

 それでも叫ばずにはおられなかった。

「離せ!」

 

 武田の追っ手を迎え撃つために居残った近習十人の中には、乱戦の中で常に勝姫のそばで戦っていたあの眉の太い中年武士と細身の初老の武士の姿も見えた。

「あの者たちは姫様を守るために命を捨てる覚悟でございます」

「どうか、その覚悟を無駄になさるな」

 若い近習二人は勝姫にそう声をかけると、一度も後ろを顧みずに走り続けた。


 背後から二人に抱えられた格好になった勝姫には全てが見えた。

 近習十人がことごとく死んだ。


 彼らの死闘の間に、勝姫たち三人は十分に戦場から遠ざかる時間を稼げた。

 勝姫の目には、近習たちの屍はすでに豆粒ほどの大きさにしか見えない。


「すまぬ……」

 勝姫は己を守るために死んだ四十八人の近習たちの名を知らぬ事を恥じた。


 近習たちとの戦いで生き残った武田の武者たちが馬首を勝姫たちの方へ向けたが、すでに遅かった。

 勝姫ら三人はすでに山肌に取りつき、森の中に身を隠していた。

 

 ただ、勝姫たちの周囲には再び濃い霧が湧き出していた。


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