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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
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駿府2

「なんだ、この霧は。何も見えぬではないか」

 馬上の本多正信は眉をひそめた。


 家康の近習300人と共に駿府城を出立し、東海道を進んでいたのだが突如として湧いてきた濃霧に行く手を阻まれてしまった。

 つい先ほどまでは雲一つない冬空の下に安倍川近くの茶屋街が見え始めていたのに、今では目の前を歩く部下たちの後ろ姿が霞んで見えるほどだ。


 視界が悪くなったので、正信の前後にいる近習三百人の行列の速度が急激に落ち始めた。

 それを確認した正信は、天候の悪化よりも行列の中央にいるかごの中の人物の機嫌が悪くなることを恐れた。


 正信は下馬すると、近くのかごの脇に取りつき、かごの中に向かって声を掛けた。

「濃霧で一間(約一・八メートル)先も見えませぬ。行列を止めて、霧が晴れるのを待ってはいかがでしょうか?」


 すると、籠の中から手だけが出てきて、その人さし指が大地を指した。

「承知いたしました」


 深々と頭を下げた正信は、近寄ってきた近習に向かって指示を伝えた。

「霧が薄くなるまで、このまましばし待つ。動くな」


 首肯した近習が控えていた同輩に命令を伝達。彼らは行列全体に命令を伝えるべく、行列の前後へと走り去っていった。

 しばらくすると行列の方々から下知に応じる声が上がり、ぴたりと行列の歩みが止まった。


「お前もしばらく休め」

 正信が愛馬の首に手をかけたその時、行列の前方が突如として騒がしくなった。


 部下たちの怒号が響いてくる。

「止まれ!」

「馬を止めろ!」


 正信は近くにいた若い近習に向かって

「見てまいれ」

 と指示を出した。


「はっ」

 若武者は濃霧を切り裂くように前方へと駆けていく。

 

 正信が若武者の帰りを待つ間も前方からは部下たちの怒号が響き続けている。

 そして、しばしの間で戻ってきた若武者は、正信に驚くべき報告をした。

 

 行列の先頭が正体不明の騎馬の一団とかち合ったというのだ。

 騎馬の一団は、下馬することもなく行列をかき分けながらこちらに向かっているという。


「大御所の行列と知っての狼藉か」

 正信はそう唸ったものの、この濃霧ならば、相手方もこちらが誰の行列か分からぬまま混乱しているとも思えた。


 騎馬の一団は、もしかしたら親藩や普代の大名たちの使いかもしれない。もし、そうならば、狼藉者としてこのまま斬り捨てては後始末が面倒だ。

 正信は再びかごの脇まで進み出て、事の次第を告げた。


 すると、かごから出てきた人さし指が、宙を切るように上下に動いた。

「御意」

 正信は傍らに近寄ってきた近習の瞳をじっとみつめた。

そして、

「斬り捨てよ」

 と命じた。


「はっ」

 命を受けた近習は近くの同輩数人と共に腰の刀を抜いた。


「上意! 上意!」

抜刀した近習たちは、行列の前方を目指して白い霧の中を駆け出していく。その後ろ姿はすぐに霧に隠れ、見えなくなった。


 正信は少しでも戦いの様子を知ろうとじっと耳をそばだてた。だが、予想とは異なり、行列の後ろから騒動の音が入ってきた。


「何者だ!」

「止まれ、止まれ!」

 という部下たちの慌ただしい声が、確かに後ろから聞こえる。

 正信は大いに戸惑った。まったくの新手が行列の後ろに出現したということだろうか。

 

 正信は近くにいた部下の袖を掴んで引き寄せると、十人ほどを連れて後方へ行って狼藉者を討ち取るように伝えた。上意が示された以上、この狼藉に関わった者は一人たりとも討ちもらすわけにはいかない。

 命を受けた近習が同輩たちに声をかけ、霧の中に姿を消す。

 

 その直後、霧の中で再び耳をそばだてる正信はさらに動揺することになった。

 目の前の濃霧の中から、黒い鎧を着込んだ騎馬武者が突如として飛び出してきたのだ。まるでこれから戦を始めようとするかのような重装備だ。

 

 驚きのあまり声もでない正信を尻目に、その騎馬武者は悠然と行列の前方へと駒を進め、霧の中に消えた。

「賊の一騎が前方へ逃げた。追え、討ちもらすな!」

 正信の命を受け、かごの周囲に残っていた近習たちが前方へと駆けていった。

 

 しかし、正信は再び仰天する羽目になる。

 先ほど近習たちが消えていった前方の霧の中から、再び黒い鎧を着込んだ別の騎馬武者がのそりと現れたのだ。


「き、貴様。どこの家中の者だ」

 正信が腰の刀に手をかけたが、黒い鎧の武者は正信など眼中にないといった様子で辺りをきょろきょろと伺いつつ、行列の後方へと馬首を向けた。


 霧の中に消えていこうとするその武者の後ろ姿に、正信は大きく息をのんだ。

 武者の背中には、白地に毘の一字が書かれた旗が確かになびいていた。

 ――上杉の軍。

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