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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
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駿府1

 駿河国駿府

 安倍川のほとり


 駿河国駿府の街は東海道沿いにある。大御所である徳川家康の居城があるため、人と物が集まり大いに栄えている。

 その駿府から東海道を通って上方に向う旅人は、まず安倍川で足止めされるのが常だった。

 

 安倍川には橋がない。

 浅瀬であるために徒歩でも渡れる。というのが橋を架けない御公儀の言い分だった。もちろんこれは立て前にすぎない。本音は、戦の際に上方から駿府や江戸を目指す軍勢を少しでも足止めしたいということだった。

 

 安倍川の流れは穏やかであるが、雨が降れば当然のように増水し、勢いを増す。旅人は、その流れが落ち着くまで、ひどいときには数日も待たされる羽目になった。

 安倍川の渡し近くには、そんな旅人が休める茶屋が軒を連ね、どこも繁盛していた。

 

 そのうちの一軒。東海道をよく見通せる茶屋の軒先に、朝方から一人の若い武士が居座っていた。

 若侍は、きな粉をまぶした名物の餅にも手を付けず、晴天とはいえ真冬の川風が吹き付ける中、半時(約一時間)もまどろみもせずに駿府へと延びる街道を見つめていた。

 

 旅の途中と思われるが、身につけている着物にはしわ一つない。一見して身分の高い武家の若様と分かる出で立ちだ。

 その面構えは細顔に切れ長の目。くっきりとした鼻筋で品がある。遠目からでもその眉目秀麗さが際立っていた。

 

 若侍はどうやら駿府から来る誰かを待っているようである。

「お武家様。どなたかをお待ちなら、先方に使いを出して、催促させましょうか?」

 何杯目かの茶を若侍の茶わんに注ぎながら、茶屋の主人が聞いた。


「気遣い無用じゃ」

 若侍は主人に柔和な笑顔を向けた。


「代金ははずむゆえ、今しばらくここに居させてくれ」

 人を優しく包み込むようなその笑顔に、主人はあっという間に懐柔された。


「へえ、それはもう、お好きなだけ居てくださいまし」

 恐縮して頭を下げる主人に若侍が問うた。

「ところで、この駿府での家康の評判はどうじゃ。名君かそれとも暴君か?」


「へえ、大御所様におかれましては」

 主人が慌てて家康の呼び名を言い直した。この駿府では大御所を家康などと呼び捨てにする者は誰もいない。

「大御所様は我ら下々の暮らしにまで気を配っていただき、駿府の者はみなお慕い申し上げております。それと、差し出がましいことですが、御城下では上様か大御所様とお呼びくださいませ。そうでないと、首が飛びまする……」


「家康でよい」

 若侍は、動揺する主人を見て苦笑した。


 そして、思い出したように餅に手を伸ばし、きな粉をまぶした餅を頰張った。

「おいしいのお」

 若侍は子どものように目を輝かせると満足げにうなずいた。


「東国の食べ物は口に合わぬと思っておったが、これは格別じゃな」

 そう言ってひとしきりその味を褒めると、若侍は再び街道の先に視線を移した。その視線の先には、青空の下に大きな砂煙が舞い上がっていた。

 駿府城下から大勢の人々が列を成して安倍川に近づいているようである。


「来たか」

 若侍はそうつぶやくと、懐から銀貨を取り出して

「釣りはいらぬ」と主人に手渡した。


「このような高い代金はいただけません」

 恐縮した主人は受け取りを拒否した。


「よい。うまい餅であった」

 若侍は強引に主人の手に銀貨を握らせた。

 

 そして、脇に置いてあった大刀二本を腰に差すと、土ぼこりを巻き起こす一群に向かって歩き出した。

「お気をつけて……あれ?」

 主人は、刀を二本も佩刀する珍しい侍の後ろ姿を見送りながら、自分の目を疑った。


 二十間(約十一メートル)ほど向こうを歩いて行く若侍の背中が突如として白いもやにかき消され、見えなくなった。

「霧?」


 先ほどまで好天だったのに、いつの間にか茶屋の周辺には濃い霧が立ちこめている。

「おかしな天気だ」

 主人はいぶかしげにつぶやくと、若侍の使った茶わんと皿を手に慌てて店の奥へと引っ込んだ。


 白く立ちこめる霧は瞬く間に街道の風景を飲み込んでいく。ついには、一間先すら見えなくなってしまった。

「まるで鬼でも出てきそうだ……」

 気味が悪くなった主人は早々に店じまいをすることにした。

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