戸塚5
目を見開き、口を開けた金吾の首が、血しぶきとともに床に転がった。
「親分!」
「てめえ!」
子分たちが途端に激高した。五人の子分が床に置いた小刀をつかむと一斉に浪人に襲いかかった。
それを見た浪人は冷たい笑みを残したまま唇を動かした。
「指顧」
その途端、子分五人の体が唐突に止まった。そして、くるりと身を反転させると、小刀の切っ先を勝姫に向けた。彼らの顔には怒りの形相はなく、無表情だった。
そして、勝姫に向けられた刃はこの五本だけではなかった。
勝姫と十兵衛、助五郎によって打ち倒されたはずの十一人の子分たちが突然に起き上がったのだ。それぞれが手にした小刀を勝姫に向ける。
気を失っていたはずの子分たちの顔は、全員がまだ白目をむいたままだ。明らかに意識がないように見えるだが、彼らは確かに動いている。
まるで操り人形のようだった。
「貴様、鬼憑きか?」
勝姫が険しい表情で浪人に問うた。その視線の先には床に転がった金吾の首がある。
「さあ。どうだろうな」
浪人がケタケタと嘲笑した。
「姫様、分かりましたぞ」
右目の眼帯を取り、痣丸の鬼力「真贋」を発揮した十兵衛が勝姫に報告する。
「こ奴が手にしている刀は太刀『鶴丸国永』。江戸城の宝物庫から奪われた鬼封刀十七本のうちの一本です。宿す鬼力は『指顧』。雑兵百人を意のままに操る力です」
◆◆◆
〈鶴丸国永〉平安時代の作。鎌倉幕府の御家人安達泰盛が所有していた。泰盛の死後、第九代執政北条貞時はこの刀欲しさに泰盛の墓を暴いたといわれる。
◆◆◆
浪人は天下の名刀をぞんざいに左手でぶら下げている。
「ふん。その気味の悪い目を使えば、すべてお見通しという訳か。つまらん能力だなあ……鬼の力ならば、これぐらいはしないとな」
浪人がおもむろに右手を上げた。すると、玄関の引き戸が豪快な音を上げて内側に吹き飛んだ。そこから、鍬や鎌を手にした大勢の農民たちが無言のままぞろぞろと中に入ってきた。
玄関の土間が武装した農民で埋まった。
また次の瞬間、賭場のふすまというふすまが一斉に外側から蹴り倒された。そこには、呆けた表情の町人たちがひしめき合っている。全員が手に包丁やのこぎりを持っていた。
「徳川の姫様よ。そこの片目が言った通りだ。我が『指顧』には兵百人を操る力がある。まあ、お前らのような将たる器の者を操る力はないが、町人や農民ふぜいならばこの通りだ」
浪人が自慢げに顎をしゃくり上げた。
「さっきまでのやくざ者数人じゃあないぞ。今度はきっちり百人が姫様御一行を相手にするぜ。言っておくが、今度は峰打ちなんぞ甘っちょろいことでは倒れんぞ。俺の兵は死なぬ限り戦い続けるからな。さあ、お前たち、やっちまえ」
「うぉおおおおおお」
魔力で操られた百人が一斉に咆哮し、勝姫たちに襲いかかった。
その圧倒的な人の波に飲み込まれ、三人の姿はあっという間に姿は見えなくなった。
「あっけねえ。大軍に兵法なしとは、よく言ったものだ」
浪人は口元を歪ませると、お蘭と向き合った。
「さて、裏切り者よ。我らから身を隠すために、お前が古くからの馴染みの金吾一家を頼ることは分かりきっていた。さあ、大般若長光を返してもらおうか」
「貴様、木村重成殿の手の者か」
お蘭は大般若長光を鞘ごと抱え、壁を背にしたまま険しい目を浪人に向けた。
木村重成は豊臣秀頼の乳母の子で、秀頼の側近中の側近である。
「俺はお前ら姉妹の監視役よ。重成殿は、はなからお前たちを信用していなかったのさ」
浪人はお欄に歩み寄っていく。
「重成殿の目は確かだった訳だ。妹のお前は『金満』の鬼力に目がくらみとんずら。姉の遊女は鬼封刀に気がふれて刃傷騒ぎを起こし、揚げ句の果てには仇敵の孫に成敗された」
「姉様は気などふれてはいない」
「なぜ分かる?」
浪人が歩みを止めた。
「私が奥平松平家から長篠一文字を盗みだし、桔梗屋に届けたとき、姉様は刀を手に、これで父上の仇討ちができると涙した。そんな姉様が、鬼封刀の在りかを聞き出すために遊女に身を落としてまで諜報した姉様が、土壇場で乱心などするはずがない」
お蘭は大般若長光の柄に手をかけた。
「私が金吾一家に身を寄せたのは身を隠すためではない。姉様の無念を晴らす刻を稼ぐためだ。まさか、その時がこんなに早く来るとは。全ては貴様の所為だったのだな!」
大般若長光が抜刀された。白金の光が輝く。
「うけけっけけ」
浪人は平然と高笑いした。
「物分かりの良い女だ。そうとも、この鶴丸国永の鬼力『指顧』で陽炎を操り、遊女屋の男どもを切り捨てさせたのは、この俺様さ」
浪人は鶴丸国永をお蘭に向けた。
「監視役として重成殿から頂いた金で何度も客として通っているうちに情が移っちまってね。重成殿が将軍家から簒奪した鬼封刀十八本の一本を俺に下さったからよ、天下の鶴丸国永を売り払った金で二人で駆け落ちしようと持ち掛けてやったんだがな……」
浪人が自虐的に醜い頬を緩めた。
「あの女、この俺を袖にしやがった。遊女ごときがつけ上がりやがって」
舌打ちが鳴った。
「だから、男共になぶりられながら存分に屈辱を味わって死んでもらおうと思ってね。『指顧』で陽炎を操り、近づいた者を全て切り殺すように命じたのさ」
「下郎、そこになおれ!」
お蘭が大般若長光を浪人に向かって振り下ろした。
が、浪人はその一撃をいとも簡単に鶴丸国永で弾き返した。その切っ先は蛇のようにお蘭の胸元まで伸び、さらしに触れた所で止まった。
お蘭は身動きができない。
浪人はにたにたと笑いながら己の刃を下に動かし、お蘭のさらしの上部を僅かに切り裂いた。
さらしが裂け、張りのある豊かな乳房がこぼれ落ちた。
「剣の腕は姉に劣るようだが、体の具合は陽炎より良さそうじゃあねえか」
浪人は汚い歯を見せて卑しく笑った。
お蘭は辱めを受けてもなお、浪人を突き刺すような瞳の色を変えなかった。
「けっ、もっと顔を歪めろよ。これだから武家の娘は面白くねえ。もう、いいや。あの世で姉と仲良く暮らせ」
浪人は笑いながら、お蘭の胸に刀の切っ先を埋めようとした。
その時、突如として大歓声が賭場に沸き起こった。
「うわああああああああああああああああああああああああああ」
あまりの大音量に賭場全体が揺れた。
驚いた浪人が刀を持つ手を止めた。そして、振り返ったその視線の先に広がる光景に目を疑った。
鬼力「指顧」で操っていたはずの百人が両手を突き上げ、踊るように賭場で跳びはねている。
どの顔も「指顧」で操った証拠の生気のないそれではない。目がらんらんと輝き、必死の形相で他人を押しのけ、何かを掴もうと頭上に手を伸ばし、無様に奇声を上げている。
百人の手の先には無数の黄金が舞っていた。
小判だった。




