戸塚4
「刃傷沙汰だ!」
「巻き込まれるぞ」
先ほどまで勝負に高揚していた客たちが途端に青い顔をし、蜘蛛の子を散らすように賭場から逃げ出していく。
その騒ぎの間に、助九郎が十兵衛の縄を手早く解いて痣丸を手渡した。
「ほざくな! 構わねえ、やっちまいな!」
金吾の命を受けた子分たちが一斉に抜刀した。
「十兵衛、助九郎、こらしめてやりなさい」
勝姫が得意げに左右のお供を見やった。
「やはり、騒ぎになった……」
十兵衛は肩を落としながら痣丸を抜刀。
助九郎は無言で朝倉篭手切を抜き放った。
「ごらぁああああああ」
子分たちは口々に下品な叫び声を上げ、勝姫たちに襲いかかった。
助九郎に切りつけたのは三人だった。
三人に正面から向かい合った助九郎は、朝倉篭手切を上段から一気に振り下ろした。朝倉篭手切の切っ先が相手の小刀に触れた途端、助九郎の剛力によって手下の短刀が吹き飛んでいく。
助九郎は太刀を素早く反転させ、三人の首筋に強烈な一撃を次々と叩き込んだ。子分たちは悲鳴を上げる間もなく床にぶっ倒れた。
「……峰打ち」
助九郎は静かにそう告げた。その耳に、助九郎が幼い頃より聞き慣れた十兵衛の気合いの声が届いた。
「おおおおおりゃあっぁぁぁあ」
十兵衛は襲いかかってくる金吾組の一団に向かって痣丸を振りかざしながら、相手の中に跳び込んだ。
十兵衛の周囲を三人の子分が取り囲む形になった。子分たちの刃が、輪の中心にいる十兵衛に向かって殺到する。
途端、十兵衛はその場で再びひらりと跳び上がった。その跳躍は子分たちの身の丈を越え、十兵衛の体は子分たちの輪の外へとふわりと身を移す。目標を失った子分たちの刃はそれぞれにぶつかり合い、動きが止まった。
十兵衛はその隙を逃さない。
「きえぇぇぇっぇぇ」
雄叫びを上げて痣丸を横なでに一閃した。その刃が通り過ぎると、三人の子分が床に崩れ落ちた。
「峰打ちじゃ。安心いたせ」
着地した十兵衛は満足げにつぶやいた。そして、慌てて勝姫に視線を向けた。己の剣技に酔いしれている場合ではなかった。勝姫を守らなければならない。
が、十兵衛の心配は杞憂だった。
勝姫は抜き身の童子切安綱を肩に担いで仁王立ちしていた。その足元には五人の男たちが倒れていた。
「心配無用じゃ」
勝姫が十兵衛に向かってあごを引いた。
「さすがは姫様」
十兵衛は勝姫の元に駆け寄ると、その左隣に立って正眼に構えた。そして、残る子分たちを睨みつけた。
勝姫の右隣では、助九郎が上段で刀を振り上げて周囲を威嚇する。
「こいつら強い……」
残った子分たち五人は完全に尻込みをした。
「女子供を相手に何て様だ」
その後ろで金吾が怒号を上げるが、子分たちは勝姫らを遠巻きに見るばかりで手と足が出ない。
「もう、この辺でいいでしょう」
勝姫の合図を受けた助五郎が懐から扇子を取り出し、勢い良く金吾一家に向かって突き出した。
そして、人生最大の大音声を上げ始めた。
「……ここにおわす御方をどなたと心得る。畏れ多くも、二代将軍秀忠公が三女、勝姫様にあらせられるぞ」
助五郎は扇子を一振りした。
パラリと扇子が開かれると、黒字の紙に金色で描かれた葵の紋所が仰々しく現れた。将軍秀忠愛用の扇子だった。
金吾一家は思いがけない葵の紋所の出現に動揺した。
目の前の小娘が将軍の三女だというのだから無理はない。
「一堂の者、頭が高い。控えおろう!」
十兵衛が高らかに命じた。
「は、ははああああ」
親分の金吾を含めて一家の者が残らずその場に平伏した。
葵の紋所への畏敬とともに、べらぼうの強さを見せつけたこの三人組への畏怖が金吾一家を自然とひざまずかせた。
「金吾とやら」
「へえ」
勝姫の威厳に満ちた声に、金吾が身を小さくした。
「負けた勝負事に難癖をつけるだけでなく、あろうことか暴力で解決しようとは言語道断!」
「将軍家の姫君様と知っていれば、このようなご無礼を働きはしませんでした。なにとぞお許しを」
金吾は頭を垂れたまま、弱々しく声を上げた。
「あほう。わらわが将軍の娘だからではない、本当に越後屋の娘だとしても、お主らの行いは許されるものではない」
「へえ、おっしゃる通りにございます。この金吾、今後一切は任俠の道から足を洗いまする。そして、何人たりとも傷つけぬことをお天道様と姫君様にお誓い申し上げます」
勝姫は金吾の潔さに少し感心した。
「身分を偽っていたわらわにも非はある。よい、今回のことは不問にいたす。それより、傷ついた子分たちを介抱してやれ」
「はああ。もったいないお言葉。ありがとうございます」
金吾が平伏したまま声を上げると、子分たちもそれに合わせて「ありがとうございます」と唱和した。
「うむ」
勝姫は満足げにうなずくと、部屋の隅で刀を抱いたまま固まっているお蘭に声をかけた。
「さて、お蘭。この半丁賭博はわらわの勝ちじゃ。約束通り、その大般若長光、我が徳川家に渡してもらおうか」
勝姫がお蘭に向かって一歩踏み出したその時、
「うけっけけけけ」
という下卑た高笑いが部屋の隅で巻き起こった。
「葵の紋所一つで場を収めるとは、とんだ茶番だ」
それまで一人黙々と酒を飲んで他人事を決め込んでいた浪人が刀を手に立ち上がっていた。
「そんな扇子一つがなんだというのだ。おい、親分。この俺がその小娘どもをたたっ切ってやってもいいぜ」
月代もない伸び放題の髪を後ろで乱雑に束ね、埃が染み付いた着物姿の浪人が、細い眼をさらに糸のようにして笑った。そして、柄に手をかけると、ためらいもなく抜き放った。
「ご浪人、お待ちを」
金吾が慌てて立ち上がって浪人を止めに入った。
「御公儀に歯向かったとあっては、この金吾だけでなく組の者どもみな、この浮世で生きては行けませぬ」
「ならば、あの世で暮らせ」
浪人がいきなり金吾の首に一刀を浴びせた。
金吾の首が飛んだ。




