戸塚2
賭場の真ん中には、二畳半の大きさの畳に白い布を巻いた「盆ござ」が置いてあった。盆ござは、丁半賭博をする舞台だ。
半丁賭博では、賭け事の親である胴元と、子である客が盆ござを挟んで座る。
そして、胴元のうち「ツボ振り」と呼ばれる役の人物が、小さなツボに二つのサイコロを入れて軽く振り、ツボを伏せたまま盆ござに置く。
客はツボの中のサイコロの出目の和が偶数と思えば「丁」、和が奇数を思えば「半」に金を賭ける。
その後、ツボ振りがツボを上げてサイコロの目を場に示す。予想が当たった客は、予想が外れた客が賭けた金をもらえる仕組みだ。
「失礼」
喜助が客の一人に声をかけ、ふんどし姿のツボ振りの真向かいにある席を空けさせた。
そして、勝姫をその場へと導いた。十兵衛と助九郎は勝姫の後ろに座る。
客の男たちが場違いの小娘の登場にざわめいた。
喜助はいったん場を離れた後、一抱えもある木の札を手に戻ってきた。
大半の賭場では、賭ける金の代わりにその金額に見合ったコマと呼ばれる木札を客に配っている。
喜助が手にしているのコマは十両分。その全てを勝姫が受け取ると、賭場にいる男たちがどよめいた。
場の気分の盛り上がりを逃さず、金吾一家が動き出す。
ツボ振りの隣に座っている進行役の「中盆」が、しゃがれた声を威勢良く張り上げた。
「こちらにおわすのは、江戸のとある大店のお嬢様。身銭に困る境遇ではないが、人には言えぬ事情があって、大金十両を使った今宵限りの大勝負。これを受けぬとあれば男がすたる。さあ、受ける者はいないか? さあ、ハッタ、ハッタ」
「面白い」
「受けて立とう」
「返り討ちだ」
勝姫の背後にいた常連とおぼしき客の三人が立ち上がると、勝姫の隣に座っていた客たちを追い払って、そこに陣取った。
この三人以外に勝負する者がいないことを確認した中盆は、ツボ振りに勝負を始めるように合図を送った。
「ツボ被ります」
ツボ振りが二つのサイコロをツボに入れ、かるく振ってから盆ござに伏せた。
「丁」
勝姫がツボが伏せられるのとほぼ同時にそう告げた。
そして、十両分のコマの束をまとめて盆ござにドンッと置く。
見守る客たちが勝姫の豪快な打ち方に感嘆の声を上げた。
「半」
「半」
「半」
勝姫の勝負を受けて立つ客三人が、それぞれの持ちコマの全てを盆ござに置いた。その額は合わせて十両。半、丁、それぞれに賭けられたコマが同額になった。
「コマ揃いました」
中盆が勝負の成立を宣告する。
「勝負」
ツボ振りがツボを開くと、二つのサイコロの出目はともに一だった。
「ピンゾロの丁」
勝姫の勝ちだ。
「うおおおおおおお」
「嬢ちゃん、すげえぞ」
勝姫の周囲の客たちが喝采を送った。
半に賭けた十両分のコマが中盆によって勝姫の元へと集められた。
「ぬう」
手持ちのコマを使い果たした客三人は渋い顔のまま席を立つ。
「さあ、ハッタ、ハッタ、このお嬢様とさらに勝負するお客人はいないか?」
中盆が声を張り上げるが、二十両を有する勝姫との勝負に挑む客は現れない。勝てば極楽だが、負ければ一生分の借金を背負いかねないからだ。
「さあ、ハッタ、ハッタ、これぞ一か八かの大勝負、勝てば左うちわの気ままな身分、女も酒も好き放題だ。女房子供を質に入れてもハラねえと損ってもんだ。どうだいお客人たち。さあ、ハッタ、ハッタ」
中盆が客の気分を盛り上げようと勢いよく口上を述べる。しかし、勝負を受ける客は現れない。
「何じゃ、つまらんの。そこの親分、どうじゃ、ひと勝負せぬか」
勝姫は中盆の左隣に座る鶯色の羽織を着た初老の男に声を掛けた。
細身の体だが着物の上からも引き締まった筋肉の存在がしっかりと分かる。彫りの深い顔には、刀傷のようなしわが幾本も刻まれている。
金吾一家の親分、金熊の異名で知られる金吾その人であった。
勝姫は賭場に入った時から、そのたたずまいと威厳からこの老人が金吾一家の親分であると見抜いていた。
「客人が胴元を相手に博打を打つのはご法度でございます。勝負事は客人同士でつけるもの。我々のような与太者が堅気の皆さまの相手にするのは仁義に反します」
金吾は、そう言って勝姫の申し出を丁寧に断った。
「これでもか?」
勝姫が右の手の平を真横に突き出した。
後ろに控えていた助九郎が百両の小判の束を懐から出し、勝姫の手中に置いた。紙の帯で一括りにされた金色の塊が薄暗い賭場で輝きだした。
その美しさと迫力に周囲の男たちが息を飲んだ。
「この百両と手持ちのコマを合わせた百二十両を一度に賭けよう」
勝姫の明瞭な一声に場が沸いた。
「いいぞ、嬢ちゃん」
「威勢がいいねえ」
「金熊、この勝負受けろ!」
客たちが盛んに金吾をたきつけた。
しかし、金吾は黙したままだ。
その様子に、賭場で損をしている客たちが、日ごろのうっぷんを晴らすかのように勢いづいて声を上げ続けた。賭場は一気に喧騒に包まれる。
十兵衛は、たまらずに勝姫の袖を引いた。
「いくら何でもやりすぎです。助九郎がお勝ちゃんに手渡した百十両。これは、上様が用意してくださった路銀の全額です。勝負に負ければ我ら一文無しでござる。あの親分が勝負を受ける前に、こちらから勝負を取り下げるべきです」
「お主はしばらく黙っておれ。助九郎」
「……御意」
「ちょ、何をするでござるか!」
十兵衛は助九郎によって後ろ手に縛り上げられ、猿ぐつわをかまされて床に転がされた。
邪魔者がいなくなった勝姫はさらに強気に出た。
「これでも勝負を受けぬと申すか?」
勝姫は百両と二十両分のコマを盆ござに置いた。
そして、
「丁」
と威勢よく告げた。
まだサイコロが振られていないのに百二十両もの金を賭けてしまったのだ。
勝姫のあまりの愚行を目の当たりにし、客たちは息を飲んだ。サイコロが振られる前に丁半を決めてしまうのマズい。ツボ振りが細工をしたらお終いだ。
そして、この賭場の定まりを無視し、任俠を小馬鹿にしたような小娘の酔狂が金吾を怒らせた。ここまでこけにされて黙っていては金熊の名がすたる。
「その勝負、お受けいたしましょう」
金吾が勝姫をにらみつけた。
「おおおおおおおおおっ」
「面白れえぞ!」
損得のない客たちが再び騒ぎ出す。
金吾は勝姫を見据えて口を開いた。
「勝負はお受けいたしやす。ただし、これからツボ振りを変えます。サイが振られる前に丁に賭けたのは、そちら様のご都合。これから新しいツボ振りがサイコロを転がしますが、そちらさんの賭けは丁のままでようございますな」
「よい」
「よおござんした。おい、お蘭を呼んでこい」
金吾が傍らにいる部下にそう声を掛けた。
しばらくすると、男のツボ振りが退き、代わりに若い女のツボ振りが姿を現した。
細面に切れ長の目、薄い唇、切れ味鋭い剃刀のような危うさが顔に漂っている。帯から上の着物を後ろにはだけさせ、胸まで巻いたさらしを露わにしている。さらしの上端では、締め付けられた豊満な胸が深い谷間を刻んでいる。
お欄と呼ばれたその女は、鞘に収めた一振りの刀を持っていた。




