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鬼を食らう姫  作者: 皆城さかえ
13/48

出立5

 翌日昼すぎ

 武蔵国生麦村


 大阪を目指し、江戸城を早朝に徒歩で出立した勝姫と柳生十兵衛、小野助九郎の御一行は、江戸日本橋から五里(二十キロメートル)ほど離れた生麦村の東海道を歩いていた。

 

 早朝から雲一つない澄みきった晴天である。

 凪いだ江戸湾を左に見ながら広い街道を西に進む。勝姫たちの行く先には、真新しい白い冠を被った富士の山が見えた。

 

 一行のこの日の目的地は、東海道沿いにある相模国戸塚宿である。戸塚宿は、江戸を立った旅人の最初の宿泊地として栄えている。早朝に江戸を出立すれば、東海道を歩いてその日の夕方にちょうど到着できる場所だ。

 

 勝姫たちが戸塚を目指した理由は他にもあった。

 

 十兵衛たち書院番が奥平松平家の奉公人たちに聞き込みをした結果、事件発生から姿を消している下女は相模国戸塚一帯を仕切っている任俠の金吾一家と何らかのつながりがあることが分かったのだ。下女にふみを届けていた料理屋の奉公人が白状した。

 

 下女の名はお雪。彼女が身を隠しそうな場所を金吾一家ならば知っているかもしれない。


「戸塚に着いたら直接、金吾一家を訪ね、事の次第を聞こうではないか」

 三人のこの日の目的は、勝姫の鶴の一声でこう決まった。


 松並木の下を歩く三人の着物は、将軍家の姫君と若侍のそれではない。一見して町人にしか見えない。江戸城を出立する前に、勝姫たっての希望で一行は町人の姿に変装したのだ。


 肩で風を切って先頭を歩く勝姫は、絢爛豪華な刺しゅうが施された絹の着物の代わりに、質素な木綿の着物を着ている。着物の色は瑠璃色で帯は若草色。その上に紅梅色の羽織を肩にかけた姿。服装は変わったが、髪形は今まで通りで、腰まで伸びた総髪をその先端で束ねている。

 

 勝姫に付き従う十兵衛と助九郎は、木綿の着物に合羽、股引、手甲、脚絆を着込んでいる。庶民のごく一般的な旅姿である。髷も町人に見えるように結い直した。

 

 町人の格好で腰に刀を差すわけにもいかないので、三人とも刀は刀袋に入れ、肩に担ぐ荷物にくくり付けている。

 

 勝姫は江戸城を出る前からずっとご機嫌だった。

 これまでに、お忍びで江戸市中には出たことは何度もあったが、市外に出るのは初めてなのだ。この冒険に十三歳の胸が高鳴らない方がおかしい。

 

 東海道も品川宿を過ぎると人家はほとんどなくなり、街道沿いには田畑と広大な森が広がり始めた。何もかもが江戸とは違い、勝姫には新しい。

 富士山のすそ野に向かって伸びる街道を歩きながら、勝姫からは自然と鼻歌が漏れた。

 

 一行の行く手に小さな漁村が見えてきた。

「ここは何という地名じゃ」

 勝姫は右後方を歩いている十兵衛に聞いた。

「生麦という名の村でございます」


「変わった名前じゃな」

「秀忠様が御上洛の際のある年、この道が大雨でぬかるんで大きな水たまりができておりました。御一行が困っていると、村の衆が辺りの生麦を刈って道の上に敷き、御一行をお通ししたのです。その村人たちの行為に感謝した上様が名付けられた地名です」

「さすがは父上じゃ。まったくもって感性がないの。生麦など言いにくくてかなわんではないか。へんちくりんな地名を付けられ、後世の者たちも可哀相じゃ」

「その辺は、拙者にはなんとも判断できかねます……」


「助九郎もそう思うであろう?」

 勝姫は左後ろを振り返って聞いた。助九郎は十兵衛と違ってとても背が高いために、自然と見上げる形になる。

 

 助九郎は声を出さずに、無表情のまま頷いた。

「そうであろう! さすがは助九郎じゃ、十兵衛より感性が上じゃ」

 勝姫が満足そうに前を向いた。


「助九郎、お主、これが上様の耳に入ったらどうする。お叱りを受けるだけではすまぬぞ」

 十兵衛が助九郎に忠告するが、助九郎は何も反応しない。


「まったく、昔から滅多に喋らぬ奴だとは思っていたが、旅先でも同じとは。まさか、大坂まで何も喋らぬつもりではないだろうな……」

 十兵衛は自分で言いながら、この寡黙な幼なじみならあり得ないことではないと思い大きくため息をついた。


 冷静沈着、質実剛健、沈黙寡言といった言葉はこの小野助九郎のためにあると言っていい。同世代の中では長身であり、筋肉も引き締まって発達している。武芸者として恵まれた体格である。

 小兵で少しお調子者の十兵衛とは真逆の体軀と性格だが、同じ将軍家指南役の家に生まれた同年代として十兵衛と助九郎は共に過ごす時間が多い。

 幼少時代からの二人の仕事の一つは勝姫の剣術稽古のお相手であった。三人は主従の関係でありながら、同じ剣げきの中で育った幼なじみでもあった。


「あれは漁船か。あんなに小さくても沖合に出られるのじゃな。感心じゃ」

 勝姫が浜辺に上げられている漁船を見つけ楽しそうに声を上げた。そして、気分よさげに鼻歌をまた歌い出した。あきらかに旅を楽しんでいる様子だ。


 一方の十兵衛。鬼封刀を盗んだ大坂方の手練れと命をかけて斬り合う覚悟でお供を決めたこの少年は、のどかな旅の出だしに肩透かしをくらっていた。

 十兵衛から見ると、勝姫には天下を二分する鬼封刀の争奪戦に巻き込まれている緊張感が欠けているように見える。

 鬼封刀の集めることを建前に、単に気ままに物見遊山の諸国行脚がしたかっただけなのでは、と勘ぐりたくなる。そこで、真意を確認しておきたいと思った。


「姫様」

「……」

 だが、勝姫は答えずに前を向いて歩き続ける。

「姫様」

「……」

「姫様!」


 勝姫は歩みを止めて十兵衛に振り返った。先ほどまでの上機嫌から一転し、膨れっ面をしている。

「わらわのことは、お勝ちゃんと呼べと申したはずじゃ!」


 江戸城を出た途端に勝姫が出した最初の命令がこれだった。

「わらわが姫様と呼ばれては、身なりを町人に偽る意味がないであろう。すぐに大坂方の間者に正体が分かってしまうではないか。それに……」

「それに?」

 十兵衛がいぶかしげに首をひねった。

「それに、姫様よりお勝ちゃんの方が可愛いであろう」

 勝姫が嬉しそうにほほ笑んだ。


 十兵衛は地の底から響くようなため息をついた。

「姫様をちゃん付けで呼ぶなど、上様に知られれば、切腹どころかお家断絶でござる」

「お勝ちゃんと呼ばねば、わらわが直々に切腹を申し付けるぞ、江戸柳生家も断絶じゃ」


「そ、それはあまりにご無体」

「命令違反は切腹と古来から決まっておる」


「それは、あくまでも戦場においてのこと、それとこれは別でござる」

「命令は命令じゃ!」


「別でござる!」

「よし、切腹な。決まりじゃ」

 勝姫の断言に十兵衛の頬が引きつらせた。

 二人の騒々しい言い合いをよそに助九郎はかん黙を貫いている。


「よ、呼び方の問題はひとまず横に置くでござる」

 劣勢になった十兵衛が必死に話題を変えた。

「拙者が聞きたいのは、大阪までの道中に、どうやって間者たちを見つけ出し、鬼の力を封じた刀を奪い返すのか、ということです」


「算段は特にない」

 勝姫の素っ気ない一言に十兵衛はあほうのように口を開けた。


「では、このままあてもなく歩くだけですか?」

「そうじゃな」


「歩くだけでは刀は奪えませぬ」

「そうかも、しれぬ……しれぬが、鬼封刀の方からわらわに寄ってくるような気がするのじゃ。 だから案ずるな!」

 勝姫はにべもなかった。


 しかし、この無計画さに十兵衛は久々に頭にきた。

「そうやって姫様は幼少の頃から思いついたままに行動してばかりでござる。それによって、拙者と助九郎がどれだけ迷惑をこうむったか!」

 十兵衛が珍しく吠えた。徹夜続きで心身ともに衰弱しているせいか無礼とは分かっていても止められない。


「何じゃ、何の事じゃ! わらわがお主らに迷惑をかけたことなどあるか」

 勝姫はムキになって反論する。


「ありまする!」

 十兵衛は負けじと声を張り上げた。


「あれは姫様が七つ、我らが十歳であったとき。城内での稽古の後、姫様はふらりと市中に一人で出かけ、あろうことか、当時江戸で評判であった新当流の道場へ道場破りに行かれた。そして、そのまま浪人ども相手に大立ち回りを……」

「ああ、あのときな。あれは、わらわが無傷のままに浪人どもを成敗して、一件落着であったろう」

 勝姫は自慢げに胸を張った。


「忘れておりまする! 浪人どもと戦ったのは姫様だけではございません。拙者と助九郎も姫様を守るために奮戦いたしました。結果、我らはコテンパンにやられ、しばらく刀も持てぬ具合でござった」

「それは、お主らが弱いから……」


「まだ、ございます!」

「なんじゃ!」


「あれは姫様が八つ、我らが十一歳でありました。江戸城の外堀にすむという大ナマズを見たいと急に駄々をこね、拙者と助九郎に獲ってこいと命じられた。我らは三日三晩も堀の中を泳ぎ、潜り、ようやく大ナマズを捕まえましたのに、姫様は、キモイという一言で大ナマズをすぐに捨てましたな!」

「よく覚えておるな……」


「まだ、まだ、ございますぞ!あれは姫様が九つ、我らが十二歳であった時。姫様が秀忠様の背中に凡庸と書いた紙を貼り、それを我らの所為に……」

 愚痴が止まらない十兵衛の肩を助九郎が軽く叩いた。

 はっとした十兵衛の目の前で勝姫がわなわなと全身を震わせていた。


「わらわは、みなと仲良うしたかっただけじゃ……」

 勝姫はいつの間にか涙声になっていた。


「いや、姫様を責めている訳では決してなく……」

 十兵衛はうろたえた。

 勝姫はいったん泣き出すと、あの一連の行動をしてやらねば泣き止まない。幼なじみの助九郎とはいえ、勝姫と十兵衛のあの秘密は知らない。つまり、この場で、抱きしめて頭をポンポンなどできるはずもない。


「……姫様」

 助九郎がこの日、初めて口を開いた。

 勝姫は涙を懸命にこらえたまま、無言で助九郎を見上げた。


 そんな勝姫に向かい、助九郎が野太い声を発した。

「……お勝ちゃん」


 この一言に勝姫の全身がピクリと動いた。

「今、何と申した?」

「……お勝ちゃん」


「もう一度」

「……お勝ちゃん」


「あはっ!」

 勝姫が途端に破顔した。そして、もう少しで溢れ出そうだった涙が一気に引っ込んだ。


「助九郎、撫で撫でして」

 勝姫はキラキラとした眼差しで助九郎を見上げた。

 助九郎は頷くと、勝姫の頭に右手を置き、くしゃくしゃというふうに無造作に勝姫の頭を撫でた。


 勝姫に泣かれた時の対処法は、十兵衛だけでなく助九郎も心得ていた。というか、それができなければ勝姫のお付きなどやっていられなかったのである。そうとは知らないのは十兵衛だけであった。


「……行こう」 

 助九郎が歩き出すと、すっかり機嫌を直した勝姫が「よし、行こう!」と嬉しそうな声を上げてその後についていった。

 二人は横に並んで歩いて行く。


「あれ? ちょっと……撫で撫でって、拙者と姫様だけの秘め事では?」

 十兵衛は驚きのあまりその場に立ちすくんだ。


「拙者のポンポンとは確かにちょっと違うけど……。助九郎! お前は何で、こういう大切なことを黙っているのだ! これって、すごーく大切な事でござるよ、助九郎!」

 勝姫と助九郎はわめき散らす十兵衛を振り返りもせずに、さっさと歩いて行く。その後ろ姿は、おてんばな妹と面倒見の良い兄のそれであった。


「ちょ、待つでござるよ。この十兵衛もお供しますぞ。助九郎、待てと言っておるだろう。ああ、もう、置いていかないで。お勝ちゃん!」

 十兵衛は泡を食って二人の後を追いかけた。

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