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俺の神様

小学生の頃、俺の神様はいなくなった。

大人はみんな神様だと思っていた。

挨拶をして何かを尋ねれば必ず答えを持っている大人は神様だと思っていた。


しかしそんなことはない。子どもと同じように大人にもわからないことがあり、子どもと同じようにだれかに問いを投げることがあるのだと。

もしかすると子どもがその答えを持っていることだってあるのだと知った。


その日俺の神様達は死に、灰色の世界が始まった。


何を話しても中身のない問答を繰り返す同世代の多くの子ども達に飽き飽きする生活。

先生と話をしても納得できない焦りや不安。自ら考えるが故に持つ不安を解消するために書物を読み漁る日々が始まる。


どうして学校に通うのか

どうして働かなければならないのか

どうして生きなければならないのか

思春期よりほんの少しだけ早い自我の獲得。

最初こそ焦り色んな人や物から答えを得ようとしたが、調べるうちにわかったのは小学生のガキンチョ程度では解決することがない代物だということがわかったくらいだった。


人生という難題。

その答えがわかるのは最後の時だと理解し、絶望した。

こんな不安を抱えながら生きていかなければならないのかと。

いっそのことさっさと死にたいとすら思った。

馬鹿正直にそんな話を先生や親にすれば相談所やカウンセラーの先生の元へ連れていかれるだけということにも気が付かず、なんなら得意げに相談したことさえあった。

そしてそれら死の話題というのは何故かタブー視されるものだと知った。


産まれて、死ぬ。

この句読点1つにとんでもなく長いように感じる人生が詰まっている。

(もしかするととんでもなく短い人もいるのかもしれないが)


初めて明確に生きていこうと決意し世の情勢というものに興味を持った。

今までは自分の体で感じられる範囲でしか世界を知ることはできなかったが新聞やニュースから得られる情報という概念を知り、今まで感じていたのは箱庭のような中で知り得た一コマでしかなかったと気がついた。


本当に世界が灰色になった。


自分が見聞きしたものは既に誰かが知っていて。自分が感じたことなんて、誰もが通る道と知る。

だったら何故俺がいるのかがわからなくなり心が折れそうになった。


考える。

どうして生まれたのか。

ちょうどこれらを考える時期に国語の教科書で「I was born(吉野弘)」を知り、まさにと思ったのを覚えている。


生きている価値があるのか。

そんな馬鹿らしいことを考える毎日。

どこを見ても生きることは素晴らしきことと書かれている。

本当だろうか?どうしてもそんな風には考えられなかった。


情勢のせいもあるだろう、生まれてこの方好景気なんて知らない。

毎年GDPが下がり学力も下がり賃金も下がり、上がったものなんて税金だけ。

人生の豊かさも上がったというけれど、俺としては毎日決まったことをやれば生活できるくらいがちょうどいいと思っていた。


そう、何も決めたくない。

何もしたくない、ただ生きていたい。

けれど社会科で習った義務を守るならばどうしても自分の一部を殺さないといけなかった。


そうして自分を殺し、いわゆる優しくて気の回るいい子に画一化された頃。

急に個性を重視するなんて話が出始めた。

出る杭は打つ生活をさせておいていきなり手のひらが返された。


いままで殺された自分はなんだったのか、本当にうんざりする。


本当の自分はどこにいる。

今の自分が自分だろ。


そう答えが出るのに10秒とかからなかった。

それくらいには成長した。

そうして建前と本音が使い分けれるようになった。


自立のために動き始める。

そんなに裕福でもないので塾に行けるわけでもなく、自動車の免許や学費の足しにするためバイトに勤しんだ。


そうして何かしている時は頭が空っぽになることに気が付き、心地が良かった。

奨学金が借金だと知らずに第一種で借りられるくらいには勉強してバイトまみれの生活が始まった。


建前と本音を意識しなくても使えるようになり、親友はできなくなっていった。

その場その場のインスタントな関係。

昔のように何も考えずに相手を信じることなんてできなくなっている。

言葉を交わしたとしてもそれは本心ではないでしょうと決めつけて、建前だけの関係しか持てなくなった。

好きなことを語る友達を妬んだ事もあった。


信じられるのはお金だけ。

そうして働く。

お金は人生の答えの一つの形なんだと感じた。


張り詰めていく。

余裕がない。

わずかに残った思いやりややりがいの気持ちも会社や他社員に削られていく。

成果、納期、人間関係。

頼れる人はいなくなり自分が頼られる側になっていく。

確かに達成感やゆりがいが積み重なっていくけれど、それ以上にガリガリと削られる量の方が遥かに大きい。

そうして細く薄くなって、ある時不意に割れてしまった。


ふと振り返る時間が与えられた。


もう十分頑張ったんじゃないか。


身を粉にしたところで得られる報酬は増えず責任と負担だけが増えていく。


思いやりややりがい、優しさなんて一方的に使われ利用されるだけということを知った。


助けたところで助けてくれる事なんてなかった。

頑張ったところで認めてくれることはなかった。

それらを口にすれば「やる気がない」「努力不足」「甘えてる」と言われる事請け合いである。


なるほど確かにこれ以上頑張ってやる事もないか。

開き直る。

元職場で自分が担当していた得意先を一つ失ったらしいと後から聞いた。

久々に気味がよかった。


これがかつて見ていた神様かと。

なるほど確かに神様ではない。

自分を保ち生きていく事で精一杯。

そりゃこんな泥臭いものは神様ではないなと身をもって理解した。


そうして行き着いた先は学生の頃に思っていた決められた事を行う仕事だった。

確かにこれは楽だなと思った。

誰かに決められたことを決められた通り実行するだけ。

頭なんていらない、純粋な肉体労働。

とはいえ気を回す余地はどんな仕事でもある。


そうして意識して無視する術を手に入れた。

知りもしない相手のために気を回す必要なんてない。

自分さえ良ければそれでいい。

このご時世本当にそう思う。


色んなものが削げ落ちていった。

残ったものは自分のやりたいこと。


小さな家で、食べていけるだけの無理のない仕事をしてのんびり生きていきたい。


そうして色のある世界が戻ってきた。

目標、夢。

そんな大した事ではなく誰しもが手に入れる普通の事。

本当にやりたいことが出来た。

お金は答えではなく手段ということを知れた。

やっと夢をもてた。

やっと生きていると実感できる気がした。


色んな事をやりたいと思えた。

この気持ちの違いはなんだろう。


どうしていきなりこんなに未来に思いを馳せることになったのか。

こんなに色々考えて結局たどり着いた当たり前のような答えへの入り口。

生きることは素晴らしい。

なるほど、やっとその答えに辿り着けるのだろうか。


当たり前が夢になる。

当たり前が難しいと実感した。

自分らしく生きていく。

とはいえまだまだ取らぬ狸の皮算用。


あの日、私の神様は死んだけれど神様自身は死んではいなかった。

その先があることに気がつけた。


色んな道が見えていると色々難しく考えてしまうけれど時が進めば取れる選択肢は自然と狭くなっていく。

人によってはつまらないやしょーもないのかもしれないけれど、これでいい。これが心地いい。

悩め若人よ。俺は一旦1抜けピー!


色彩豊かな生活の中で今日も一日頑張るぜ!!

みなさんはどんなに人生送っておられますか!!

夢はありますか!!

いちぬけぴー!!!!と言いつつ続いてるらしいです!

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― 新着の感想 ―
[良い点] 挨拶をして何かを尋ねれば必ず答えを持っている大人は神様だという考え方は結構独特な表現だし見方だと思うので、これ元に物語作っても面白いものができるかと思う。 [気になる点] エッセイにした上…
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