心境の変化
『ア・キ……アキだ』
『?』
『ア……キ、アキ』
『ア〜ア、アア』
『アキ』
『アウォ』
秋は自分のことを指差してレイスに対して自分の名前をまず教えようとしていた……あまり進捗はよくなかったが。
それは一般人からしても中々根気のいる作業でありイラつきを覚えて相手を怒鳴ったり当たってしまったりすることもあるほどだったが秋はそんなことは無かった。
そもそも秋は人さえ関わらない作業ならば術式の改造しかり武術の鍛錬しかり地味で過酷な作業だろうがこなす程度には精神力がある。
それにここ1時間ほどのやり取りで進んだことは無かったが収穫はあった。秋としては言葉で伝えた方が分かりやすいと思っておりまた受け取る時も言語化された情報の方が分かりやすいと思っているがレイスからすれば感情で伝えられた方が分かりやすく受け取りやすいのかもしれないということだ。
そう言えばレイスに初めてスキルを使用した時は感情しか伝わってこなかったなと思い直して教え方を変更することにした。レイスは秋の言葉を聞いて意味は不明だが繰り返して欲しい、その言葉を言ってほしいという想いを悟ってよく分からないことを言い返している状況ではあんまり効率がよくないだろうと判断してのことだった。
しかしこれがとても秋には難しかった、そもそも秋は感情を表に出すことが苦手である。そのためどうやって感情を伝えていけばいいのか分からなかった。むしろレイスから心配の感情を送信される始末である。
秋が感情の出し方をレイスに教わりレイスは秋から言葉を教わるというなんとも珍妙なやりとりを数時間重ねたところで秋にも遂に何となくだが感情の表現方法を察することが可能となった。
まずレイスに自分ということを伝えたいという想いを送信するとレイスは秋のことを見てくれる。その後に自分に指をさして
『アキ』
と言うとレイスは
『アキ』
……とそう繰り返した。
何度もそれを繰り返すとレイスも秋の名前だと理解したのか遂には『アキ、アキ、アキ!』と連呼するようにまでになった。
その成果とでもいえる光景を見て秋が感じたのは達成感ではなく感心だった。何しろ感情という情報は万の言葉を尽くしてもなお伝えられないほどの情報量である。それを理解出来るレイスは自分よりも余程高度な存在であり……感情という高密度な情報を一度に伝えられる手段を持っているならば言葉などという手段は不要かと考えた。
ひとまずレイス向けの効率の良い教え方が判明したので日常の動作を表す動詞をいくつか教えた。動詞ならば動作のイメージもしやすくレイスには覚えやすいのではないかと仮定してのことだったが数時間もすれば秋がその動作をする仕草をすると対応する動詞を言えるようになった。
それからも言葉を教えてるとレイスが自身のことを指差して疑問の感情を送信してくる、どうやら自分の名前を聞いているらしい。元から無かったのか、はたまた名前を忘れてしまったのかは秋には判別出来なかったが自分に名前を決めて欲しいということだけは理解できた。
少し悩んだ末に秋はこの奇妙なレイスの名前を決定した。
『リーベ、君の名前はリーベだ』
『? リーベ? リーベ! リーベ!!』
秋は生まれて初めて未知の感覚に襲われていた、今まで散々苛まれてきた気持ち悪さや違和感、ズレから解放されてふと精神が軽くなるような想いになっている。
それからどんどんレイス改めリーベに感情を伝えてから言葉を伝えるという手法を繰り返していき小学校低学年くらいの知識を教えることに成功した。
勿論どれも順調にはいかなかったがリーベが秋に対してどこのどういう部分が分からないということを感情で伝えてくれるのでもっと分かりやすいように噛み砕き、簡略化して伝えればすぐさまリーベが理解してくれるので秋の想定よりも捗った結果だった。
秋は自覚していないだろうがその過程で何故他人はこの程度のことが理解出来ないのだろうと感じていたことがリーベに教えることで疑問が氷解して秋の抱えるズレがやや埋まったことは思わぬ収穫と言えよう。
それから日が差し込むようになるとリーベが
『リーベおなかすいた、これ食べてい〜い?』
そう秋に言葉として伝えてきた。リーベが指したのは幾度もの戦闘を経てズタボロになり朽ち果てるのを待つばかりのポーチだった。
だからといってその価値は計り知れない、その中身は強力なモンスターの遺骸が大量に保管されており国や企業に適切に対応して売却すればとんでもない金額を手にできる。
ポーチ自体もアイテムボックスとは一線を画する性能を保有しており研究価値を持っている。普通ならば拒否するところを秋は
『いいよ、思う存分食べて』
快諾した。秋は所有欲が薄くそもそもあまり物にこだわることが無いということといくら価値があろうとも売却した瞬間発生する面倒事を考慮すると別に食べさせてもいいのではないかと判断した結果だった。
レイスは喜んでポーチに向かいやがてポーチに重なるような位置取りで停滞するようになった。何をしているのか疑問に思って意識を集中させるとポーチの中身、即ちモンスターの骸からナニカがリーベへと流れ込んでいることを知覚した。
さらに意識を集中させると物の存在とでも言うべきものが流れているのだと理解することが出来……秋が今までモンスターを倒した際に流れ込むものと同質であると分かる。
リーベがそれを獲得する度にリーベの存在力が増していき……やがてその食事? は終了してぷは〜と満足げな表情を浮かべてお腹を押さえながらふらふら部屋を漂いだす。リーベ自体があまり強く無いため一度に吸収出来るリソースが限られているためポーチに保存されているリソースは殆ど減っていない。
朝となり秋も外に出て朝食の時間となったためお腹を膨らませてふわふわしているリーベに部屋から出ないようにという想いを伝えて部屋を後にした。
「やけに辛気臭いな? 何が原因だ?」
「おお、永瀬か。何って、昨日の騒ぎで行方不明者多数だったろ? 知り合いが行方不明になったんだ、凹むのも無理はないだろ」
「なるほどな……」
いつも通りに食事を済ませたタイミングでスマホが鳴り響く、昨日の騒ぎが原因で新学期開始まで休校するという旨のメールが配信された。
どうやら暫くの間はフリーの時間がかなり存在するらしい。ならばその間にリーベにもっと自分の持つ知識を教えて勝手な行動をしないようにさせようと思いそそくさと食堂を出て部屋に戻った。
部屋のドアを開けると同時に満面の笑みを浮かべたリーベが秋に向かって飛んで来て頰に口づけするような動作を行い親愛表現をする。
『リーベ、もっとお勉強して……たくさん話せるようになろうか』
『リーベ、アキとはなす?』
『ああ、もっと話そうか』
『アキとはなす、うれしい!!』
『そっか、じゃあまず何から教えようか』
……………
『アキ、これとこれ、何がちがうの?』
『あ〜、これがひらがなでこれがカタカナで、これとこれで同じ読み方なんだけど成り立ちが違って……説明が難しいな』
『アキ〜』
『ちょっと待ってて、必要なことをまとめるから』
………………
『リーベ、今何したの?』
『リモコンを使ったの〜』
『もしかして……実体化した? ……いや、触れることは出来ないな。何をしたの?』
『ん〜、ギュッとしてウワ〜とやった』
『説明が悪かったね、言語抜きでイメージだけ伝えてくれるかな?』
『ハーイ!』
『まさかの無属性魔法の念動力を使ってるのか……これ結構人間が使おうと思ったら変数設定とか開始座標と終点座標の設定とか煩雑な式が必要で難しいはずなんだが』
『にゅ〜?』
『ああいや、何でもない。モンスターは凄いなってことを実感しただけだから……これ将来的に人間が結構頑張らないと本格的に詰むだろうなぁ。後リーベ、これからは文字の学習と並行して実際に物を使った社会常識を学ぼうか?』
『は〜い』
…………
『リーベ? 何をしてるんだ?』
『ん〜、お料理?』
『……塩素系の洗剤と酸性の洗剤を混ぜてもドレッシングにはならないし危険だからやめようか』
『ぶえっ』
『あっかんべ〜してもダメなものはダメ。この前振り回した炭酸飲料に入浴剤と釘入れて大惨事になったこと忘れた? 自宅でお手軽殺傷兵器作るのやめてほしいんだけど』
『?』
『あー、実体が無いから危険とかも分からないのか』
…………
『リーベ、ちょっと実験したいんだけど俺にリーベの使う生命吸収の術式を伝えられる?』
『う〜?』
『……まさか魔法式が伝えられるとは思わなかったな。そうかこうすればいいのか、俺は生命エネルギーを扱うことにあんまり適性が無いみたいで式が入手出来なくて困っていたが……従魔から知識を受け取れば補完できるのか』
『(キラキラ)』
『おっと忘れてた、ありがとうリーベ』
『わーい!』
…………
『敢えて術式を送信するように心がけていたけどまさかリーベが俺の魔法を使えるようになるとは……』
『(えっへん)』
『凄いな、リーベは』
外は行方不明の人間の捜索や壊された街の復興、これを機に更なる権力を得ようとする欲深き者達の暗闘により騒がれていたが秋はそれらの騒ぎを気にすることはなくのんびりとリーベに知識を教えていた。
その過程でリーベから新たな知見を得ることが出来、それによって秋に新たな手札が増えたことは思いがけない収穫であり寄り道も悪くはないなと思った。
そうしてリーベに教え始めてから大凡2ヶ月ほど過ぎた頃、秋の元へ来客があった。
思ったより反響がありましたのでちゃんと三年分を書くことにしました。
ただ現在、ハイファンタジー系の小説を書こうとしているのと単純に忙しい為大分間隔が空くと思いますのでそこは御了承いただけると幸いです。




