噛み合わない
そもそも永瀬秋という人間は生まれながらにして少し変わっている。普通の人間は人の死を目の前で見て正であれ負であれ何かしらの反応をするものだ。
自分の感情によって特に躊躇することなくその身を死線に投げ出すこともいくら後で治癒されるとしても肉体が欠損することを是とする行動は咄嗟に取ることはできない。
全身を業火に包まれながらその苦痛を感じつつも思考を狂わせないことも自身を鍛える最良の方法だとしても肉体が自壊する程の強度のトレーニングはしない。
人間ならば、生物ならば当然のように備えている命を守るための自己防衛機能というべきものが元から秋は薄かった。目的のためならばどこまでも自分という存在を捧げられるのだ。
しかし、それだけならばあまり問題とはいえない。この程度の問題を抱えて生まれたものは他にも多く存在するだろうし生きる上でそこまで致命的な障害とは言い難い。……これだけならば。
その生まれ育った環境と与えられたカードによって秋が生まれつき持っていたこの些細なズレがより深刻に広がってしまった。
秋は生まれたその瞬間から自我とでも言うべきものが存在した、これ自体は珍しいと言えば珍しいがそこまで特殊ということでは無い。赤子の頃から記憶がある者も探せばいなくは無いし場合によってはお腹の中にいる時から自我があるという者もいるくらいである。
問題はその自我によって思考が可能となってしまったこと、それに尽きる。まず初めに秋は両親が悩んでいる様子を見て不快に感じた。親からすれば慣れない育児で戸惑うことは当然かもしれない。そしてそれを受け取る対象である赤子にはそんなことは理解できず、分かったとしても嫌な気を感じて泣くだけである。
秋は泣きはしなかった、両親の反応を見てどのような行動をすれば不快にならずに済むかということを学習したのだ。両親は手間がかからず喜び、秋は不快な感情にならずに済んで落ち着いた。
それからしばらくして秋が大きくなり両親が共働きのために保育園に預けられた。同年代の友達と遊べて秋としても退屈はしなかったが共働きのため迎えに来るのはかなり遅くいつも友達がみんな部屋からいなくなり一人になってからだった。
秋としては寂しかったが両親が不器用なりに秋を愛してくれていることは理解出来たので不満は漏らさなかった。むしろ心配をかけないように笑顔の仮面を被るという技術を身につけた。
しかしそれでもなお寂しかったことには変わらなく……だからといって秋はその不満を両親にぶち撒けるような行動は取らなかった。むしろ自分がどうすればいいかと自分にその原因があると考えて行動するようになった。
まだ秋がサンタという存在を信じていた頃、両親が秋を早く迎えにきてくれますようにとお願いをしたが枕元に流行りのオモチャが置かれていた時も自分がいけなかったのだと考えた。
妹が出来たと言われた時は妹という存在はよく理解できなかったがとにかく何かを自分に求められているということは理解できた。だから秋は望まれる自分を演じた、それは決して楽なことでもなく楽しくも嬉しくもないことだったがそれで両親が喜ぶならそれでもいいかと考えた。
誕生日に両親共に不在で一人でバースデーケーキを食べることになったとしても……やはり秋は不満を漏らすことはなかった。両親が秋のことを気にかけてくれるのは理解でき、たまたま運が悪かったのだということも分かっていたからだ。
運動会やお遊戯会などの行事に両親が仕事で忙しくて顔を出せなかったとしても……秋は変わらず笑顔でい続けた。
両親は秋に申し訳なかったが秋が明るく真っ直ぐに育っていてくれて嬉しく感じていた。……ただしこの時の秋の内面は少しばかり両親の想定とは異なっていた。
秋は自ら行動しても望む結果が得られることは無く、また度重なる不運によって何かを求めるという行為に疲労していた。それ故にこの頃からはそもそも誰かに期待することすら諦め始めていた。
そしてこの秋の思考は同年代の友達と比べてかなり早熟であり……だからこそ秋は同年代の友達の秋と比べてあまりの幼稚な思考が理解できず、自分と同じ生物だという実感すら湧かずむしろ違う生物ではないかと思っていた。
ただあまり彼らに対して素っ気ない態度だと先生から気を使われて面倒なので彼らの行動を模倣してやり過ごすことにしていた。秋は模倣だけには飽き足らず理解できないならば仮に自分がそのアクションを受けたとしてどう思うかと仮定することで彼らの感情を推測することにした。
泣いている人を助けたのは先生が泣いてる人に近づいて対処している行動を見て模倣したことであり……それが優しいと言われたことで秋は人を助ける=優しいと学んだ。
秋のその生来の気質と少々歪みつつある考えにより秋は他人への興味、関心は限りなく薄く、他者を害そうと思うこともなかったし好きになることもなかったが秋の思うがままに行動していると先生や両親から心配されて面倒になるのだと朧げながら理解できたため大人の望む自分を演じることにした。
小学校に上がってテストという存在が出現した。特に秋は思うことは無かったがどうやらこれで高得点を取ると両親が喜ぶということと低い点を取ると心配されるということが分かったため常に高得点を目指すことにした。
同時にサッカーや野球のように身体を激しく動かす遊びが行われるようになり……秋はそこで初めて自分の肉体が他の者より優れていることを知った。しかしだからといってそれを誇示して威張るようなことはしなかったしそのような秋の態度は周囲に好意的に受け取られ顔も頭も性格も良く、運動神経抜群な秋はすぐさま人気者となった。
正直秋としては未だに彼らのことが理解出来なかったがだからといってそれを顔に出すことは無く穏やかに彼らと遊んだ。最早この時の秋にとって他者とは理解を諦めた存在であり、自分という存在に何ら影響を及ぼさない存在だった。
秋が必死に考えて辛いながらも鍛錬を重ね、それでも挫折し、また立ち上がり鍛錬を重ねるという行為に周囲が気付かずに秋を羨望と嫉妬の眼差しで見られるようになっても何故それをしないのかと逆に問うことは無かった。
秋としては上に行きたいのならば努力するのは当たり前の事でありその過程で自分の肉体が傷つくことも当然であると考えていたが……彼らにそこまで求めることは無かった。
そもそも彼らを秋は理解出来なかったのだがこの時秋は、彼らは上に行きたくても、頑張らなければならないとしても努力することを怠る存在であると認識した。その上でやはり自分とは相容れない存在であると。
より秋の理解を彼らが超えるようになったのは小学校の高学年に上がってからだった。秋の親友を名乗っていた者が秋の陰口や悪い噂を流し始めたのだ。そして何故彼がそのような事をしたのか秋は全く理解出来なかった。
客観的に考えれば彼は秋の容姿、性格、学力、運動神経を羨んでの妬みや嫉みが原因だと分かる。しかし秋はそもそも他者への興味、関心が薄いため妬みや嫉みとは無縁で……理解出来なかったのだ。
そのため秋は最初の頃から気付いてはいたが気が触れたのだとして無視した、それに彼が秋がその気になればすぐに終わるような愚かしい行為をするなどと秋の理解の範疇を超えていた。
無視した結果、彼のその行為はエスカレートしていき遂にそれが校内でも噂になるほどにまでに大きくなった。別にそれでも秋は良かったのだが先生や親の耳まで話が届くと面倒だと分かっていたので対処することにした。
いくら秋の悪い噂が流されようと築いてきた関係などがリセットされるわけではなく、また秋は女子からも好かれていたので秋の持つそれらの人脈を駆使して噂の元凶は彼であると校内に知らしめた。その結果秋の噂はすぐさま消え去り代わりに彼の性格の悪さや卑しさが流れるようになった。
それから、彼は非常に見苦しく暴れ、そこから自らに害のある騒ぎが大きくなってから対処すると面倒だということを学んだためそれから秋は騒ぎがすぐさま片付けられるように心がけた。
それからしばらくして秋は女子から告白されることが増えた。秋のした行為で勝手に勘違いして勝手に秋に自らの理想を貼り付けるその行動は秋にとって負担以外の何物でも無かった。
特に分からなかったの寂しいのは嫌だから輪に誘った女子から告白されそれを断ると秋は面食いだと言われるようになったことだ。優しくしなければ何か言われ優しくしても何か言われる不条理は理解出来る気がしなかったためこの頃からは最早他人の目線を気にしなくなった。
この間にも親は授業参観や誕生日に参加しなかったりなどということが発生して秋は悲しかったが最早秋の根元が変わることはないほどその精神は成熟されていたし、妹が自分とは異なり親が誕生日を祝ってくれるなどと恵まれていたとしてもそれに対して何か特に含むことはなかった。
それからも秋と彼らとの努力の姿勢の違いや思想の違いによって摩擦が生じたがこの頃の秋の自我に何一つ影響を与えることは無かった。
未だ子供ではあるが秋は生来の気質と、その育った環境によってその自我は完成されようとしていた。秋は最早誰一人必要としない精神を持つようになったが、だからといって人一人に出来ることには限界がある。
いくら秋がその身に莫大な才能を授かったとしても人という生物が持つ限界を越えることは出来ないはずだった……世界が改編されるまでは。
その結果、秋の出来ることは莫大に増加した。モンスターと戦うにしても授かったスキルによって誰かからの癒しも、誰かからの護りも、誰かからの索敵も不要になった。
その才は最上位職業をすぐさま取得出来る程であり、取得したジョブによって戦闘力においては格段に上昇し……誰かと助け合うことすら不要になった。
完成されつつある自我と完全になりつつある能力によって秋はどんどん人を必要としなくなった。
他人という存在が理解出来なかった秋は彼らが異常なのでは無い、自分が異常なのだともう理解している。しかし……もう秋には自分で自分を変えることの出来ない段階にまで到達してしまった。
「ごめん、皇さん。もらった装備もう壊しちゃった」
「いえ……別に構いませんが……あれはかなり丈夫だった気がするのですが」
「ちょっとあってね」
久々にいつものグループに会い……それを負担に思う自分はやはりズレているのだと秋は思う。
貰った装備たち、ミスリルの指輪、魔法の薬、そして……戸籍。
「佐々木、知らなかったけどいつの間にか防壁が2枚になってるんだな」
「……まあな、外側の壁で囲まれた場所が外壁。内側の壁で囲まれた場所が内壁というように……少し前にそう分類されたばかりだ。知らないのも無理はない」
「……モンスターのせいで不幸な事故が起こることを危惧してか?」
「……ああ」
初めて聞いた時は日本という国がそのような判断するとは信じられなかった。しかし命の代価として与えられた“戸籍”がそれを裏付け……外壁の向こう側の景色を見て考えを変えた。
はやい話がもうすぐ発生するモンスターの大氾濫によってたまたま個人情報を扱うサーバーがダウンしてしまいその結果、大量の戸籍がロストしてしまう不幸な事故が発生する。
迅速な対応によって外壁と内壁の住人の戸籍情報は復旧出来るが残念なことに外壁よりも外側に住む者たちは復旧出来ず……故に日本国民では無いとして守る義務が消え失せる。
残る外壁と内壁にしても壁一枚で挟んだだけにもかかわらず生まれるであろう格差は避けられないだろう。
その時に備えての復旧用の家族全員分の戸籍と内壁に住める権利を与えられたのだ。
「ちょっと最近、治安悪くなったよな? 俺の家族もめちゃくちゃ不安がってるし」
相原のような一般人ですらその変化は肌で感じられるほどであり、事態の深刻さを物語る。
きっとこれからの社会は既存の規則とは全く違うものになる。これからの社会を縛るものは法律や道徳などでは無く金と暴力の可能性が高い。
そこまで思い至ってなおその未来を恐れるのでは無く……むしろこの息苦しい檻が無くなることを喜んでしまう自分は……やはり周囲とは噛み合わないのだと秋は思った。
普通なら不可能なこと、やらないことを出来るからこその主人公であり、出来たからこそ周囲とはズレますし、出来てしまったからこうなりました。
仮に世界改編が起きなかった世界線だと主人公はいい高校に進学していい大学に進学していい企業に就職していい役職に就くなり会社を立ち上げるなりして他者から見て羨むような道筋を辿りました。
その先で誰もが羨む女性と付き合い、結婚して子供も産まれて誰もが思い描く幸せな結婚生活を送れました。
また学校でも会社でもプライベートでも色んな人と友好な人間関係も築けました。なので周囲からの評価も高いです。
死ぬ時も色んな人がその死を悼んで葬式には大勢の人が参列するほどに信頼される程です。
……ただ本人視点だとひたすらに他人を理解出来ず社会に馴染めないままですし、果てには迷惑な感情を向けられた挙句に死ぬまで拘束されて一つも幸せだと感じないままその生涯を終えますが。




