※世界基準
温かい目で読んでください。
そこには何も無かった。黒一色で染められた世界には光は勿論音も存在しない。存在するのは自分だけであり、あとは広大な虚無が広がるばかりだ。故にこの世界は何も変化は起きないし、何も進まない。
だから、この世界にしがみつくことはもしかしたら間違いかもしれない。先に進もうと思うならばこんな世界、早く抜け出して新しい世界に飛び込むべきなのだ。そこには辛いことも嫌なことも理不尽なこともある。でもそれ以上に楽しいこと、嬉しいこと、そして幸せなことが存在するに違いない。
だけど少し、ほんの少しだけ待って欲しい。諸行無常、森羅万象には終わりが有りこの世界も例外では無い。それは変えられない不変の理だからこそ、せめて世界が崩壊する間際までここにいさせて欲しい。
何も無い、けれど安心できる、傷ついた自分を受け入れてくれる優しい世界。ここにずっといたいと思うことは間違いなのだろうか? そんな都合のよい考えなど無視して世界は終焉を迎えようとしている。世界の外側からの攻撃によって暗闇に亀裂が走り崩壊していくなか、俺は……
ブオォォッ!!!!
「うるせえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
着信のあまりの音量に思わず叫んだ、今何時だと思ってんだこっちの都合も考えろや。いや確かに、外でもすぐ電話に出られるようにボリュームを大きく設定したのは俺だしなんならメロディの設定を法螺貝にしたのも俺だけどさ。
スマホのディスプレイに表示されている日時を見ると
『2022年 1月1日 午前 9時40分』
と表示されていて同時に通話してきた不届き者の正体も教えてくれる。新年だぞ、もうちょっと寝かしてくれ。つーか誰だよあけおめならRINEで散々年越しカウントダウンの後やったしそれ関連ならメッセージでやれよ。
『バカ』
このお馬鹿!! あなた一緒にグループ通話でカウントダウンもしたし、なんなら新年のご挨拶もやったでしょ! もしかしてそのこと忘れちゃったのかな? そんなんだから英語のテストでShakeの訳を鮭って解答すんだよ!! 新田先生なんて中3の時期でのこの惨事に悟りを開いたかのような穏やかな顔してたぞ。
記憶力に難点のあるバカに強制的に目覚めさせられた事への怒りと脳外科に行って診てもらって来いという言葉をぶつけるため画面をタップすると
『……はぁ、何だバカこんな時間に電話して来て、モーニングコールは頼んで無いしこの時期に病院は空いてな『永瀬、永瀬ニュース見た⁉︎ いや〜俺はびっくり仰天したね、なにしろ起きて歯を磨いて飯食ってボーッとしてたらいきなりだよ⁉︎ 家族もビックリしてるしさー、んでニュース見たらこの事が放送してるし、これからどうなるのかって不安がってるけと俺的には別に不安はないしとりあえず永瀬と初詣に行こうかなと思ってるんだけどどう? 空いてる?』いぞ……』
?何言ってるんだこいつ、漫画とゲームが好きで好きで脳の容量の大半を注ぎ込んでることは知っていたがとうとう脳がイカれたのか? いや待て、俺は優しい男、人のことを悪く思うことは良くない。例え友人が精神的にやばそうな状態でも見捨てたらダメだよな。世間の目が厳しくなる。見捨てるのは俺は十分頑張ったんですそれでもコイツは一向に改善しなくて……一体どうすればと「友達を助けたくて……でも俺にはどうしようもなくて......」みたいに周囲にアピールしてからでも遅くはないはずだ。取り敢えず、無理でした〜という実績のためカウンセリングでもやってやろう。大丈夫、お前は強い男だ、遠い地でも元気にやっていけるさ。
『何かあったのか?』
『もしかして永瀬ニュースまだ見てない? 早く見たほうがいいぞ! すっげぇ〜面白いことになってるから』
ベットを整えてからスマホを持ってやけに騒がしい外の喧騒を聞きつつ部屋を出て階段を降りると外とは対照的に静かなリビングが見えた。
年末年始のデスマーチで家に帰れていない親父はともかくとして母さんと妹はどこ行ったん?と少し疑問に思っていれば答えは立派な重箱の近くに置かれた紙に書いてあった。母曰く妹とどうやら初詣に行ってるらしく、朝食は重箱にあるお節料理を食べてとのこと。
些細な疑問が氷解したところで山本の言う通りTVをつけると新年らしくバラエティーの特番が流れて……
『2022年午前9時頃、いきなり人体に獣などの特徴を有する部位が発現、体格が変化する現象が発生しました。現在、政府ではこの異常事態に対し専門的なチームを組み原因の解明及び事態の解決を目指すとの事。また国民に対して過度な反応はせず冷静な対応をとって欲しいとのこと。今回の事態について生物学に詳しい専門家からは……』
ぶフぅッッ。思わず吹いたわ、いや言ってることはめちゃくちゃ真面目そうだし表情もキリッとしていて専門家らしき人も誠実に答えている。それはいいよ、ニュース番組だし。でもコスプレはダメでしょ、真面目に原稿読んでる女性キャスターはうさ耳生やしてるし、専門家って紹介された人至っては猫耳プラス猫ヒゲ付けてるし。ふざけた格好でめちゃくちゃ真面目なことされるとシュールで笑うしかないわ。
しかも髪の色も日本人にあるまじきカラフルさだし、いいのこれ? アナウンサーって結構厳格じゃなかったっけと思ったけどこういう芸人さんなのかもしれない。いいと思うよそういう芸風、思わず笑っちゃうし。
何か画面の後ろの方でドタバタとコスプレしたスタッフらしき人たちが見えたし何なら後ろに尻尾らしきものも確認できたけど全力で目を逸らし違うチャンネルに変えるがどの局でもケモ耳や長耳とか色んな種類のコスプレしたアナウンサーが真面目な顔して報道して……待って、さっきの人羽が生えたなかった?視界から入ってくる情報を脳が処理出来ずに思考停止しているとスマホから能天気な声が出てくる。
『ニュース見た? いや〜凄いよな。いきなり体に耳が生えたりするんだぜ、ちなみに俺は犬耳が生えて来たわ。永瀬は?』
マジで? これ本当なの?これだけでお腹いっぱいなんだけど、新年一発目にして一年分の活力使い切った気分なんですけど。つーか山本の野郎、さらっと恐ろしいこと言ったんじゃねぇよ。どーすんだよ、俺にも犬耳とか生えて来てたら。小さい子に「ママ〜あれ何〜」「シッ! 見ちゃいけません」とかやられたら、恥ずかしくて街を歩けないんだが。何なら警官に職質されそう、だって俺が警官なら何食わぬ顔して犬耳生やしてる奴いたら取り敢えず呼び止めるわ。
スマホをソファーに放り投げ、重い足取りで洗面所に向かい鏡を見るとそこには若干寝不足気味かつ顔色が悪いがどこか見覚えのある、具体的に言うと14年程人生を共に生きてきた我が顔が映り込んでいた。そこには寝癖はあるものの非現実感丸出しの耳とか羽も無く大晦日に見た自分と全く変わらない姿だった。
謎の緊張感が解けて歯を磨いて洗顔して一息ついて電気ポッドに水を入れて湯を沸かし、ランチョンマットを机に敷いて重箱を開けて、お節料理を取り出……母上、お節料理ってもっと豪勢なものの筈では? 何故なますとごぼうの煮しめに昆布巻きなどといった地味系おせちしか残っていないのですか。某もエビやローストビーフを食いたかったです。
あいも変わらずTVでは理解ができない内容が放送されていて「ドワーフが……」「……はエルフの」といったフィクションめいたことをファンタジー感丸出しの人が解説しているのが聞こえているが聞きながしつつ沸かしたお湯で昆布茶を淹れてお節料理という名前に反して地味な品物で朝食を終えて食器を洗い一息ついたところでソファーに放り投げたスマホを回収し今まで盛大に独り言を言っていた山本がきり良いところで話を振ってきた。
『……それでよ〜騒いでんのはわかるんだけど暇で暇でよ〜、初詣に行く空気でも無くなったしどうしよっかなって思ったらお前の顔が浮かんでよ、どう? 一緒に行かね?って話だよ』
『行く、11時に神社に集合で』
俺は現実逃避をすることに決めた。こんな馬鹿げた話に付き合ってられるか、オレナニモシラナイ、ハツモウデイク。