牢獄に至る道
「ん……」
よく眠れないまま彼女は朝を迎えた。身支度をし、部屋で朝食をとる。
「……」
静かな朝だ。こうして一人で朝食をとるのは初めてだと、そう思いながら黙々と食材を口に運んでいく。
いつもなら騒々しい朝の食卓を送っていた。がっつく父を、呆れながらも窘める母。たまに顔を出す兄達はしかめ面と苦笑でその様子を見ている。口元を汚す事に長けている弟妹達。アマリアでは手に回らない事をフォローしてくれていたのは、すぐ下の弟だ。食後には姉の淹れた美味しい紅茶で、ようやく落ち着く。
今は離れなければならない家族達の事を思い返しつつも、アマリアは朝食を終えた。
落ち合う時間になったので、アマリアは宿の玄関口へと向かうことにした。すでに中年の運転手が待っていたようなので、気持ち急ぎ目にアマリアは彼の元へ。
「ごきげんよう」
「おはようございます、お嬢さん。よく眠れましたかな?」
「……ええ、おかげさまで」
アマリアは自身の目の隈を化粧でごまかした。たわいもない雑談を交わし、出発の時間となる。
「―さて、ご準備は整ったようですな。では、参りましょうか」
「ええ、よろしくお願い致しますね」
彼も仕事だろうが、お世話になるのは確かだ。アマリアは会釈した。
「……」
「どうかなさいました?」
昨日の陽気さが鳴りを潜めている。調子でも悪いのか、とアマリアは心配する。
「いえいえ、こいつは失礼!どうにも朝は弱いものでしてねぇ」
「そうでしたのね。わたくしもわかります、朝は辛いですよね」
「あはは。はは……」
体調が悪いわけではなさそうだが、それでも男性の様子はどこかおかしかった。
山道を通るだけあって、かなり車体が揺れた。それだけではない。
「……」
都に入るまではあれだけ喋り通していた運転手だったが、山に入ってからは静かだった。仕事に専念しているのかと思い、アマリアも大人しくしていた。馬車内には静寂が訪れていた。
かなり冷えていた。暖房もないのでアマリアは父からのコートを着用することにした。この際車内などと言ってはいられない。そして、外の景色を見る。曇った窓ガラスは触れてみると冷たい。外では雪が降っていた。かなり勢いがあり、吹雪いている。
アマリアは昔、一度だけ雪を見たことがある。
彼との大切な思い出だ。懐かしく思い、顔が綻んだ。もう少しで彼に逢えるはずだ。アマリアはそう信じる事にした。その事によって、彼女の心は少し軽くなった。
「……本当に入学されるんですねぇ」
「……?あ、はい!そうですね、先代の皆様を見習って立派に学んできます!」
ようやく話しかけられたアマリア。随分と長い時間、気まずい沈黙が続いていた。やっと安心できると彼女は思ったが。
「……お可哀そうにねぇ」
「……え?」
相手から返ってきたのは予想だにしない言葉だった。あれだけ編入学を祝福していた人間が言う言葉とは思えない。
「……いえね、お嬢さん。私も心を痛めておりましてね。だって、あなた。『普通のお嬢さん』なんですもの」
あまりにも、と運転手はいった。不可解な言動は続く。
「さすがに良心が痛みましてねぇ。ねえ、お嬢さん。―今すぐ逃げるべきですよ」
「……なにを、おっしゃってるのです?」
その声色は本気だった。悪ふざけでも冗談でもない。アマリアは動揺し始める。それに今更ではないか。
「この状況で何を言っとるんかー、ってねぇ。……それでも、逃げた方がマシでしょうにね」
「何をおっしゃって……」
「―なんて、手遅れですけどね」
外は猛吹雪だ。舗装されている道はあるにしても、この悪天候の中歩けるものか。あれだけの道を引き返せるものか。
「もう、着いてしまいましたからねぇ」
馬車が止まる。目的地に着いた、いや着いてしまったようだ。
運転手が扉を開けてはくれたものの、手を差し伸べることはない。暗に自分でこの地に降り立てと言っているようだ。
「……ありがとうございました。快適な旅でした」
「いえいえ、いいんですよ。それが私の仕事ですから。―長年のね」
元々彼女が望んで学園に来た。今の彼女に逃げ帰るという選択肢などない。たとえそこが―。
挨拶も最低限に、そそくさと運転手は馬車に乗って去っていった。アマリアは取り残される。打ち付けるような強風、吹雪でまともに視界を確保できないが、それでも薄目で確認する。
学園を取り囲むように強固な外壁が囲んでいる。黒鋼で出来た巨大な門が立ちはだかる。特殊な結界により、外部からの侵入を許すことはない。アマリアは漠然と思った、要塞のようであり、そして。そこが―牢獄のようだとも。
馬車の運転手さんパートが一番楽しかった。