終わらなかった一つ星公演
アマリアは制服姿のまま、舞台の上に立っていた。
「……」
いつもならこの時点で誰かさんによる横やりが入っている。だがそれがない。それがアマリアの不安を駆り立てさせる。いや、あの男のことなど気にしてはなるものか、とアマリアは即座に否定した。
今はこの公演を乗り切らなくてはならないのだと。そうアマリアは気を引き締める。
ただでさえ、アマリアは彼のことをよく知らない。まず、自分の立ち位置を決めあぐねいていた。
この公演はこれまでとは勝手が違っていた。通常なら、舞台の風景は現実と遜色がないものである。だが、この舞台はどうだ。ハリボテで出来た木々や建物、川にいたっては水色の布で代用されていた。
ただ、一つ違うものがある。川に架けられた石橋だけが本物だったのだ。
「どういうことなの……」
手や足で確認するように叩くが、崩れる様子はない。何かあった時の為に、アマリアは全速力で駆け抜ける。何事もなく渡り切ったアマリアはほっとする。観客からも笑いが起きる。その様がどこか笑えたのかもしれない。それどころではないアマリアではあったが、結果掴みがよかったと思えばと飲み込む。
石橋を渡りきった彼女を迎えたのはファンファーレだった。
「―ようこそ、『我らが生徒会』へ!」
「どこから……?」
声はする。覚えのある声ではあったが、作ったような声だった。やけに甲高いのだ。その声の主を探さなくてはならない。アマリアは周囲を見渡す。橋を渡った先は整えられた庭園だった。人の姿などない。
「会長!またですよ、また!」
何かがアマリアの足元にいる。ちょこまかとアマリアの周囲を跳ねまわっているのだ。その声は下から聞こえてきた。
「抗議にきたのですかね、会長!」
ダミアンだった。銀縁眼鏡はそのままだ。けれども、姿は小人のようだった。アマリアの膝までもない高さであった。そんな彼が縦横無尽に走り回っていた。
「我々に反逆する、不埒な輩ですよ!会長!」
「あなた……」
どこにもいない会長に話しかけている。声だけなら憤慨している。だが、彼はしまりのない笑顔をしていたのをアマリアは見逃さなかった。
「いつもみたくお願いしますね。会長!」
ダミアンの右手にあるのは金槌だった。左手にあるのは片手斧だ。庭園にある木をなぎ倒しては、叩き込んでいく。そうしてダミアンは『造り上げる』。
『―何をしに来た。我々の手を煩わせる気か』
「!」
きっちりと分けられた髪に、オッドアイを持つ長身の青年。学園の生徒会長であるヘンドリックそのものが現れた。
「……」
アマリアは呆気にとられていた。
「そうそう、その調子でお願いしますよ!ほら、あそこにはバカップル!」
ダミアンが次に造り出したのは学生の男女だ。人目をはばからずいちゃついていた。
『む。学園の風紀を乱す気か。制限をかけさせてもらう。会話は一日一回十分までだ!学生たるもの、男女交際は清く正しくあるべきだろう!』
生徒会長?が命ずると、彼らは固まって動かなくなった。
「はい、次!お、学園の不良共だ。なになに?新月寮の待遇を良くしろ?うーん、会長!」
次は強面の男子生徒を造って、生徒会長?の前に立たせる。彼らはアマリアの寮の先輩達だった。
『むむ。これ以上何を望むというのだ。最低限、学園で暮らす設備は整えられている。成績優秀者には満月寮に変更という選択肢も与えらえる。ならば勝ち取ればよいではないか。知りも努力もしないで、何を主張するというのだ』
生徒会長?に挑んだ彼らだったが、泡を吹いて倒れていった。
「さっすが、会長!会長相手ではイキりなんて無意味ですねぇ!うぷぷ、無様!」
「なんてこと……。先輩方!」
さすがにアマリアも駆け寄ろうとする。顔見知りなのもあり、どうしても彼女は放ってはおけなかった。
「おっ!会長、会長!例の編入生ですよ!色々と問題があるそうじゃないですか、彼女!」
アマリアに目をつけたのか、また生徒会長?を造っては彼女にあてがった。
『……彼女が何だというのだ。極めて趣味の悪い噂の被害者ではないか。本当に気の毒だった』
生徒会長?がアマリアに向けてきたのは、心からの同情だった。この舞台が事実に基づいているのかはわからない。
「んー、人格者!……じゃあ、彼女はお帰り願いましょうかー」
「なんですって?」
ダミアンが造り上げた生徒会長?たちにアマリアは囲まれてしまった。アマリアはそのまま押し出されるように石橋まで後退させられてしまう。生徒会長?たちは連呼している。彼女は被害者だと。
「私は被害者……」
後ずさりしながらもアマリアは考える。自分は何なのか。そして、自分はこの舞台に何をしにきたのか。
「―いいえ!」
アマリアは足を踏ん張らせ、押し留まる。彼女が睨んだのは数多の生徒会長?たち。そして、この劇の主役のダミアンにだ。
「私は抗議にきたの。生徒会による無配慮な制限に辟易しているのよ。だからこうしてやってきた」
―この物語を壊す為に。悪役として舞台に馳せ参じた。
アマリアは主役を見る。
「あなたも大概だわ」
「ええー、僕ですか?」
指し示されたダミアンはにやにやしている。彼には余裕があった。だが。
「あなた、随分と会長の威を借りているのね」
「……は?」
ダミアンのにやつきが止まる。アマリアは続ける。
「私が話をつけにきたのは、あなたよ。ねえ、会長抜きで話しましょうよ」
「ははははは!……はは、お断りでーす」
ダミアンは笑い続けていた。しばらくして笑い止んだと思いきや、彼は舌を出した。
「会長、聞きました!?彼女、被害者面してますけど。我々に反抗する気ですよ!」
『むむむ。私を騙したのか』
「そういうことでーす!」
『それは許しがたい!』
「ですよね、ですよね!」
勢いに乗ったダミアンが、どんどん生徒会長?を量産していく。同情から一転、怒りに満ちた彼らが迫りくる。アマリアは息を呑む。
「何としても彼と話をつけなくては」
生徒会長?たちを越えた先に舞台の主役がいる。ここを何としても突破しなくてはならない。
そんな彼女に呼応するかのように輝いたのは、胸元の指輪だった。いつもなら剣と姿を変えるはずが、今回は違っていた。
「……いいわね」
発現したのは青白く光る手斧だった。アマリアが愛用していた薪割り斧と似ている。手元がひんやりするのが難点だが、実に頑丈であった。
「大したものね。言っていることは御立派。出来栄えも見事なもの。けれど所詮は偽物じゃない!」
生徒会長?一体を勢いつけて叩き割った。アマリアの思った通り、それは綺麗に割れた。そしてそのまま消滅していく。
「ひ、人でなし!かなりリアルじゃないですか!それをこうも迷いもなく……」
ダミアンは引いていた。見た目は生徒会長そのものだ。本物と間違えるほど精巧な造りであると、彼は自負していた。
「でも、紛い物でしょう。……ふっ!」
そう言い捨てながらも、アマリアは次々と紛い物達を破壊していく。
「くっ……」
ならば、とダミアンも対抗するかのように制作を続けていく。
「懲りない人っ!」
アマリアは息切れしてきた。多くのハリボテを壊すのもそうだが、生徒会長?の正論という名の精神攻撃も堪えていた。だが、主役との距離は確実に近づいていた。
「それは貴女もでしょう!……そもそも、何を話をつけるというのですか?僕、何か悪いことしましたか?ただ真面目に活動しているだけですよね?会長の威を借る?何がいけないんですか?」
ダミアンは早口で告げる。口調は早く、そして興奮してきたのか荒くなっていく。
「何も悪くないでしょう!あの人ずるくないですか!?」
「……?」
「生まれも見た目もそう!何でも出来て!名門校の会長にも推薦されて!選ばれ過ぎでしょ!あんな人、チートじゃないですか!」
「……あなたという人は」
「……あ」
アマリアが眼前まで迫ってきていた。ダミアンは勢いよく尻餅をつく。
「ようやく。お話が出来るわね」
「ひっ」
アマリアは彼の頭の上で薪割り斧をちらつかせている。まさか頭を叩き割ったりはしないだろうが。
「く、くそ……」
破壊の限りを尽くしたのは、見下ろしてくる令嬢だった。ダミアンは腰が抜けてしまい、立ち上がる気力もなかった。
「はあ……。それでいて、存外素直な人なんですよ」
ダミアンはうつむいたまま、ぽつりぽつりと話し始める。
「あんなすごい人なのに、僕や他の役員のことにも耳を傾けてくれるんですよ」
「……ええ、そうね」
それはアマリアも思った。堅物でありながらも、人を受け入れてくれる人であるということを。
「納得してはいけないでしょう、アマリア嬢。貴女は反生徒会でしょうに」
「ええ、今の生徒会はどうかと思うわ。でも、優れているものはちゃんと評価しないと」
「……ははは」
目を丸くしたダミアンも、思わず笑ってしまった。
「……ええ、僕とは雲泥の差ですよ。本当に雲の上のような方だ。そんな方が僕に声を掛けてくださったんだ。出自もさえない、学園でも地味である僕なのに。そんな僕を誘ってくださったんだ。―『私は君を評価している』って」
「……」
「……あれだけハイスペックなのに、どこかおかしい人。僕のどこを評価できるというのでしょうか」
アマリアはしばらくの沈黙のあと、薪割り斧を地面に置いた。その行動の意味がダミアンにはわからない。ただ、彼女の次の動きを待つ。
「ご自分のことって、案外わからないものね」
「……アマリア嬢?」
「アマリア嬢は極めて悪い噂の被害者よ。そんな彼女に助け船を出してくれた方がいるの」
「……それは、人として当たり前のことを」
「ええ、そうね。当たり前のこと。そんなあなただから、会長は望んだのではないかしら。あなたに側にいて欲しいと」
「僕を……?」
「ええ、そんなあなただからこそ。務められるのよ」
ダミアンの手からハンマーが落ちた。柔らかな芝生がそれを受け止める。
「僕は……」
「ダミアン様、さあ」
ダミアンからの敵意は感じらない。彼には伝わってくれたのだろうか。アマリアのように救われた人間もいるということも。そのような心配りが出来るからこそ、生徒会長も重宝してくれるのだということも。
「物語を終え……!?」
強い視線をアマリアは察知した。客席の方からだ。フィリーナだった。アマリアを追いかけてきたようだったが、今は仕方なさそうに客席に座っていた。彼女は他の観客達に目を向けたのち、首を振った。
そう、客席。いつもなら騒々しくお行儀が悪い観客達だ。なのに今回はやけに静かだった。最初に笑いが起きただけだった。あとは不気味なまでに静かだった。
「どうして……」
観客達は残念そうな顔をしていた。物語は無事終わったはずなのにだ。ダミアンもきっと―。
「―すみませんね、アマリア嬢」
「ダミアン様……?」
小人のダミアンが手にしていたのは金槌だった。手放したはずではなかったのか。
「もう、やめられないんです。……だって、あの学園の有名人達がですよ?生徒会の前ではされるがままなんですよ!?めっちゃ気分良くないですか!?あの人が僕を誘ってくれた!会長が僕に教えてくれたんだ。……権力にひれ伏す姿はただただ快感だって!」
「ダミアン様!」
考え直すように、そう叫ぶアマリアの声など届かない。
「ああ、生徒会最高!生徒会万歳!!」
大層興奮しながら、ダミアンは金槌で地面を叩き続けていた。地割れが起きて、あアマリアは足を取られてしまう。地面に大きな穴が生じ、アマリアは飲み込まれていく。
嫌な出来事を彷彿させる。劇場に来たばかりの頃。アマリアはうまく振る舞うことが出来ず、こうして地面に飲み込まれ、そして舞台から追い出されていた。観客から受け入れられていなかったからだ。
それだけではない。舞台の幕が下りようとしていた。
これは無事、アマリアが望むがままの結末を迎えられたのか。それは違う。
「ああ……」
ダミアンは狂ったように金槌を振り下ろしている。最悪な結末を迎えてしまったのだ。
「まだよ……」
彼はこのままでは名前も、そして存在すらも消滅してしまうだろうと。そう思ったアマリアは諦めるわけにはいかなかった。沼のように沈められるなか、それでもダミアンに手を伸ばす。そんな彼女を見たダミアンは言い放つ。
「僕、何か悪いことしましたか?悪いこと、しましたか?」
あえて同じ言葉を繰り返した。
「そうじゃない、そうじゃないのよ!」
アマリアは必死だった。彼もおそらく消滅してしまうのだ。そして自分の力が及ばなかったことを悔いる。ただひたすら彼に向けて叫び続ける。
「……アマリア嬢」
もうダミアンの姿は見えない。アマリアは完全に飲み込まれてしまった。
「僕は―」
最後に聞こえたのはダミアンの何かの呟き。だが閉幕のブザーでかき消されてしまった。
結末を迎えられなかった物語。舞台に顔を出すことのなかった、とある少年。アマリアの意識も遠くなっていく―。