月初の市ってなあに?
下校の時間となり、アマリアはいつものように寮へと帰ろうとする。
「……はっ」
ぼうっとしていたからか、そのまま流れで四年生のフロアへと足を運ぼうとした。アマリアは慌てて引き返し、階段を下っていく。
「……」
毎日帰る約束をしているわけでもない。帰寮した時に本日初の顔合わせなのもしょっちゅうだ。アマリアは今日はこのまま一人で帰ろうとした。
「―あれ、会いにいかないの?エディ君のところに行くの、もう習性になっちゃっているのに」
「!」
呆れながらも笑う声が上からした。見上げた先にいたのは、先程話題に上がったばかりの有名人レオンだった。いつの間に近くまで来ていた彼に驚きつつも、アマリアは挨拶をする。レオンも大きく手を振って返した。
「習性になっていたのね。気をつけるわ。そうそう、エディ見たかしら?」
「無意識ってコワいよねー。で、エディ君?ううん、見てない。今日はそのまま登校しないパターンじゃない?」
「それもあるわね。ありがとうレオン様。良いというわけではないけれど、今日ならまだ寮内も寒くはないし」
「ああ、それね」
レオンは階段を下りてくる。そして、ゆったりと階段の手すりにもたれかかった。アマリアと会話を続ける気のようだ。
「こっちも大変だったよ。でもさ、そっちの寮の人達来たじゃん?それがさ、楽しくてさー。男連中は大広間で集まっていたんだけど、ほぼ徹夜で喋ってたんじゃない?」
自分は寝落ちしたから覚えてないと、レオンはけたけた笑う。
「まあ、そうだったの。お世話になったわね。そちらも感謝しなくては」
「あー、いいって。こっちも楽しんだから。……あんまこういう機会ないし?」
新月寮の寮生が、あの満月寮のお世話になる。思った以上に歓迎されていたようだ。
「女子もそうだね。ほら、ご令嬢のあのフィリーナちゃんとか。あそこらへんの人達も、結構同室に招き入れてくれたりしてたし」
フィリーナやロベリアもそうだが、かつてのフィリーナ一派も協力的だったようだ。まだわだかまりはあるようだが、少しずつ関係は修復されていっているようだった。
「そうなの……」
少しずつでも、劇場街の出来事が現実においても影響を与えてきている。アマリアは感慨深く思えてならなかった。
「―アマリア先輩さ」
「あら、ごめんなさいね?」
浸っているところで、レオンから声がかかった。アマリアは彼に意識を向ける。
「ねー、なんでだろうね」
「……?なにが、かしら?」
「なにがって。……何か、変わったよね。フィリーナちゃんたちさ」
「……そうなの、かしら」
先程のクラスでのやりとりとの比ではないくらい、アマリアは返しに惑った。
「……ま、いいや。ごめんねー、急に変なこときいてさ」
が、緊張はすぐに解かれた。レオンがいつものように明るく振る舞ってきたからだ。アマリアも急遽つくった笑顔で返す。
「って、オレ抜けてきたんだった。つい、アマリア先輩見かけたからさ。トモダチ待たせてるから、戻るね」
「そうだったの。ええ、それではごきげんよう」
軽快に走っていくレオンを見送ったあと、アマリアは今度こそ帰ることにした。
「ほんとごめん、アマリアさん!」
寮に帰ってきて早々、アマリアは面を食らった。クロエが手を合わせて第一声で謝ってきたからだ。事態が理解出来ていないアマリアに対し、クロエは慌てて説明する。本当ならば入学した時に説明されるはずだったが、アマリアは異例のケースだった。ばたばたしていたこともあり、そのままなされずにきたのだろう。
「あ、うん。意味わかんないよね。まず、これなんだけど」
クロエから両手で渡されたのは、手に収まるほどの麻袋だった。感触からして、中身は硬貨だった。
「これはね、学園から支給される専用の硬貨です。毎月全寮生に配られるの。まあ、学園の、それも使いどころも限定はされちゃうんだけど。……ほら、ここって浮世離れしているところあるじゃない?それで、通常の感覚も忘れないようにって」
「そうなのですね」
いつしか贈り物の金貨も没収されたが、どのみち学園では使用できなかったようだ。
「……」
アマリアとしては贈り物の方を重きにおいてはいたが。
「……かしこまりました、クロエ先輩。大事に使わせていただきますね。いつもながらご説明も大変有難く存じます」
「えっと、なんでまた堅くなっちゃってるの?」
「あ、いえ……」
家族からの贈り物が没収された忌々しい出来事。アマリアは自身が思った以上に、その事に意識が向いていたようだった。
「ま、いいけど。それで、主な使い道は週末休み開催の市となります。結構色んなお店がくるし、うちの学園の数少ない娯楽だし。一回は行った方が良いと思うよ」
「そうですね。どういったものか、大変興味はありました!」
「そっか。それなら良かった。あ、それと」
アマリアを見上げながら、クロエは提案する。
「うちの商会の手伝いもあるから、そんな長くはなんだけど。良かったら案内する?」
「良いのでしょうか?クロエ先輩もお忙しいのでは?」
「いいの、休憩もかねて私もぶらりとしたいから」
「ふふ、そういうことでしたら。是非」
願ってもない申し出だった。アマリアはもちろんと快諾した。ご機嫌なアマリアを見て、クロエは不思議そうにしている。
「今更だけど、私でいいの?」
「なんと!?」
何をおっしゃるのか、アマリアはクロエに詰め寄る。
「いや、そう食い気味にこられても。そういやって思っただけどね?他に誘われたりしたんじゃない?」
「それは……。そのようなことは……」
クロエからの誘いに条件反射で返事をしたが、アマリアはクラスでのやりとりを思い返す。あれは戯言だったのだろう。そして、その方が自分にとって都合が良いと思っている。気おくれしていたのだ、と彼女は認めた。
「エディ君誘わなくてよかったのかなって」
「んぐっ」
アマリアは変に息を飲み込みそうになった。唐突にエディを、異性を誘うという話題がなされたこともある。それ以前に。このクロエの前で。あのエディを誘うかどうかを話すというのか。
「ああ……」
今日はそういう日なのだろうか。返答し難いことばかりに遭遇してしまう日なのだろうか。アマリアは一人項垂れた。
「それこそエディにとっても、貴重な休日ですから。彼も多くの睡眠を取りたいのと思いますし。それを邪魔立てなどできません」
「アマリアさんがいいならいいけど」
「わ、私はもちろん良いかと!」
傍から見れば過剰な睡眠とはいえ、エディにとっては欠かせないものなのだろう。それを邪魔することはアマリアには出来なかった。
「しかと受け取りました、クロエ先輩。明日大変楽しみにしております……!」
「そ?それなら良かった」
鼻息が荒いアマリアに対し、さらっと流すクロエ。二人に温度差はあれど、アマリアは気にしない。クロエも気にしない。
アマリアは、そうだわと手を叩く。アマリアとしてどうしても気になることだった。
「クロエ先輩、一つお尋ねさせてください。制服でのお出かけとなるわけですが、少々髪をいじるのは学園として問題ないでしょうか。その、せっかくですし」
「え」
クロエが真顔になる。アマリアははっとする。
「失礼しました……!私、張り切り過ぎてしまいましたね。つい、二人のお出かけとなりますので……」
「ううん、そこじゃないの。うん、そこじゃなくて。制服って、そっかぁ……」
クロエは頭に額をあてると、そのまま地を這うような声を出す。アマリアがおろおろとするなか、クロエはこう言った。
「……これも伝えるの、忘れてたぁー。……と、忘れていたけど」
クロエは自分のミスだと落ち込んでいた。だが、すぐさま立ち直り、開き直った。
「ま、いっか!今から説明すればいいよね!」
「ええ、クロエ先輩!……ええ!」
アマリアはアマリアで思い当たる節々はあった。それらしきものが提示されていた気がしないでもない。だが、ここは乗っておくことにした。
「ちゃんとね、学園でも私服は休日のみ許されているよ。過度なのは学園としてNGだけど、個人それぞれに種類豊富に取り揃えられております。事前に申請さえしていたら、オーダーメイドだってあります。―ま、これは満月寮の話だけど」
もっといえば、オーダーメイドともなると家格によって優先度が変わる。クロエはそれとなく補足した。
「多分、アマリアさんのとこのクローゼットにも服はあるよ。まあ、無難なデザインだろうけど、サイズは目視とはいっても問題ないと思う」
「なんと……。私、遠慮して一部しか使用しておりませんでした」
今になってその事実に気がついた。アマリアは驚愕した。
「そこ遠慮しちゃうんだ……。ま、そういうわけなので。せっかくだし、私服でいこうね」
「制服はまずいのでしょうか」
「まずくはないけど、そうそういないと思う。目立つよ?」
「……そうなのですね」
クロエの無難という言葉を信じて、また、クロエの提案ということもあり、アマリアは私服で出向く覚悟を決めた。彼女としては必要な覚悟だ。
「……ふわぁあ、玄関先でなにしてんの」
怠そうにやってきたのはエディだった。彼は半分瞼が落ちている。この状況でよく立って歩いてこられたものだ。
「ふわああ……」
欠伸も止まらない彼に対し、アマリアは心配になる。クロエは苦笑していた。
「私達はおしゃべりしていたわ。けれど、エディ。あなたは……」
「俺?学校に間に合うかと思ったけど。……うん、間に合わなかったパターン」
「……学校は終わったわよ、エディ」
アマリアの落胆する姿を見てもなお、エディは眠そうだった。
「あはは……。エディ君ったら……」
笑いながらも、クロエはこっそりアマリアの服の裾を引っ張る。エディを今から誘えということなのだろうか。アマリアはますます彼女のことがわからなかった。それに。
「……ねむ。もうひと眠りしてこよ」
「ええ、おやすみなさい」
ふらつくエディに付き添おうとはしたが、それとなく断られたアマリア。ただただ彼の背中を見守るだけだった。そして、心の中で改めて確認する。
いたずらに彼から睡眠は奪えないと。
クロエはうっかりしてました。