最高の令嬢のその後
距離がある為、アマリアは劇場が到着したはいいものの、息を切らしていた。呼吸を整えたのち、おどろおどろしい劇場内に足を踏み入れることにした。劇場の近くに設置されているのは、立て看板。
―休演中、でもって公開稽古中。良かったら観にきてください。フィリーナ。
本来はここにタイトルロールが記されている。だが、休演中によりそれがなかった。フィリーナが書き換えたのだろうか、自由なメッセージが直筆で書かれていた。
それと、星形のランプも点灯されていない。ランプの数によって、注目度が提示される。多くの注目を浴びるほど、求められる内容の要求も上がる。大多数を納得させられるほどの演目でなければならないだろう。
アマリア自身の劇場もあった。そこも休演中とはなっている。その劇場は閉鎖されており、開けようにもびくともしなかった経緯があった。
「失礼します」
だが、この劇場は容易に立ち入ることが出来た。休演扱いながらも、解放されているようだ。劇場の扉を押して開き、劇場の主役の趣味全開の奇怪なロビーを抜ける。そしてホールへ。
先客がちらほらといるようだった。退屈そうにしている生徒や、冷やかし目的でくる生徒らは、席に深く腰かけている。
「ああ……っ」
一人固唾をのんで見守っている女子生徒はいる。その真剣な眼差しは舞台の中央へと向けられていた。アマリアにもその気持ちは理解できた。前方の席へと身を低くしながら移動する。
「……フィリーナ様」
舞台セットはなく、照らされるのは一筋のスポットライト。フィリーナが立ち尽くしていた。祈るように両手を繋ぎ合わせ、一人舞台上に立っている。
「―」
声を震わせながらも、フィリーナは歌う。だが、あまりにもか細くて不安げな歌声であった。次第に歌声も小さくなっていく。はあ、とため息をつきながら、生徒達は退席していく。
「……ありがとう、ございました」
そろそろ刻限のようだ。幕が下りてしまった。
「……ロベリアに、アマリア様。今夜も来てくれたんだ。ありがとう」
フィリーナは舞台を終えたあと、客席までやってきた。意気消沈としているようだが、笑顔はみせてくれた。
「ええ、ええ、フィリーナ!貴女はよくやりましたとも!随分と歌えるようになったではありませんか!」
根強く見守っていたのは、フィリーナの親友であるロベリアだった。劇場内で一番強く響いているのが、彼女の拍手であった。立ち上がって即、フィリーナの傍に寄る。
「私もそう思うわ、フィリーナ様」
アマリアも拍手を送る。そしてロベリアに続いた。
「ありがとう、気持ちが嬉しい」
力なく笑うフィリーナ。彼女は嫌でも客席が目に入る。そして目の当たりにしてしまうのだ。現状を。
「……フィリーナ。焦らないでください。貴女が心のままに、かつてのように歌うのは容易ではないでしょう。ゆっくりと参りましょう、フィリーナ。わたくしもずっと付き合いますから」
「……ゆっくりもしていられないの」
ロベリアがフィリーナの両手を掴んで励ますも、フィリーナは浮かない顔だった。ちらりとアマリアを見たが、すぐにロベリアをしっかりと見つめる。
「わたし、もっと頑張るから。拙い歌だけれど、ロベリアも見守っていて欲しい」
「フィリーナ……。ええ、もちろんですとも!」
健気だと感涙しそうになったロベリアは、より強くフィリーナの手を握りしめた。
興奮してきたロベリアをよそに、フィリーナはもう一方にも語りかけようとするが。
「うん、アマリア様も―」
「わたくし、ずっと見守っております!それがわたくしの最上ですから!」
二人の間に割って入ってきたのがロベリアだった。こうもわかりやすく。
「いや、ロベリア。わたし、今はアマリア様に―」
「ええ、アマリア様の分まで応援して差し上げます!」
「あのー……」
アマリアはアマリアで応えようとするも、うまくロベリアに妨害され続けてしまった。キリがない、とフィリーナは切り上げることにした。
「……もう、時間。今夜は帰ろっと」
「ええ、フィリーナ。―どうなさったのです、アマリア様。何をぼさっとされているのでしょうか」
私?とロベリアに問う。これではまるで、一緒に帰ろうと言われているようではないかと。
「アマリア様も。一緒に帰ろう?」
「と、フィリーナが述べていますから。仕方なくですよ、仕方なくです」
歓迎してくれているフィリーナと。顔をそっぽ向かせながらも、共にいるのには反対しないロベリア。
「ええ、是非!」
アマリアは快諾した。―こうして少しずつ、変化してきているのかもしれない。
三人は劇場街の入り口までやってきた。白い光を発するそこは、夢の中と日常をつなぐ役割を担っていた。
「あら?」
アマリアの目に留まったのは、エディの姿だった。
「エディ?」
「待ってた」
エディが入口で待ち構えていたのだ。エディは後ろの二人を見やる。フィリーナとロベリアという珍しい二人を連れ立っているな、と彼は漠然に思った。
「ごきげんよう、エドュアール様」
「……ああ、どうも」
フィリーナのきちんとした挨拶に対し、エディは最低限で返す。
「……貴方、毎晩アマリア様を待ってらっしゃるのです?」
「悪い?」
ロベリアの素朴な疑問にも食い気味に返す。とんでもない、とロベリアは手を振った。
「いいえ、お気持ちはわかります!わたくしとて、少しでも逢いたいという思いはありますから!真夜中でも逢えるのですから。……それに、夢のような空間です。こちらでなら、わたくしも心のままでいられる、心を曝け出すことが―」
「ロベリア様、そのへんで……?」
それ以上は、とアマリアが暴走しかけた少女の腕を掴む。何です、と冷めた目で見てくるロベリアだったが、はっとする。―自分の秘め事を一気にさらけ出すところだった。
「?」
幸いなのか、フィリーナは首をかしげている。なんのことやら、と言った体だった。
「ねえ、フィリーナ?このような不思議な場所、本当に夢の中かもしれませんね。目覚めたら、わたくしの傍には貴女はいない。それでも。―戻りましょう、フィリーナ。きっと、貴女にまた逢えますから」
「うん、ロベリア。起きてからだって、また会えるよ」
「あら、夢の中だと断言されるのです?」
ふふ、と二人は笑い合う。そして手を繋いで光の中へと溶けていく。振り返ったフィリーナは話しかける。
「アマリア様もエドゥアール様も、また明日。あ、今日か」
「また会いましょう!」
アマリアも二人に手を振った。二人の姿が見えなくなったあと、エディがぽつりと言う。
「……侯爵令嬢の方が、隕石症だっけか」
「ええ、まあ……」
隕石症であるフィリーナは、劇場街の記憶を持つ。特殊ケースであろうアマリアとエディもだ。だが、大抵の人間にとっては夢の中の出来事。余程のことでない限りは忘れる内容だ。あのロベリアもきっと忘れるだろう。
「俺たちも帰ろう、先輩」
「ええ」
残り時間も危うくなってきた。そのまま足を進めようとするが。
「……おかしい?」
「何がかしら?」
「まともに逢えなかったからって、こうして待っているの。けど、こうでもしないとあんたと逢えなかったりするから」
エディはストレートに心情を吐露した。
「エディ……」
アマリアは驚くも、考える。ロベリアはあくまで賛同するつもりでそう言ったのだろう。だが、エディは思った以上に気にしていたということだろうか。
「何がおかしいというのかしら?私のこと心配してくれているってことでしょう?以前のこともあったからこそよね」
アマリアはきっぱりとそう言い切った。対するエディはというと。
「ああそう……」
「???」
エディは微妙な表情だった。目に見えてがっかりしているのがわかる。彼女に対しそうではない、と言いたげだった。一つ深くため息をつくと、アマリアと向き直る。この期に及んで頭にハテナを浮かべていることに、苛立ちながらだ。
「心配ってのは確かにそう。でも心配だけじゃない。俺がただ、あんたに―」
「……時間ヤバイってアタックゥゥゥー!」
「!?」
大きな温もりに包まれたかと思うと、アマリアとエディはタックルされていた。驚愕の表情をしつつも、アマリア達はその主を確認する。
―ウサギの着ぐるみだった。それも体格の良い。もしかして、先程大道芸を披露してくれた着ぐるみの人物ではなかろうか。アマリアは薄れゆく意識の中、そう考えていた。
わからない。様々なことがわからないづくしだ。エディの本意も。そして、目の前の不可解なウサギの着ぐるみに対しても。
こうして今宵もまた、明けていく。
フィリーナも頑張ってます。