真冬の惨事~暖房騒動①~
十一の月の始め。
国の北方に位置する名門校、プレヤーデン学園。山々にそびえ立つ歴史ある建物達は雪に覆われていた。夜間と早朝は一段と厳しい寒さに見舞われる。
暖房設備が完備されている豪華な造りの『満月寮』ならばいざ知らず、アマリア達が世話になっている『新月寮』はそうはいかない。留学生や財力がそこそこの生徒が暮らす新月寮が優遇される事はなかった。
「ううう……」
自室にて掛け布団にくるまって、呻き声をあげているのはアマリアだ。こうして発した声すらも白い息となる。窓ガラスは強風が打ち付けている。窓の外は一面の雪景色、深夜に猛威を振るった吹雪により積もりに積もっているのだろう。
生粋の寒がりの彼女なりにも、寒さの耐性はつきつつはあった。だが、今朝は尋常ではない寒さだった。正直、こうして掛け布団にくるまっていても凌げるものではなかった。それでも手放すなどと、アマリアには到底できそうにもなかった。何ならこのまま一体化したいくらいだった。
「いいえ……。ここは、気合を入れなくては!」
断腸の思いでベッドに掛け布団を戻す。名残惜しそうに見つつも、彼女は朝の身支度を手早く済ませる。制服の着替えまで済ますと、机の引き出しに目をやる。奥に隠されているのは、手入れの施された長めのウイッグだ。こうして大事に保管はしているが、今はもう着用していないものだ。
アマリアはそっと自身の髪に触れる。卓上の鏡に映し出されたのは、肩よりも短めに切り揃えられた黒髪の少女。背が高く、威圧感のある見た目。不器用に笑うとし、うまく笑えない素の自分。アマリア本来の姿だ。取り澄ました令嬢の姿はそこにはない。
部屋の入口までやってきたアマリアはドアノブに手をかけ、廊下へと出ようとした。
「……」
アマリアは部屋の振り子時計も見る。まだ時間に余裕はある。彼女に黒い誘惑がささやきかける。
「ええ、まだ時間があるもの。もう一度寝間着に着替えて。そうよ、ちょっとした仮眠でもとりましょうか。ええ、それがいいわ」
二度寝への誘惑だった。こうして廊下に立っているだけでも、体が冷えてくる。アマリアは部屋へと戻ろうとした。
「あー、二度寝しようとしている子がいる」
「はっ!?」
事実を指摘されたアマリアは勢いよく振り返る。おはよ、と軽く手を振ったのは先輩で寮長でもあるクロエだった。小柄で愛らしい彼女は、学園の妖精と比喩されるほどの可憐さを持っていた。その見た目から庇護欲を駆り立てるも、その実しっかりした人物であり、彼女を怒らせることは寮内において最も避けるべきことととされていた。
彼女が持つ緑色の瞳は、隣国アルブルモンド人特有のものだった。留学生でもあり、大商会の長を親族に持つお嬢様でもあった。
「お、おはようございます。クロエ先輩、二度寝など決して―」
「いいんだよ、二度寝くらい。遅刻さえしなきゃ」
てっきり二度寝を咎められるかと思いきや、そうではないようだ。それなら、とアマリアは失礼しようとするが。
「……遅刻しなきゃ、ね。アマリアさん、起きられる自信ある?」
「その、目覚まし時計を遠くに置けばどうにか」
「布団から出られる?」
「……どうにか」
あれだけの覚悟を決めて掛け布団を手放したのだ。それを再びこの手に取り戻したとなると。アマリアは強く肯定する事は出来やしなかった。クロエは息をついた。呆れられたかと思いきや、どうやら事情が違うようだ。
「まあ、アマリアさんも被害者なんだけどね。寮というか学園側のやらかしというかな。今朝半端なく寒いのも、暖房器具が故障したからなんだよね」
「なんと!」
格差ある寮とはいえ、最低限の暖房設備はあった。だが、それが今朝になって壊れたのだという。そして修繕の見通しが夜になるそうだった。幸い日中は学園にいられる、トラブルもなく直っているのを願うばかりだ。
「このような過酷な環境で、修復にあたってくださるとは……。私も微力ながらも何かお力になれればと!」
「学校いこ?」
「はい」
アマリアは心の中で応援し続けることにした。
「それにしても過酷って。まあ、確かに寒いけど」
「ええ、正直に申し上げます。とてつもなく寒いです」
アマリアの目は据わっていた。どこか遠慮がちでもある彼女がこうも言い切るのだから余程なのだろう。
「あ、うん。こたえるよね。まあ、ダイニングルームは暖かいよ。そこだけ、急遽暖房復活させたから。みんな続々と集まってきている感じだよ」
「まあ。なんというお心遣いなのでしょう。大変有難く……」
アマリアは言いやめる。あることに思い至ったからだ。クロエはこうして寮生達に声を掛けて回っているのだろう。一応性別で隔てられてはいるものの、学年毎に階は振り分けられていた。空室が目立つので、学年の人数を超えるということはないだろうが、違う学年が混合になろうと空きが目立つ階に割り当てられる。
「……お一人、きちんと起きられたかが心配でして」
その人物はアマリアより先に声を掛けられたはずだ。
「ああ、『彼』?」
「はい」
二人が思い浮かんだ人物は共通している。クロエは軽く笑った。
「心配しないで、ちゃんと声かけたし、返事もあったから」
二人が思う人物は一致していた。寝起きに不安を感じずにはいられない少年だった。元は満月寮にいた生徒だったが、のっぴきならない事情でこちらの寮にやってくる事になったのだ。それは、彼が眠り魔だったからだ。それはもう、日常に支障をきたすレベルであった。
寮長として声かけて回っていたクロエも、彼が本当に起きられるのかと内心冷や冷やしていたことだろう。彼は自力で起きられた。アマリアも喜び笑った。
「それでしたら、安心致しました」
アマリアはほっとした。彼もおそらく向かっているはずだ。
「……」
そのはずだ。
「それじゃ、アマリアさん。私、他の寮生にも声かけてくるから」
「は、はい。その、私もよろしければ手分けして……」
下の階から回っていたクロエは、残った生徒にも声かけをするようだ。クロエとて温まりたいだろうと、アマリアは提案する。それも目を泳がせながら。
「……気になるでしょ」
「そっ!それは……」
アマリアの声が上擦る。図星だった。アマリアは気になって仕方なかったのだ。アマリアも寮長も危惧していた少年のことを。彼が本当に今も起きているのかを。
「あー……。うん、いいよ。アマリアさん、もう一度確認してきてくれる?それで彼が起きてれば、六年生の階来て?」
察したクロエは、アマリアが二度寝疑惑の彼の様子を見に行くことに賛成した。
「はいっ!」
アマリアは勢いよく返事した。先輩であるクロエに一礼すると、下の階へとアマリアは下りていこうとする。だが、クロエの視線を感じたアマリアは足を止めた。とうにクロエは去ったと思いきや、意味深な視線をアマリアに送っていたのだ。
「……クロエ先輩。私が他の先輩方の方へと参りましょうか?」
『彼』に対し、クロエが熱に浮かれたような眼差しを向けていた。そのことは記憶に新しい。アマリアの目からみても、彼のことをクロエが大層気にかけているのは明白だった。
「……もう、アマリアさん?変に気きかせないで欲しいな?」
くすりと笑うクロエ。そして次は決まり切った台詞だ。
「―同じアルブルモンド人だから気になる。ほんとやだ、それだけだってば」
同じ台詞に同じ笑顔。その緑色の瞳からは決して、心内を読み取られることもなく。
今度こそ軽やかに去っていた。その背中を見送ったあと、アマリアは自身の頬を軽くはたいた。
「……何を気にするというの、私という人は」
可憐なクロエが誰を好いていようと、クロエが話そうとしない内はおいそれと踏み込むべきではない。仮にクロエが彼に思いを寄せていて、そして二人がうまくいくとなれば、その時祝福すればいいだろう。何もおかしくない、とアマリアは思う。
そして、自身に問いかける。自分は婚約者がいる身だろうと。相手に関する記憶をほとんど失ってしまったが、こうしてアマリアがここにいる理由であり、自身の婚約者の為であるのだ。
「ええ、そう。確認さえ出来れば、それでいいのよ」
アマリアは一人頷き、今度こそ目的の部屋へ向かう事にした。
クロエさんは何考えているかわからないところありますね