今宵もどこかで幕が上がる
「おはよう、アマリア様!」
「ごきげんよう、フィリーナ様……?」
いつものように登校しているアマリア。それを学園の入り口で待ち構えていたのは、フィリーナだった。アマリアも挨拶を返したのはいいが、フィリーナやたらとそわそわしているのが気になっていた。胸元でつながれているボレロの部分を気にしている。そこに要因でもあるのか。
「アマリア様。人気のないところに行こう。あのね、あなたにお願いがあるの。―あなただけが頼りなの」
「……?ええ、いいわよ。けれどもどうして?」
「いいから早く。人の、いないところ、いこ!」
やけに食い気味にアマリアに詰め寄る。訳が分からないアマリアだったが、大人しく従おうとしていたが―。
「!?」
フィリーナから飛び出したのは、彼女の愛鳥だった。どうやら胸元で隠していたようだが、鳥の方が姿を現わしてしまったようだ。焦るアマリアに対し、フィリーナはあちゃーと額に手を当てている。悠長なものだった。当人なのにどうしたものか。
他の生徒にも目撃され、騒ぎとなってしまう。そうなると当然かのように。
「おはよう、諸君。―何の騒ぎだ、フィリーナ嬢」
騒ぎを聞きつけ、生徒会がやってきてしまった。フィリーナが騒動の原因であるとふんだのは生徒会長だ。威厳のある態度に場は静まり返る。
「……お騒がせして申し訳ありませんわ、会長。ええそうです、わたくしが原因ですの。ですが、こちらで解決致しますから、どうぞ御多忙な会長はお引き取りなさって?」
フィリーナは手段を選ばない。眉目秀麗な令嬢の頼みならば通用するだろうと勝負に出た。現に他の一般生徒は見惚れている。
「ふん、白々しい。私相手に『鳥も飼えないなんてケチ。ケチ会長』と難癖つけてきたのはどこぞの誰だったか」
「……うん言ったよ。真実を言っただけ」
この低い声はフィリーナだった。小鳥を自室で飼うとは言っていた彼女だったが、あっさり発覚してしまったという。生徒会で管理するか、または学園の教師に引き渡されてしまうか。フィリーナは瀬戸際の中で思い浮かべたのが、アマリアの顔だった。
「ああ……」
新月寮ならある程度自由も利くだろう。そうだろう、とフィリーナに目配せで伝える。フィリーナもその通りだと目で返事する。目と目で通じ合った二人。アマリアの肩に止まったのは小鳥だ。よろしくお願いします、とさえずる。新月寮に来る気満々であった。アマリア自体も歓迎ではあった。ひとまず寮長の説得には骨が折れそうだ。杞憂はそれくらいだった。
アマリアはふと、会長からの視線に気がつく。今になってアマリアは彼の両目の特徴を認識した。―珍しいとされているオッドアイの瞳だ。それを隠すこともなく衆目にさらしていた。彼はアマリアにも話があるようだった。
「……聞けば君にも妙な噂がある。―何でも、自分が『懲罰』するだとか」
「!!」
その言葉に仰天したのはアマリアとフィリーナだった。劇場街で悪役として振る舞っていた時に、確かにアマリアはそう口にしていた。彼女は思い出す。
―劇場街は確かに夢の中。けれども印象に残った事は記憶に残りやすいと。それがよりにもよってそこだったのか。
「……まあ。わたくし、そのような事を申した覚えがありません。おかしな夢でも見られたようですね?」
「ふん、不自然極まりない」
「なんと!」
ほほほ、とアマリアは笑うが相手は態度を変える事はなかった。フィリーナでも通用しなかったのだ。アマリアの令嬢ぶりでもごまかす事は出来なかった。アマリアは一人項垂れた。
問い詰められようとしていたアマリアに対し、フィリーナは助け船を出す事にした。行って、と小声で小鳥に命じた。小鳥は大空へと飛び立つ。珍しいまでの晴天、アマリアは眩そうに見上げた。
「アマリア様、あとはお願いっ!わたしがこの人の相手しておくから。うん、ここは任せて」
「え、ええ。ありがとう……?」
ここはお礼を言うべきところだったのか、とアマリアは一瞬悩む。だが、鳥は自由気ままに飛んでいる。これ以上距離を離されないように、アマリアも追いかける事にした。
「あ、相手だと……?君がそもそもの原因ではないか!」
他の生徒達もそうだと心の中で同感していた。一方フィリーナはすんとしていた。会長の小言も適当にいなす気でいるようだ。フィリーナの逞しさに変に感心しつつも、アマリアは走りだしていく。
小鳥を追いかけてアマリアは学園内を駆け回っていく。辿り着いたのは四年生がいる階だ。すっかり顔馴染みとなったリア充集団がアマリアに声をかけてきた。
「あれ、アマリア先輩じゃん。何してんの?」
「あ、鳥?つか、なんで鳥いんの?まあいいや!オレが捕まえたげ―」
と少年がジャンプしたものの、小鳥はそれを交わす。そのまま廊下を滑空し、今度はアマリアの学年の階へ。
「お、お待ちなさい……!」
かなり息を切らしつつあるアマリアにとって階段を昇るのは辛い。それでも追跡を続ける事にした。
「……美人がキレてると、妙に迫力あるよな」
「言っていい?今の顔怖ええ……!」
「……くっ」
彼らの半分悪口はアマリアにも届いていた。けれど、今は気にしている場合ではないと捨て置くことにした。
「まあ、復学なさったのですね!……ああ、お会いしたかったです」
「お体は大丈夫でしょうか……?無理なさらないでくださいね?」
「……?」
五年生の廊下の中央で女子生徒達が集っている。きゃあきゃあとはしゃいでいるが、そこには男子生徒はいないようだ。走りながらのアマリアによる目視だったので、定かではない。
「わっ」
小鳥はその集団に突っ込むかと思ったが、何を思ったのか引き返していく。アマリアの頭上を飛び去っていくと、そのまま階段を下っていった。最上級生の階に行かないのは幸いだったが、階段を下りるのは下りるので大変だった。
「おやおや?随分と元気なお嬢さんだこと」
麗しい声が聞こえてきた。どうやらこの人物を女子生徒達が取り囲んでいるようだった。
「そのぉ、あまり関わらない方がいいですよぉ?」
「その、最近は落ち着いてますけど?彼女相当良くない噂立ってましたし」
「……あ。もちろん私達は仲良くできたらって思ってますよ?同級生ですもの」
それに反応した女子生徒達はあれやこれやと騒ぎ立てる。
「……」
これももちろんアマリアの耳にも届いている。嫌な心境ながらも女生徒の集団を見る。睨まれたのかと思った彼女達は、中心の生徒にくっつく。少女の怯える姿は庇護欲を駆り立てるものだった。
「ふふ。やれやれだね」
愛らしい女子にくっつかれて満更でもない生徒は、すらりと背が高く麗人のようだった。自分より背の高い女子生徒は初めて見た、とアマリアは密かに驚く。ただ、自分が知らないだけで他にもいるだろうと考え直す。
「あ!」
小鳥は窓の外で飛んでいた。いつの間に本校舎から出ていたようだ。油断も隙も無い、とアマリアは窓を開けて降りようとするが、思い留まる。劇場街の舞台上のようには体を動かせないようだった。
「ふふふ、私諦めが悪いのよ……?さあ、待つのよ!」
やけくそに笑いながらも、小鳥を追いかけるのを再開した。後ろの女子集団はそんなアマリアに戦慄していた。
そうして駆けずり回り。ようやくたどり着いた先は温室だった。
「……」
小鳥の姿はここで消えた。ここが終着点だろう。正直アマリアは気が進まなかった。ここには気まずい相手がいる可能性があるからだ。アマリアが誹謗中傷を受けたあの日、気を遣ってくれたのが先輩であるヨルク。温室の主同然の彼だった。
「……いいえ、大丈夫よ」
あの時は平静に返す事が出来た。あの時が出来たそれが今、出来ないわけがない。妙に自信をつけたアマリアはノックをしたのち、温室内へと入っていく。
「―そう、怖い思いしたの。それで、思わず逃げ回ってたんだ。君も大変だったね」
「……?」
アマリアはいつぞやの乙女達の集会を思い出す。そのお茶会で使用されたテーブルの上で、黒い小鳥は木の実を啄んでいる。そんな小鳥をつついていたのが、優雅に椅子に腰かけていたヨルクだった。
「でも、駄目だよ?あの子も君を案じていただろうに」
そう言って反省を促すと、小鳥も首を下げた。不思議なものだ、言葉が通じているかのようだった。
「怖い顔、ね。俺にとっては愛らしくてたまらないけど。……嘘じゃないよ、アマリアちゃん」
「!」
アマリアの来訪には気がついていたようだ。小鳥がアマリアの手にとまる。そして悲しそうに鳴いている。本当に振り回した事を反省しているようだ。アマリアは小鳥の首元を撫でた。
「おはよう。その子の行先でも探しているのかな」
立ち上がったヨルクはアマリアの方へと足を向ける。けれど、一定の距離は保たれたまま、必要以上に彼が近づく事はなかった。
満月寮の騒動だったので、彼にまで話がいっているのだろう。だが、ヨルクは付け加える。その小鳥から聞いたのだと。アマリアは耳を疑った。それでは本当に言葉が通じているようだ。
「結論づいてはいます。私達の寮で―」
新月寮のアマリアの部屋にて責任を持って預かろうとしていた。だが見上げたアマリアは思い直す。小鳥は温室内を自由に飛び交っていた。フィリーナの小鳥だけではない。色とりどりの蝶達もゆったりと羽を動かしている。小動物達も木々の隙間から顔をのぞかせていた。
「ほら、クロエちゃんも手強いだろうし。うちなら大歓迎だよ」
「そうですね……」
ここならフィリーナも気軽に会いに来られるだろう。ヨルクも心から歓迎しているようだ。そして、小鳥の幸せそうな姿を見て、アマリアはお願いする事にした。
「ありがとうございます、ヨルク様。それが、一番だと思います。本当にお心遣い感謝致します」
「いいんだよ、そんな。本当は腰を落ち着けてもらおうと思ったけれど、授業始まってしまうね。サボるなら付き合うよ?」
「いえ、おかまいなく。すっかり疲れはとれましたから」
「そっか……。うん、そうだね。俺もまったりしてられないか」
華やかな植物達や愛らしい動物達だけではない。温室の空気や匂いもアマリアを癒してくれた。そしてヨルクだ。彼も普通に接してくれていた。アマリアは安堵した。そう、それで良いのだと。彼にとってはよくある事、言われる事なのだろうと。
『ふふふ、本気にしたらどうなさるのです?』
あの時の事などなかったかのように。幻であったかのように。
もはや訂正する事もないだろう。彼が触れないようにしてくれているのなら、とアマリアは考えていた。
「ここ閉じないといけないから、待たせてしまうけど。一緒に―」
「……?」
アマリアははっと振り返る。人などいない。なのにどうしてか。視線を感じてしまう。それも複数のだ。妬み嫉みの視線、そして好奇の視線。人の姿など見えないのに。
「……」
「……ああ。君は先に行った方がいいね。さすがにぎりぎりになってしまって、また走らせたくもないから」
「ヨルク様……。ええ、そうですね。私も野を駆け回るのは得意ですが、限度というものもありますから」
「うん、知ってる」
冗談交じりにそう言ってくれた事に、アマリアも同様に返した。このまま和やかな空気のまま、彼に別れを告げる事にした。
「では、私は失礼をします―」
「ああ、待って。これだけ」
一礼をしてアマリアは温室を出ようとした。それを呼び止めたのはヨルクだった。距離を保っていた彼が近づいてくる。
「どうかされましたか……?」
お互いが触れられる距離まで詰められてしまった。
「……あの時は驚き過ぎて何も言えなかった。―俺が伝えてきた事全部、本気にして」
「……」
アマリアの方こそ驚いていた。今になってあの時の事に触れられると思いだにしなかったからだ。
「君からも望んでくれたら、俺は吹っ切れる。君が俺を求めてくれたなら。それなら俺は君を―」
ヨルクの視線に射抜かれたようだ。見つめてくる彼の瞳から目をそらせない内に、さらにお互いが近づていく。アマリアの頬に触れた手は、やがて彼女の顎へ。アマリアの鼓動の音がはやくなっていく。それはなぜか。
「……ヨルク様、気になりませんか?」
「……何が、かな?一応、口説いている最中なんだけどな」
ヨルクが微妙そうにしていても、アマリアは尋ねる。
「―視線です。誰もいないのに、それでも誰かが見ているような」
「はは……」
ヨルクにしては乾いた笑いだった。そして、さらにヨルクは唇を寄せてきた。アマリアはぎょっとするが、彼がとった行動はアマリアの耳元で囁くことだった。
「……いつもの事だよ。ふふ、この学園じゃ当たり前の事。俺だって注目されているし、俺だってもっと知りたい子はいる」
「……」
「なんかそれって、互いが互いを監視しているみたいだ。でも、それがここじゃ当たり前。まあ、俺は慣れたものだし。適当に相手するだけ」
アマリアの耳元から唇を離すと、今度は自身の人差し指を口に当てた。今のはオフレコで、とヨルクは蠱惑的に微笑んだ。
「とはいえ、君が辛い思いをするのは嫌だ。もう君が巻き込まれないように、尽力を―」
「……やっすいナンパ。この人にはやめてもらえる?」
「!?」
アマリアは何者かに後方から引っ張られ、そのまま相手に身を委ねてしまう形となった。
「エディ……!?」
いつもの眠たそうなぼんやりとした表情は失せていた。険しい目つきで相手を睨んでいた。
「ナンパって。そっか、そういう風にとられちゃうか」
「……うざ」
ヨルクはあくまで余裕の態度を取っていた。それが一層エディを苛立たせていた。
「先輩、大丈夫?なんか顔赤いし……」
「あ、それは全力疾走したからなの!エディこそどうしたの?」
険悪な空気だ。アマリアは無理してでも明るく振る舞う。だが、どうしたはなかったのかもしれない。現にエディは不貞腐れながらそっぽ向いていた。わかれよ、と小声ながらも確かに口にしていた。
「……エディもありがとう。けれど、本当に大丈夫よ。そんな騒ぎになるような事は―」
まとわりつくような視線に、アマリアはどうしても意識をせずにはいられない。彼女自身の一挙一動を見逃すまいとするかのように。観察されているかのようだ。
「そうそう、俺は彼女にアドバイスをしただけだよ。……とでも言っておけばいいのかな」
「……は?」
「おっとすごい顔。まあ、アマリアちゃんの事が心配だから本当のアドバイス。全部気にしていたらやっていけないよ。……ここでは、鈍感になる必要もあるんだ」
常に衆目にさらされ慣れている人間が言うからには、それもありなのだろう。アマリアはただ、今はまだそれが正解かどうかはわからなかった。どのみちヨルクは温室を放課後までは閉めるという事で、アマリアとエディが先に出る事になった。
ぞろぞろ出てきました。