新月寮に増えた、新たな住人。新たな日々。
数日が経過した。アマリアの短めの髪にも周囲が慣れ始めた頃だ。そして、劇場街へと訪れる頻度が減っており、どこの劇場も休演ないし星なし公演のみだった。
誰一人知られることなく公演されているそれは、今すぐに支配者が動きだすことはない。そもそもロベリアがイレギュラーであり、おいそれとドアが開くものではないという。誰かさんのように扉を蹴破るなど、本来は論外だ。
それだけ平和なのだとエディが呑気に言ってはいるが、アマリアはそれはそれで良いのか悪いのか考えていた。人道的にみれば良い事、それは間違いない。それは確かであると彼女はわかっている。けれどそれでは『彼』への道は遠のいてしまう。アマリアは良心の呵責に苛まれていた。
そしてこのエディである。アマリアは頭を抱えていた。この、荷物一式をまとめて担いでいるエディに対して。―そして、新月寮の前にいる彼がいる現状に対して。
「エディ、あなた……」
「これからお世話になります。よろしくお願いします。……重い」
衣類や日用品だけではない、寝具まで持ち運んできたという。どこでも寝られそうな彼なのに、こだわりでもあるようだ。アマリアは特に考える事もなくエディの負担を減らそうと運搬の手伝いを申し出る。
「あら大変ね。荷物ちょうだい?私も運ぶわ」
「……そういうのいいから」
「いいからいいから」
「……いいから。本当にやめて」
エディはむすっとしながら、アマリアからの猛攻を交わす。お互い息が切れたので休戦となった。
「今でも信じられないわ。あなたがどうして新月寮に……」
「どうしても何も俺が決めたことだし」
「なんと……」
エディは隣国でも有名な名家の出だという。留学生でもお金さえ積めば豪華な寮での暮らしが可能だ。それをわざわざ棒に振ったのがエディである。だが、それはある意味自業自得ともいえた。エディは大きく欠伸した。そして今にも眠りそうである。
「それよ!」
「っ!?なに、急に大声出して。先輩、本当に地声大きいから」
「ええ、改めるようにはするわ。……そうじゃないの、エディ。あなたという人は……」
アマリアが度し難い事実に耐えている間も、エディはすでに立ったまま眠りの体勢に入っていた。舟をこいている彼を見て、アマリアは事の経緯にようやく納得がいった。彼がどうして恵まれた満月寮から、この新月寮にやってくる事になったのか。
「ぐー、すぴー……」
「あら、可愛らしい寝息だこと。―違うわ、そうじゃないわ。……ああ、なんてことなの」
アマリアに抱きつきながら寝ているのはエディだった。微笑ましく見守っていたくもあったが、アマリアは訂正する。彼のこれからが心配になってきたのだ。
自業自得とエディはそう言った。その通りだった。
―現実でようやく再会した時、彼はアマリアに抱きついてきた。何事かとアマリアが狼狽えている間に聞こえてきたのは、エディの寝息だった。アマリアに寄りかかりながら爆睡していたのだ。胸が高鳴る以前に、その重みがアマリアにはきつかった。そして自身も将来を誓った相手がいる身だ。このままではいけない、と肩を貸そうとしていたアマリアだったが。
『先輩、苦しくないっすか?そいつ、やばいでしょ。起きてきたのが夕方でさ、もう授業が終わってるってね。エドュアール君、やばくない?』
苦笑いを浮かべながら、アマリアの代わりにエディを支えてくれたのはリーダー格の少年だった。アマリアはここは素直にお礼を言い、エディを託す事にした。エディは寝心地が悪くなった事に顔をしかめつつも、依然眠ったままだった。
「こんなことってあるかしら……。まさか、睡眠が原因なんて」
授業に出られた日はまだましな方。授業の最中寝ていてもだ。夕方からの登校もざら、一日休む事もしょっちゅうだった。そんなエディの生活態度が問題視されるようになった。手始めに更生を名乗り出たのが、生徒会だった。生徒会の更生プログラムを実行するも効果はなかった。しびれを切らした生徒会長が、このままでは満月寮を追放するぞと言ってしまった。これがいけなかった。
エディはこの時ばかりは目を輝かせながらも快諾した。新月寮に入寮したくらいで解決するものか。生徒会長がもう一度説得しようとした時には、すでにエディは退室していた。これが彼が言う、俺が決めたことの顛末だった。
「彼の体に悪影響とかでなければいいのだけど……。けれど、一度お医者様に診ていただいた方が―」
冷たい風が吹く。このまま外にいたら体が冷え切ってしまうし、寝ているエディも体に障るだろう。それこそ未だ寒さに慣れないアマリアも、早く室内で温まりたかった。
荷物は多少濡れてしまうが、致し方ない。床に置いてエディを先に室内まで連れていこうとするアマリアだったが。
「おーい、手伝うよー!……うわ、噂通りだ。本当に寝ているね」
有難い掛け声とやってきたのは、クロエの犬、もといクロエを慕っている男子生徒だった。編入初日に人の良い笑顔を見せてくれた彼は今、ドン引きしていた。いつまでも熟睡しているエディに対してだ。引きながらもアマリアの代わりにエディを担いでくれた。アマリアはそれならとエディの荷物を手に持つ。数回に分ければアマリアでも運べるだろう。
「わあ、ありがと!アマリア様って良い子だね!」
「いえ、そんな。先輩こそ―」
彼の爽やかな笑顔にアマリアも和む。彼こそ好青年だとアマリアが思っていたところ。
「あ、お嬢!」
エディを背負ってはいるものの、アマリアを放置して彼はダッシュしていく。その先にはクロエ。彼女が玄関で待ち構えていた。クロエの隣にはスーザンもいるが、彼の目には映っていない。
「……ねえ?何であんなに荷物をアマリアさんに持たせているのかな?」
「すみません、お嬢!でも、アマリア様から―」
「何?言い訳?」
「……ああ、お嬢!」
エディを抱えて、さらに彼の荷物も持つ。さすがに無茶ではとアマリアはクロエに進言しようとしたが。
「あー、いいって。ごらん、アマっち。……彼の幸せな顔を」
「ああ、お嬢……。もっと、もっと叱ってください……」
彼は、笑っていた。正しく言えばしまりない笑みを浮かべていた。唖然としていたアマリアに気がつくと、彼は朗らかに笑った。いつもの彼の笑顔だ。
「……あ、アマリア様。荷物、こっちで運ぶからいいよ。ダチに声を掛けるから、心配しないで!」
「さようですか……」
そのまま駆け出す勢いの彼だったが、背負った相手の事を考えるようにと咎められる。喜びに打ち震えながらも、ゆっくりの速度でエディの為に用意された部屋へと向かっていった。
「その、クロエ先輩?私の方で細かい荷物でも―」
「……」
クロエが熱に浮かれたような目でその方向を見つめていた。それはクロエに対して忠実である彼がいたところ。―だが、そこにはもう一人いた。それは。
「……クロエ先輩?」
蕩けるような瞳のままのクロエに対し、アマリアは恐る恐る声を掛ける。時間差はあったものの、クロエはようやくアマリアに視線を向ける。
「―さてと、お仕事の続きしなくちゃ。ああ、アマリアさんも寒かったでしょ?ダイニング室で温まったらどうかな?男手は足りているから、彼が言った通り心配しないで」
「はい、クロエ先輩……」
「あー……。『彼』を見てたの、ばれちゃった?」
落ち着きのないアマリアに対し、クロエは察する。それなら、とクロエは話しかける。
「……彼、同じアルブルモンド人でしょ?うちの学園にそんな多いわけじゃないから、つい嬉しくなっちゃって」
「それだけ……、ですか?」
「うん、それだけだよ?」
クロエは天真爛漫な笑みを見せた。嘘偽りもない、と彼女の瞳までもがそう言っているかのようで。
「―仲良くなれるといいなぁ」
「さようでございますか……」
アマリアは不安になってしまった。どこか得体の知れなさと、そして彼女自身がよくわからない感情とで。
クロエはご機嫌に手を振ったあと、自室へと戻っていった。手にした書類の処理を続けるのだろう。アマリアは複雑な気持ちで彼女の背中を見送った。
「あんらー?クロっち怪しいぞぉ?」
「スーザン先輩!ごきげんよう!」
いきなりスーザンがアマリアの肩に顎を乗せてきた。アマリアもご挨拶が遅れてしまったと詫びようとした。思ったよりアマリアの声が大きくなっていたのは、色々な意味で驚きの連続だったからだろう。
「うん、ごきげんよう。クロっちってば浮いた話一切なかったからさ?あれかな、いつの間にかフラグでも立っていたのかな」
「ふ、フラグですか?」
「そうそ、フラグ!よっしゃ、クロっちにばれない範囲で調査せねば!」
「ふ、踏み込むのでしょうか。その、先輩方は仲が良いのは存じてますが」
「うん、わりと仲良いけど。それとそれは話は別!」
「なんと!」
「ははは。さーて!お茶でもしばくかー。アマっちも温まりたいっしょ?付き合うよ」
アマリアから体を離すと、先行でダイニングルームへと足を向けるスーザン。好意的な誘いにアマリアも乗り気だったが。
「いやぁ、あのクロっちがねぇ?まあ、リゲル商会のお嬢様の恋の行方も気になるけどさ」
「……?」
「あれ、アマっち。気づいてなかった?あの子、大手商会のご令嬢だよ?クロっちの名字、思いっきり『リゲル』だし」
「お、おっしゃる通りですね」
隣国の王家御用達でもあり、庶民の生活にも寄り添っている。今や世界中に浸透しているリゲル商会。学園とも取引があるのだという。今更気付いたと、あんぐりしているアマリアに対し、スーザンは興味深そうに見ていた。その視線にアマリアは落ち着かなくなる。
「でさ、あのちっちゃ可愛さでしょ?で、しっかりさんじゃん?学園の男子らは萌えているし、女子からも憧れられているってわけ。ま、表立ってではないけど」
「ああ、わかります!―さしずめ、学園のマドンナといったところでしょうか」
それはその通り、とアマリアは強く共感した。そんな彼女に対し、スーザンはにやりと笑う。
「―アマリア嬢もだよ?」
「え……?」
「……アマっちも。前ん時みたいな悪意だけじゃない。興味ももたれている。―みんな知りたいんだよ」
「それは……?」
「それだけ注目されつつあるってこと!謎の理由で編入してきた訳あり令嬢!フィリーナ一派にも屈しなかったのもあるし!そんな彼女がどんな恋をするのか!……ああ、これはアタシ個人が気になっているってだけだけど」
「―はい」
婚約者関連はすっぽり抜け落ちているようだ。アマリアはただ返事だけした。今にも探るような視線を向けるスーザンに対しても、アマリアは笑顔を絶やさない。
―ここはプレヤーデン学園。名門校でもあり、訳有りな生徒も通う学園である。雪に閉ざされた学園は、閉鎖された環境であった。鬱屈とし、娯楽も限られた箱庭の中で生徒が楽しみを見出したのは、注目の人物に関する事だった。彼らの事を知る事だ。
誰もが知りたいのだ。気になる彼、彼女の事を。彼らのあんな事やそんな事を。
次の日。アマリアは劇場街に入り込む事もなく、朝を迎えた。エディとはあれから会ってはいない。朝食の時の会話では用意されていた食事は取ったというので、夜中にでも起きたのだろう。当然といっては虚しくなるが、朝食の場にエディの姿はなかった。
「エディ?起きてる?遅刻するわよー?」
ドアをノックしても返事はない。さらに大声を出そうとするが。
「―ぎりぎりまで寝させてあげたら。ね、アマリアさん?彼、昨日遅くまで起きていたみたいだし。夜型なのかな?」
「ひゃっ」
背後にいつの間にいたのか。クロエが困った顔をしながらもこう話す。
「寮母さんに頼んどいたから。時間危なくなったら起こしてって」
「そうなのですね」
「そうなの。さ、私達も出ないと」
クロエはすっかりいつものクロエに戻っていた。戻っていた、と少なくともアマリアは思っていた。
「私も行かなくちゃ。あなたも出来るだけ、早くね?」
ちらりとエディの部屋を見る。部屋の持ち主は今も眠っていることだろう。
「はい、クロエ先輩。とはいえ、まだ学園には」
「そう?まあ、あなたの事だから遅刻はしないと思うけど」
クロエを見送るとアマリアは一度自室へ。身支度の最終確認をし、そしてコートと鞄を手にする。そして忘れてはいえないのが。
「……検閲が入るって、本当だったのね」
アマリアが手にしたのは一通の手紙だった。熱で溶かした蝋に学園の印章が押され封を施される。アマリアはそれを掲げた。
―月末のみ許される、家族宛ての手紙だ。学園の担任教師による厳しい審査を通り抜けた内容の為、無難という無難な内容となっている。だが、元気でやっていると伝わればアマリアは十分だった。正体の知れない男を追っかけて編入したと思われているのだろうか。向こうからの返事は来ない為、それは知る由もなかった。
そうして迎えたのは十一の月。季節は深まり、寒さは増す一方だ。
エディの睡眠問題にもアマリアは頭を悩ませていくことになります。