取り戻したのは彼の記憶の一部、そして
「終わった、のね。……っ!?」
アマリアの全身から力が抜ける。頭がぐらつく。彼女に激しい痛みが襲う。目の中で火花が見えるかのようだ。アマリアの脳内に何かが訴えかけている。何かが問いかけているかのように。
「あ……」
これは幻覚だろうか。アマリアの目の前に現れたのは幼い頃の自分。そして幼かったアマリアが抱きしめているのは、同じ年頃の少年だ。アマリアからは少年の顔はわからなかった。幼い自分が守るかのように彼を強く抱きしめているからだ。
『……こわかった。ほんとうなんだ。ほんとうにおまえがいなくなったとおもった』
『よしよし。だいじょうぶだよ、わたしはちゃんといる。ほら、こうしてぎゅっとしてるでしょ?』
『……もう、いなくならない?』
もう、とはおかしな事を言っている。あの頃はずっと二人は一緒だった。けれど、彼にとっては現実だった。幼かったアマリアがいなくなってしまったのは、彼にとっては紛れもない現実だったのだ。―たとえ夢の中であろうとも。
『うん。もういなくならないよ。びっくりしたよね、ごめんね。でも、だいじょうぶ。こんどこそ、きえたりしないから―』
幼いながらも、アマリアもそれを受け止めようとした。それが彼にとって現実ならば、アマリアだって否定などしないと。
『……うん、わかった。ごめんな、おまえのことおこして』
『ううん、きにしないで。ちょうどわたしもおはなししたかったの。あのね―』
かつての自分達は手をつなぎながらも、姿を消していった。―これは、過去の幻影だ。それを目にしたアマリアの中に、ある言葉がよぎる。
「隕石症……」
―アマリアの婚約者は隕石症だ。彼は苦しんでいた。そんな彼を慰めたいと、かつての自分も寄り添っていたのだと。今、彼女は断片ながらも『彼』の記憶を取り戻したのだ。
「……」
急激に記憶を取り戻した事もある。何より、先だっての奮闘による疲労が溜まっていた。アマリアはそのままふらつき、今にも倒れようとしていた。
「―まったく、飛ばし過ぎだよ。……まあ、お疲れ。アマリア」
「あ……」
それを支えてくれたのは支配者だった。いつの間にやってきたのだろうか。
「……その、助かったわ。でももういいわ」
「ほんと可愛くない」
「結構よ、可愛くなくて」
「あー、ほんと可愛くない!」
アマリアは彼が言う通り、限界を超えてまで舞台にいた事もあるだろう。かなり疲弊しきっていた。このまま一回り小さい体に委ねそうにもなるも、自身を律した。お礼を言いつつも、彼との適切な距離を保った。色々な意味で拗ねていた彼だったが、真剣な面持ちになる。
「見てたよ」
「そうなの……?」
「ほんと、アマリアはめちゃくちゃだよ。フィリーナ嬢ので綺麗に終わっていたのに。……まさか、ロベリア嬢にまで踏み込むとは思わなかった」
「……どうしても、そうしたくなったのよ。きっとお互いに罪悪感を抱えたままだったでしょうから。けれど、あの二人の本心を知ってしまったから。素知らぬ顔なんてできなかったの」
「……うん。ぼくもきみがそういう人だというのはわかるよ。会ったばかりなのにね」
「そうね」
アマリアは自身の胸元に触れた。そこには大切な存在がある。彼女を勇気づけてくれるものだ。
「―私は続けるわ」
こうして『彼』へとつながるかもしれない。それに、彼女の事だ。能動的にまた、誰かの舞台へと駆け上っていくことだろう。今の彼女ならわかる。舞台上でどう在るべきか。
「悪役?上等よ。ふふ、おかしいの。平凡で面白味のない私はそこにいなくて、手段を選ばない悪役の私がいる。そんな私なら、きっと出来る事があると思う」
「どうせ音を上げる」
「ええ、そうお思いでしょうね。そうね、また私は迷うと思うの。でも、もう諦めたりしないわ」
「―とは思ってないよ。今のきみなら」
予想だにしない言葉だった。アマリアは思わず支配者の顔を見た。驚くアマリアを見て、してやったりといった笑みを浮かべる。からかったのか、と赤くなるアマリアを可笑しそうに見ていた。
「まー、別にー?アマリアがどうしようがアマリアの勝手だしー?ぼくはぼくでやりたいようにやるからね!」
「ふう、そういうと思ったわ」
「さーてと、アマリアの相手もこのへんにしておこうっと。―またね」
「あっ……」
突如発生した煙と共に支配者は姿を消していった。一息をつくとアマリアは体を伸ばした。
「私も帰りましょう。戻る前に一声かけておきたいもの」
フィリーナの舞台に突撃してから、金髪のあの彼とは別れたきりだ。さすがにあの異様な事態は心配をかけてしまっているかもしれない。ひとまずフィリーナの劇場へと向かうことにした。
扉から劇場街へと出たアマリアは人口の空を見上げる。薄く朝焼けに染まりつつあった。気持ち急ぎめに彼の元へと向かおうとしていた。星が一つ点灯した立て看板にもさよならを告げる。
フィリーナだけではない。きっと、ロベリアも大丈夫だろうと。
「いけない、急がなくては」
アマリアはふと足を止める。そう。看板のランプが一つ、点灯している。
「待って。こちらって……?」
時間も有限だ。早く彼がいるであろう劇場に向かうべきなのに、ある思考にアマリアは囚われてしまった。アマリアは思い出そうとする。初めてこの看板を見た時は確かランプは。―点灯していなかった。
アマリアは自分や支配者の分がカウントされたのだと思おうとした。けれど、そうなると星がない公演とは何なのだろうか。今は考えても答えが出ないだろう、とアマリアは置いておこうとした。
「―そんな可憐な見た目で、随分なやりようだったね」
「!」
頭上から聞こえてきたのは少しだけ低めの声だった。聞き覚えがあるはずなのに、初めて聞くような声でもある。アマリアは不思議な感覚に陥る。
「あのラストはキミの独断かい?ふふ、中々興味深かったよ」
「……あなた、御覧になってたのね」
一つ星公演、すなわち有人である。秘匿されていた公演を見つけたのが、支配者を除いてアマリアだけではないのなら。―この人物がとても得体の知れない人物とアマリアは思えてならなかった。
「次はどんな公演で魅せてくれるのか。ふふ、楽しみになってきたよ」
「お待ちになって、あなたは一体……!」
アマリアは急いで階段を駆け上る。相手は何者なのか、と気持ちが急く。
見えたのは薄く筋肉づいたしなやかな脚。そして翻すのは制服のワンピース。学園の女子生徒と見受けられた。確認出来たのはそれだけだ。アマリアが階段を上がりきる頃には、姿を完全に見失ってしまっていた。
「……」
不安になる気持ちをアマリアは落ち着かせる。そして、言い聞かせる。これは夢の中の事。夢から覚めたら今の人物だって忘れているだろうと。今は楽観視だろうとそう思い込む事にした。
「……急ぎましょう」
時間が差し迫っている事もある。劇場街の少年はもう帰っているかもしれない。それでもアマリアは急ぐ事にした。
フィリーナの公演から大分時間が経っている。ほとんどの生徒が退出していた。だが、アマリアは発見する。中央辺りで座っている金色の髪を。待っていてくれたのか、と近づこうとするが違和感に気がつく。
「んん?」
編み込まれた長めの金髪、どうみても女性だ。何より、その後ろ姿には見覚えがあった。いや、間違いない。彼女は―。
「クロエ先輩……?」
アマリアは小走りに近づいていく。だが、クロエの方は気づく気配がない。一点を見つめ続けていた。今は幕が下りきった舞台の方だ。
「はあ……。今夜も良かった……。ああ、いい……」
「!」
クロエは恍惚としながらも、舞台の余韻に浸っているようだ。しかも今夜もときたものだ。かなりの頻度で観劇しているのかもしれない。―それこそ様々な舞台を。
「……失礼しますね、クロエ先輩」
あまり趣味のよろしくない舞台の数々を好んで観ている。夢心地であるクロエはどのみちアマリアに気がつくことはなかった。アマリアは色々な意味で何ともいえない気持ちになりながらも、この劇場をあとにすることにした。
観客いたんすか。