それはフィリーナにとっての現実で
舞台は暗転する。もう夜が明けたのかと冷や冷やしたアマリアだったが、どうやら場面転換だったようだ。アマリアは気がつけば夜の庭園にいた。先程とは違い、庭園は美しく整えられていた。月明りを受けて輝いている噴水に腰かけているのはフィリーナだ。
「―」
夜空を見上げてフィリーナは歌う。だが、1フレーズだけだった。止めたのも。
「ここにいたのですか、フィリーナ」
この凛とした少女はおそらくロベリアだろう。彼女がやってきたからのようだ。年齢以上に大人びているのは相変わらずだ。ロベリアはフィリーナを見て安心するも、彼女を咎めるような視線を送る。
「……歌うのは、父君に禁じられていたではありませんか。感情が乗りやすくなると」
「だから今やめた。人前じゃ歌わない」
「人前でなくても、歌ってはいけませんよ。フィリーナ」
「……ロベリア、うるさい」
「うるさくて結構。あなたの為を思って申しているのです」
ああやって言い合ってはいるものの、気安い仲のようだ。幼い頃は本当に親し気で、遠慮がない仲だったようだ。
「ふわぁ……」
「……いけませんね。フィリーナ、部屋に戻りましょう。今夜はわたくしがついてますから。そこのあなた、手伝ってくださいますか」
「はい」
メイドとしてのアマリアに気付いたようだ。フィリーナも眠る体勢に入っている。ならば、ここはメイドとしての仕事をするべきだろう、とアマリアはフィリーナに近づこうとする。
「……ここは」
寝たかと思いきや、フィリーナはゆっくりと目を開ける。きょろきょろとしたあと、フィリーナは勢いよく立ち上がる。
「わあ……!ふふ、ふふふ!」
満天の星空を見上げた後、フィリーナは楽しそうに笑う。ひとしきりはしゃいだあと、息を大きく吸った。そして吐く。
「……やっと、やっとだ!」
目を輝かせながら、フィリーナは走り回る。彼女の笑いは止まらない。
「あはは!」
「!」
アマリアは目を疑った。狂乱じみたフィリーナの手から繰り出されたのは。―炎だった。造作もなく炎を発現させ、空に飛ばして遊んでいる。
「あは、あはは!楽しい、楽しいな!今なら自由だ、ここなら誰もフィリーナを止めない!フィリーナは我慢しなくていいんだ!」
「お、おやめなさい、フィリーナ!」
下手したら大火事にもなりかねない。ロベリアは慌てて止めようとする。距離を詰めて、フィリーナの両肩を掴む。
「ん?なんでロベリアがいるの?邪魔しないで、今楽しんでるんだから」
「そういうわけには参りません!」
「なんで?ロベリアも止めるの?大人たちと同じなの?一緒になって、フィリーナのことを責めるの?……フィリーナのこと、おかしいって!」
感情が爆発したフィリーナは、乱暴にロベリアを引き離そうとする。そう、感情が荒立っていたフィリーナだったからこそ。
「―え」
―炎の力を。燃え盛る炎の力を。
フィリーナを案じて止めようとしてくれたロベリアにぶつけてしまった。ロベリアの肩を掠め、彼女の皮膚を焼いてしまった。痛みをこらえるロベリアにフィリーナは触れる。
「あ……」
ロベリアの体温、そして彼女の患部からの熱。これは現実のものだ。
「……?」
手当に駆け寄ろうとしたアマリアだったが、視界が揺らぐ。一瞬の事ながらも強烈なものだった。そして、愕然とする。
「ああ……」
フィリーナが放った炎が植物に燃え移った。あれだけの美しさを誇っていた庭園も焼け落ちていく。呆然自失のフィリーナと火傷を負ったロベリアを担いでアマリアはその場から離れようとする。―そこで舞台が暗転した。
暗転後。姿を現わしたのは侯爵や夫人、そして屋敷の使用人達だった。場所は庭園のままだ。だが、信じがたい光景だった。あれだけ燃やし尽くされた庭園が、綺麗なままだったのだ。それは夢だった。フィリーナが見た夢の中での出来事だった。だが、ロベリアはというと。
「……なんてことをしてくれたのだ、フィリーナ!」
「侯爵様、わたくしは大丈夫でございます」
服の下には包帯を巻かれている。よそ様の娘、それも令嬢に火傷を負わせてしまったのは現実だった。
「……」
フィリーナは虚ろなまま、視線をさまよわせている。反省の色のない態度に、周囲の反感を買い始めている。庇うように立つのはロベリアだ。
「幸い、軽傷との事でした。―傷も」
密かにフィリーナを見る。彼女を見たあとロベリアはしばらく沈黙し、こう口を開いた。
「……いえ、わたくしの傷は残ってしまうと」
「あああ!本当に申し訳ないわ……!」
夫人は泣き崩れてしまった。それを遠い目で見ていたのはフィリーナだった。
「……フィリーナ?……フィリーナ!貴女はまだ彷徨っているというの!?貴女の無二の親友が、貴女のせいで傷を負ったのよ!それなのに、貴女という子は!まだ夢の中にいるとでも言うの!?」
「……そのへんにしておきなさい。さあ、立てるかね」
悲しみにふける夫人を侯爵は抱き起す。使用人達も遠巻きにみている。ロベリアも俯いたままだ。誰も、フィリーナに近寄る事などない。フィリーナは一人だ。
「……怖いわね、ああして目にすると」
「だから、夜閉じ込めておくようにって仰せだっただろうに。誰だったんだ、今夜の担当は」
「―これだから『隕石症』は」
遠くにいながらも、幼い少女に中傷を向ける。アマリアは理解する。
―フィリーナは隕石症なのだと。
どこからが現実で、どこからが夢かがわからない。そして夢遊病のごとく。学園で名高き令嬢が隕石症を患っていたのだ。観客席もさぞどよめいている事だろう。
「フィリーナがロベリアを傷つけたの……」
フィリーナははっとした。ようやく意識が覚醒したようだ。そして、自身がした事にも気がつく。そして、今が現実である事をしってしまった。
「……ごめんなさい」
ぽつりとフィリーナが言う。それからは堰を切るかのように、連呼し始める。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい―」
大切な友人を傷つけた事。自分ではどうしようもない事。そして、自分が隕石症である事。何から何まで申し訳なくなってしまった幼い少女は、目に涙を浮かべながらも謝罪し続ける。
その痛ましい姿に、もう誰も責める事などなかった。アマリアも胸を痛めていた。本当なら側に寄って抱きしめたいくらいだった。だが、悪役である今はそうするわけにはいかない。せめて、ロベリアくらいは味方をしてくれないか、と目を向けてみる。
「……?」
その時のロベリアの表情は―。