没落一家の温かな日々
全ての生命の源。そして、恵の象徴といえる大樹。その大樹を要する国に隣接するのはノーヴァ王国。大樹の力の恩恵を大いに受けることが出来る国の一つでもあった。
かつてこの国はヴィレディアマントという名だった。建国の英雄の名前が由来であり、その彼の一族がこれまで国を治めていた。だが国王が退き、新たな女王が統べる国となったばかりだ。国が変わるまで、それこそ多くの諍いがあったようだ。
「ふう……」
耳にかかるくらいの黒髪の少女が、かついだ収穫物をいれた籠を地面に下ろす。額の汗を拭いながらも、オレンジに染まる一面の畑、そして夕焼けを眺める。風が少女の頬を撫でる。少女は季節を感じ取った。もうすっかり秋なのだと。
少女の名はアマリア・グラナト・ペタイゴイツァ。
こうして農作業に勤しむ彼女ではあるが、れっきとした子爵令嬢であった。父親譲りの漆黒の色の瞳を有している。比較的長身であり、そして端麗な顔立ちの少女。普段は凛としており、近寄りがたい空気を醸し出している。それは顔面土まみれの今もだ。
彼女はれっきとした子爵令嬢には違いない。だが、世の令嬢が暮らしている華々しい世界とはほぼ無縁で生きてきた。領地の畑を耕し、家畜の世話をする。貴族としての教養は最低限受けてきたが、ここ最近は専ら土に触れている事の方が多い。
「皆さん、本日もお疲れ様でした!」
同じく収穫に追われていた農民達に、アマリアは今日も声をかける。彼らはご機嫌に手を振り返してくれた。それぞれの帰っていく彼らをアマリアは見ていた。幼少の頃から世話になってきた彼らは、もはや身内同然だった。
国の都より遥か南方に位置する、侘しい港町をアマリアの実の父であるペタイゴイツァ子爵が治めている。漁業と農業、そして少しばかりの観光客で成り立っている街だ。
お世辞にも財政は豊かとはいえない。けれども、慎ましやかながらも人々は笑って暮らしていた。
国の中枢は未だにごたついていたとしても。この南方の呑気な領主が治める田舎町にとっては、どこか遠くの話。日々の暮らしに追われていた彼らは、今日もあくせくと働き、日々を過ごしていた。
「ねえさまー!」
「おむかえにきましたー!」
遠くから走ってくるのは、ほぼ同じ顔の、そして七歳に満たない幼い黒髪の子供達だ。双子でもあり、アマリアの弟妹であった。姉の元に近づくと、一斉に抱きつく。
「そう、ありがとう。今日はマーサさんにどのようなこと教わったの?」
マーサは熟練の乳母だ。ペタイゴイツァ家の幼児の面倒や遊び相手、そして教育係を担ってきた。アマリアも当然お世話になった。今でも彼女には頭が上がらない。
「あのね、きょうは、おほしさまのことおしえてもらったの!」
「あのね、ほしにもね、おはなしがあるんだって」
「そうなの。いいわね、私にも聞かせてもらえる?」
その言葉に、幼い二人の目が輝く。拙いながらも、姉に語って聞かせていた。アマリアも嬉しそうに耳を傾ける。
「―それでね、とおさまがね、またおこられていたの」
「かあさまもね、ずっとおこっているとおもったの」
「そ、そうなの。あの二人は本当にもう……」
星々の物語はどこか行った。こうして話が脱線するのもいつもの事だった。両親の夫婦喧嘩もそうだ。だが弟妹の前では控えてほしいと、アマリアは頭を抱えた。
「ああ、でも仲直りはしたのかしら」
ずっと怒っていると思った。その発言からして、あの二人の喧嘩を止めるような何かがあったのだろうか。その姉の疑問に妹の方が無邪気に答えようとする。
「そうなの!あのね、ねえさま!びっぐにゅーすなの!」
「あっ。まだいうなよ」
「あっ、そうだった。おやしきにかえってからの、おたのしみ!」
「あら?教えてくれないの?」
いつもなら屋敷の玄関で出迎えてくれるのに、こうして迎えにくる事自体が珍しかった。余程重大なニュースのようだ。今もこうして言いたいのごらえている二人をみて、アマリアはついからかいたくなってしまった。
「だめだめ、ねえさまをびっくりさせるの!」
「ほら、ねえさま。かえろう!」
「ふふ、そうね。楽しみね」
姉を挟むように並んで手を繋ぎ、そうして三人は帰路につく。
ペタイゴイツァ家は日々の暮らしを送るのに精一杯である。ゆえに、この古ぼけた屋敷が手入れされる事はそうそうない。かつては美しさを誇った庭園は、今や雑草が生い茂っていた。建設当時は格式高かった洋館も今や無残なものだ。壁もところどころ剥がれている。
「たった数日で……」
アマリアは落胆した。つい先日、無心に雑草をむしったばかりだというのに。すっかり元通りだった。その雑草達の繁殖力に彼女は絶望していた。
「どうしたの、ねえさま?こわいおかお」
「はっ!そうね、いけない、いけない」
姉として何という姿を見せてしまったのか。そして、二人に心配をかけてしまった事を反省する。それに、そろそろ重大なニュースとやらを打ち明けてくれる事だろう。二人も顔を見合わせて、頃合いだと話を始めようとしている。
「……?」
どうやら屋敷が騒がしい。玄関口で人の出入りが激しい。中には見知らぬ顔も多くあった。面識のない相手達だ。身なりからして、相応の身分の人物もいる。失礼ながらも父親の交流相手にいるとは思えないほど、格式の高そうなご当人だ。弟妹達も気圧されたのか、緊張しているようだ。固く口を結んでいる。
「ん?」
身なりの良い中年男性に一瞥される。アマリアは会釈しようとするも、相手はすぐさま顔を背けて歩いていった。そしてそのまま屋敷の中へと入っていく。アマリアは屋敷に出入りしている領民とでも思われたのだろう。顔面も衣服も土汚れが際立っている事もあってのようだ。
「……」
ただ気まずいアマリアだったが、一人の青年が屋敷から出てきた。
「ごきげんよう、皆様」
「ごきげんよう」
そう告げた温和そうな青年と目が合う。この青年も父の来客だろう。アマリアは失礼がないように、片方の足の膝を曲げ、農作業のズボンの裾をつまんで挨拶をした。相手もそれに応える。
陶器のような白い肌に、そして特徴的なのはその瞳の色だ。新緑を彷彿させる緑色の瞳は、とある国を除いてはそう存在するものではない。
世界の根源である大樹を要する信心深い国。アルブルモンド。この国と隣接した国家だ。交友が盛んである国とはいえ、このような僻地に来る用などあるのだろうか。
「―さて、我々は失礼させていただきましょうか。ああ、そうだ」
元々屋敷から出てきたところだった。と、何か思い当たったかのか青年は懐から何かを取り出す。そして、幼な子達と目線を合わせるように身を屈んだ。
「お近づきの印に、こちらはいかがかな。お口に合うといいね」
「わぁ……」
彼の国の伝統の焼き菓子を二人に渡した。可愛らしく包装されたそれらに、二人は笑顔となる。アマリアは困惑するが、受取を遠慮するなど選択できない。そして、礼をしなくてはと、弟妹は会釈した。
「あ、ありがとうございます」
「ありがとうございます!」
「はは、気に入ってくださったようだ」
当初の重苦しい空気も和らいでいる。すっかり心を許した弟妹達は彼に懐いていた。アマリアは相手に失礼だと諫めようとしたが、青年に止められた。その事で怒る人物ではないと彼女は察した。
「ご配慮、痛み入ります」
「いやはや、長い付き合いになりますから。―本日はご挨拶にと訪れました」
長い付き合い。すっかりいつもの調子に戻った弟妹は、そわそわとしている。そして、幼くともある程度身は弁えている。重大ニュースを語るのは自分達ではない、と大人しくしていた。そわそわはしているが。
「さようでございますか」
「ええ。一度失礼しますね。港の方も足を運びたいものでして。この町をよく知りたくてね。―『彼女』を育んでくれた町ですから」
挨拶を交わし、青年は迎えにきた馬車へと乗り込んでいく。。その姿が見えなくなるまでアマリア達は見送っていた。
「あのかたなの」
「あの方って?」
「ねえさまのことがすきって。そういったの」
「ねえさま、オッケーしたんだ!」
「ええっ!?」
自分でも予想外の大声を出した事に、アマリアは驚く。びっくりして涙目になった弟妹を慰めつつも、彼女自身は混乱しきっていた。
だが、彼女は頭を整理する。話の流れから推察すると、自身のすぐ上の姉上の事だろう。儚げでこの領地随一の美女だ。その姉が先程の異国の男性にまず婚約を申し込まれ、そして承諾したという事だろう。
相手は格上だろう。断るわけにもいかなかったのだろう。けれど彼女は本当は―。
「姉上……。いえ」
姉に対して思うところはあったアマリアだったが、いつまでも土に汚れたままではいられない。アマリアは二人に話しかける。
「……さてと。私、身支度整えてくるわね。二人は先に戻っていてくれる?」
「はーい」
「あとでね、ねえさま!」
二人はいそいそと屋敷へと入っていった。この騒がしさから、相当の来客が来ているのだろう。領民だけならばいざ知らず、先程の侯爵のように失礼があってはいけない人物もいるかもしれない。
アマリアは足早に裏に回り、屋敷の裏口から自室へと向かうことにした。
自室に着くと、滅多に使わない自室のシャワールームで汚れを落とす。体を清めると、手早く髪を乾かす。クローゼットを開き、コルセットを着用し、上質のドレスを手にとって着替え終える。数少ない彼女の一張羅だ。鏡台の前に座り、化粧を施す。
「……ふう」
ここまでやっておいて何だが、アマリアは気が進まなかった。それでも体裁の為、身なりをきちんとする事にしなくてはならない。それでも乗り気ではない。彼女がこうも気が進まないのにも理由はある。
時間が迫る。いつまでもこうしてはいられない。アマリアは気合を入れ直して、鍵を手にして長机の引き出しを開ける。そしてある物を取り出す。
「―よし」
自身の髪質に似せた、長髪のウィッグだった。それを頭に被り、アレンジを施していく。農作業する時には邪魔になる、その理由で髪を切った彼女。だが、たまに必要となるので、こうして大事に保管してある。
「あ……」
引き出しの最奥の存在に目線が向いてしまう。そっと触れたのは。
「……お元気かしら」
小さな箱から取り出したのは指輪だ。それは大切な存在からもらったものだ。彼はアマリアにとって―。
「え……?」
自分にとってのところでアマリアの思考は止まる。この指輪をくれた人物は。その人物の名前は。―どうしたことか。アマリアは思い出そうとする。
「……っ!」
アマリアは頭が痛み始める。痛みと共に意識が薄れゆく。
「彼は……、彼は誰だったの……?」
自分でも何を言っているのか信じられなかった。あれだけ大切に閉まっていたのに、それをくれた相手の事が思い出せないなど。
「……?」
アマリアはふと指輪に触れる。あ、と口からこぼれた。
「そうよ……彼は、私の婚約者。彼がくれた大切な……」
婚約指輪だった。
アマリアはゆっくり記憶を辿っていく。
彼は家同士が納得の上で決めた婚約者だった。相手は代々続く伯爵家、それも今も繁栄し続けている。かたや一方は没落した貴族。不釣り合いな婚姻に思えたが、どうしたことか祖父の代である約束をしたそうだ。
『正統なるペタイゴイツァ家の長女をもらい受ける』
それは父の代では叶わなかったが、次の代でそれは成された。
なぜ、自分なのか。姉ではないのか。
「……」
アマリアは手鏡で自分の顔を見る。彼女の生まれ持ったものが答えだった。
出逢いはいつだったか。親に紹介されたのは何歳の時だったか。
「随分と昔なのよね。……そう、そうよ。出逢ったのはあの時。でも、最初に出逢ったのは……」
婚約指輪は、彼が遠くの学園に入学する前にくれたものだ。将来が有望視されていたのだろうか、彼は北方にある名門校にて学ぶ事になった。
「そう、将来を期待されていたから。……本当にそうだったかしら」
彼はアマリアより一つ上、アマリアの姉と同い年である。あと一年足らずで卒業となっていた。彼が卒業したあとは―。
「……これは、さすがに決まりきっているわね。両家を繋ぐことになるもの。―私は彼の家に嫁ぐ。そう、昔から決められていたから」
家同士の婚姻。そこに当人達の意思も、気持ちもない。そう決められてきたから。
「彼は優しくて素敵な方だもの。私には……過ぎたお相手。それ以上望む事あるわけないじゃない。……ええ、大丈夫」
記憶は確かだ。先程の事に不安は残るも、ひとまず彼の事は思い出せた。今はまだ奥で眠っていてもらおう。そう考えたアマリアは箱の中に指輪をしまい、再び引き出しの鍵を閉めた。
見た目は美人の部類ですが、彼女、変に迫力があります。
あと声が大きいです。