完璧な令嬢の本当の姿。
異形達を振り切り、着いた場所は豪奢な屋敷だった。曲線が特徴的な建造物には多彩な装飾を施され、数多のモチーフが彫刻されていた。おそらく、アインフォルン侯爵邸、彼女の生家だろう。
鎧を着た門番が入口で待ち構えている。黄金の鎧を装着し、手には頑強そうな槍を持っていた。強行突破は危ぶまれるだろう。門番の一人が身を潜めるアマリアに気付く。
「―賊だ!捕らえよ!」
「!」
門番が応援を呼ぶ。アマリアは裏手に回って、別の侵入ルートを探すことにした。外側からくまなく探すと、焼けて朽ちた外壁を発見した。人為的によるもののようだ。アマリアは剣の柄で殴って破壊させる。
破壊によって生じた穴を通り出たところは、庭園だった。だが、名家の庭園らしからぬ荒れた状態だった。植物達は焼け焦げ、水が止められた噴水は今にも崩れ朽ちそうだった。もう人の手が入ってないような場所だった。アマリアはその惨状に目を背けながらも、先に進む事にした。
屋敷の内部に入る。立派な身なりの男性達が廊下を歩いていた。兵はいないようだが、見つかっては厄介だろう。廊下の陰から様子を探っていたが、一人がアマリアがいる方に向かってくる。アマリアはその場から離れようとしたが。
「……こっち来て」
「!?」
小さな手に引っ張られ、アマリアは部屋に連れ込まれた。子供部屋のようだ。天蓋付きのふわふわのベッドの側には鳥かごがあった。中にいるのは、黒い小鳥だ。他にも特大のぬいぐるみ達がベッドに並べられている。
「本当は見捨てようと思った。ただ気が向いただけ」
「ありがとう」
「お礼とかやめて。見捨てようって言葉、聞こえてなかった?」
急ではあったが、助かったのは事実だ。アマリアはその小さな救世主に視線を合わせるように屈んでお礼を言う。
「……あなた、本当にこんなところまで来たんだ」
「フィリーナ様……?」
幼い姿ながらも面影は残っている。目の前の少女は確かにフィリーナだった。
「……勘違いしないで。あなたのことは気まぐれで助けただけ。わたしはこの物語を続けなくてはいけない。帰って。もう、邪魔しないで」
フィリーナは不思議とわかっているようだった。自分がこの舞台の主役であると。そして物語の結末を迎えた先もだろうか。アマリアがその言葉を飲むわけがない。
「……それはできないわ」
「それなら、賊が来たと大声あげるだけ。……だから、お願い。あなたは帰るべきなの」
「フィリーナ様!」
「な、なに?」
大声を上げたのはアマリアの方だった。そして、幼いフィリーナの手をとる。
「……そうして、いつも私達を守ってくださっていたのね。些細な事だと、そして興味などないといった体で、けれど実際は今も、こうして私も守ってくださっている」
「……なんのことやら。でもそう言うのなら、あなたも鳥かごの中のままでいたらよかったのに」
「それは、できないの。……私は、本当はあなたを」
フィリーナにこう耳打ちする。―あなたを助けにきた、と。フィリーナの大きな瞳が見開かれる。
「……」
アマリアから手をそっと離すと、フィリーナは立ち上がった。そして部屋から出ていく。そのフィリーナの一連の流れにどきりとするアマリアだったが、フィリーナは何てことなく部屋に戻ってきた。
「これ、着て」
そう言って手渡されたのは、この屋敷で働くメイドの制服だった。何の事だかわからないアマリアに対し、フィリーナはため息交じりで説明する。
「いちいち兵に絡まれたいの?変装なんてお手の物じゃない、悪役なら」
「……その通りね」
アマリアはメイド服を受け取り、そして天蓋付きのベッドの裏で着替えを済ます。それを見守ったフィリーナは先行して部屋を出ていく。彼女は物語を続ける、と口にしていた。何か転機となる場面が来るのかもしれない。アマリアは令嬢に付き従うメイドとして、フィリーナの後に続いた。
屋敷の大広間では夜宴が開かれていた。楽団による演奏に酔いしれながらも、人々は踊る。盛大な賑わいをみせていた。
「おお、フィリーナよ!」
ご機嫌な侯爵は愛娘のフィリーナを迎え入れる。駆け寄ってきた娘を侯爵は抱きしめた。次は隣の婦人にも甘えるように体をすりよせる。それを微笑ましそうに見守るのはゲスト達だ。愛されて育ったのだとわかる情景だった。
「フィリーナ様は本当に愛らしいわね」
「フィリーナ様にも魔力は受け継がれたというじゃないか。いやあ、将来が楽しみだ」
「そうですね。この平穏もアインフォルン家あってのものですから」
アインフォルン家は、隕石の脅威から守った一族である。フィリーナもその魔力が受け継がれたようだ。この器量の良さに、魔力にも恵まれた彼女はどれだけ将来を望まれたのだろうか。どれだけ、期待を一身に背負ったのだろうか。
「……隕石」
アマリアはふと呟く。そう、アインフォルンと聞くとどうしても隕石の事が浮かんでしまう。
「おかあさま……」
フィリーナは目をしょぼしょぼさせている。体は幼い事もあり、本当に眠そうだ。客と接している母親のドレスの裾を掴む。
「あら、どうしたのかしら。フィリーナ?」
「……フィリーナ、もう眠いの。でも、一人じゃ怖い。おかあさま、一緒に―」
「ごめんなさいね、フィリーナ。母様はね、まだお客様の相手をしなくてはならないの」
「お願い、お母様。怖いの……」
「―そこのあなた。この子を寝かしつけてちょうだい」
フィリーナの母はドレスを翻す。娘の縋る手を払うかのようだった。不安になっている娘に対してすることだろうか、とアマリアは眉を顰める。それも、あれだけ人前では溺愛していおいてだ。腑に落ちない点はあれど、今呼ばれたのはアマリアだ。
「わた……くし、でございますか。はい、かしこまりました。奥様」
今の自分はメイドだ、とアマリアは切り替える。切り替えたのはフィリーナもだった。いつもの事だと冷めた口ぶりで加えた。
「おや、もうおねむさんかな?おやすみフィリーナ、良い夜を」
「おやすみなさい、おとうさま」
メイドのアマリアの手をとったまま、愛らしく会釈する。それを優し気に見る父親だったが。
「……あなたは今の内にどっか行って。わたしが理由こじつけるから」
「えっ……」
アマリアの理解が追いついていない内に、フィリーナはアマリアから逃げるように、老婦人のところへ。
「やっぱり嫌!フィリーナ、ばあやがいいの。おかあさまが無理なら、ばあやがいい!」
「あらあら、フィリーナ様」
そう駄々こねると、老婦人に抱きついて離れようとしない。可愛い我儘だと失笑されつつも、老婦人と共に寝る事にしたようだ。メイドアマリアは御払い箱となった。せめて不自然と思われないように、メイドの仕事をしながら退場しようとしたアマリアだったが。
「―朝まで閉じ込めておけ。決して出さないように」
そこに父の顔などない。冷酷な表情をした男がいた。老婦人も手筈がわかっているようだ、静かに頷いた。
「なんてこと……」
あれだけ優しい眼差しを向けていたではないか。それが一変して冷ややかなものとなる。それをいつもの事と言っていた彼女は、どんな思いをしてきたのだろうか。
フィリーナは舞台を完遂する為に役になりきっています。
それでも、アマリア、悪役の登場により思うところはあるようです。