彼女が選んだ役
舞台の闖入者に対しても、フィリーナ達は無反応だった。反応したのは一人のみだ。
「……アマリア。えっと、元気?」
舞台へと上がりこんだアマリアを出迎えたのは、支配者だった。宙から降りた彼は歩み寄ってくる。気まずい別れをしたあとなので、彼はどう言葉をかけたら良いか迷っているようだ。
「……慣れ合いなど、不要でしょう」
今も操られるかのように踊り続けているフィリーナを横目でみる。彼女の事もそう。そして目の前にいる支配者の事もそうだ。あれこれ考えていたが、それをアマリアは一旦やめた。クロエが言ってくれた事もある。単純な思いだ。
―気がつけば、舞台へとやってきていた。それが、アマリアの望む事だ。
「私は彼女を助けたい。それだけ」
それが一番、今彼女が望むことだった。
「……そう。でもね」
「……!」
支配者は賛成も反対もすることなく、観客席を見るように促す。かつてみた風景とは異なっていた。自身の公演の時とはやはり観客数が違う。―そして今回も歓迎されていない事がわかった。ブーイングが増していく。
「今のきみは、ただの乱入者。異質な存在だからね」
「それは……」
さすがにアマリアも、ここは支配者の言う通りだと思った。
「そうなると……」
令嬢として、前の公演の時のように振り舞えばよいのか。ウイッグがある今ならそうする事も可能だろう。アマリアは選択を迫られていた。また、令嬢を演じるのかと。
「……フィリーナ様。あちらのご婦人、『ご令嬢』でなくて?」
「まあ!わたくし達の『お仲間』かしら!」
鉄製の鳥かごに納まった令嬢たちが、格子の部分を掴んでは荒々しく揺らしている。興奮しきっているようだ。踊り続けていたフィリーナもアマリアの存在に気がつく。そして、ゆったりとした動きで近づいてきた。このままでは、フィリーナに囚われてしまう。後ずさりしたアマリアに対して、フィリーナは。
「……あなたもあの子たちと『一緒』。わたしの『わたくし』を拝めていればいいの。そうすれば、わたしが、あなたの前に立つから。……ちゃんと、表立って。あなたたちを守るから」
「フィリーナ様……?」
感情のない瞳でアマリア、いや、目の前のか弱き令嬢に向けて告げる。いつもの喋り方とは違い、幼さも感じ取れる。これが、本当のフィリーナなのだろうか。
「ほら、みんな一緒だよ……?」
フィリーナが指で示したのは鳥かごの中の令嬢達だ。彼女達もまた、フィリーナが矢面に立って守ってきた少女達なのだろうか。
アマリアは思い返す。自身の秘密を暴露したのも彼女の信者らが先立ってやったこと。そして、侯爵令嬢の笠を着てやりたい放題だったのもか。それを自分に有責があるとして被っていたのが、フィリーナだったのだろうか。
誰よりも美しく、そして完璧で慕われている侯爵令嬢であるべきだと。フィリーナはそうであろうとしていたのだ。今もこうして踊り続けている彼女は、それをやめる事はないだろう。
「……フィリーナ様はきっと、最後まで。―皆の『フィリーナ様で在り続ける』のですね」
フィリーナはアマリアの問いに答えることはなく、ただ彼女に対し手をかざす。
「なんと!」
アマリアの周囲に鉄の枠が形成され、やがて鳥かごとなる。アマリアは他の令嬢同様囚われてしまった。彼女達と同じ、令嬢として。―フィリーナに庇護されし令嬢として。
観客たちのブーイングが鳴り止む。これでアマリアもようやく異質な存在ではなくなったのだ。フィリーナの舞台の一部として、アマリアは歓迎された。アマリアを否定する声もない。
「アマリア」
「!」
宙を飛びながらやってきたのは、支配者だ。そして、アマリアに近づくと小声でこう告げる。
「―詰んだんだよ、きみは。アマリアはこの舞台じゃもう、ただのモブだ」
「モブ……」
「まあ、安心してよ。これは悪夢みたいなものだ。目が覚めたら忘れる」
「!」
「といっても、閉じ込められっぱなしってのもやだよね。待ってて、ぼくが―」
支配者が何か言っているようだが、アマリアの耳には届いてはいない。アマリアは考える。自身にとっては悪夢であり。眠りから覚めれば解放されるもの。だがフィリーナは。
「……フィリーナ様は」
フィリーナは違う。彼女はこのままでは消失してしまう。―取り返しのつかない事になってしまう。
「……そんなの嫌!」
「アマリア、何して―」
そう叫んだと同じに、投げ捨てたのは自身のウイッグだった。アマリアは今、肩に届くかくらいの黒髪の姿となった。故郷では好んでしていた髪型であり。―そこに在るのは彼女本来の姿だった。
「……お生憎様、ここにいるのは令嬢なんかじゃないわ」
ウィッグを脱ぎ去った事により、いつもの畏まった口調も、そして丁寧に接する態度も捨てきっていた。
「私はこの物語を壊しにきたの。そして」
驚いたままの支配者を横目でみる。彼はかつて言っていた。学園にそぐわない生徒に対して罰を与えるのが役目だと。彼に結末を委ねてしまったら。―その存在は失われてしまう。かつての彼女の婚約者の時のように。
「―そちらのご令嬢を罰するのは、この私よ」
「……アマリア」
「……納得、させられればいいのよね。前も本当なら―」
婚約者を救出し、そして二人で力を合わせて乗り越えようとしていた。本当ならあのまま結末を迎えられたかもしれなかったのだ。そのことで支配者に対しては恨みもするが、今は少しでもプラスになるものを考える事にした。
観客達を納得させ、そして物語の結末をアマリアによって導く。それが、フィリーナを救う道になるのだと、アマリアはそう信じることにしたようだ。
観客達はブーイングに混じって戸惑いの声も上げていく。物語を壊すとのたまい、自分は令嬢でないと言う謎の少女。では、何者なのかと。
「私はその令嬢を懲罰しにきた者。―悪役ととってもらって結構よ」
本当の意味でフィリーナを救えるのなら、悪役だって厭わない。アマリアの瞳に決意が宿った。
「……囚われたままのくせに、何を言っているの」
冷めきった瞳で言ったフィリーナは、背中を見せる。だが、鉄が砕け散る音で彼女は足を止める。
「―そうでもないみたいね!」
アマリアの決意と共に、彼女の胸元が淡く光る。その光は壊れた婚約指輪によるものだった。それを見て驚愕したのは支配者も、フィリーナも。そして舞台を見守る観客達もだろう。
どうしてだろうか、思い出も記憶もない『彼』の存在をアマリアは感じ取れた。彼が、力を与えてくれる。そして手元に現れたのは雪を模したような青白く光る剣だった。その剣を振りかぶる事により、アマリアは鳥かごを破壊したのだ。放たれたアマリアは地面に華麗に着地する。
「……!」
フィリーナは指を鳴らすと、鳥かごから少女達を解放する。可憐な令嬢達が見るも無残に異形へと変貌していった。アマリアの道を阻む異形達。それに乗じてフィリーナは逃走していく。彼女を追いかけるには、この異形達をどうにかしなければいけないようだ。
「アマリア!」
このような時に呼び止めたのは支配者だ。忌々しく思いながらも、相手は必死な顔をしていたのでアマリアは話を聞くことにした。周囲を見渡せば、異形達の動きも止まっている。止めているのは支配者だろう、今更彼のする事にアマリアは驚かない。
「……本当に、きみ一人でやる気?」
「ええ、ご心配なく。もしかしてご助力願えるのかしら?悪役として、この際手段は選ばないわ」
「それは、できない。ぼくはぼくが納得する結末しか選びたくない。それに、……きみが悪役なんて嫌だ。ぼくは反対だよ、アマリア」
「……でしょうね。いいわ、どのみちあなたには委ねられないものね」
話は平行線のままだ。これ以上時間を割くわけにもいかないと、アマリアは走り出そうとするが。
「―今夜限りだよ」
「……なんですって?」
「チャンスは今夜限りだ。夜明け前にきみが物語を終わらせなければ。―ぼくが結末をもらう」
「……」
やり返しのきかない一度限りの公演。支配者がその気になってもそうだが、フィリーナの事もある。フィリーナはアマリアと違い、あがくことすらないだろう。このまま物語の闇の中へと消えてしまいそうだ。どちらにせよ、時間は限られていた。
「―構わないわ。せいぜいそちらで見てなさい」
「……そう。じゃあ、再開しようか」
その一声で異形達はアマリアに襲いかかる。アマリアは一呼吸する。
「……大丈夫、今の私ならやれるわ。堂々となさい、アマリア。―悪役でしょう」
剣に祈りをかける。そして、異形達を見据えるとそのまま剣を薙ぎ払う。怖れてなどいられない、と堂々とした様に観客達の歓声が上がる。勢いを味方につけたアマリアは猛進していく。