ホットミルクと彼女の思いと
「……」
今宵も眠れないアマリア。彼女の目は冴えたままだ。どうしてこうも寝付けないかと、自身と問い詰める。
「私は……」
心の奥底では怖れているのではないかと。自分が行ったところで、何が出来るのだろうかと。―『彼』を救うこともできなくて。そしてあの支配者の情けによって消失せずに済んだ自分が。
「……気分、変えましょう」
物音を立てないように、アマリアはダイニング室へと向かった。
ダイニング室に来たアマリアは冷蔵庫の前に立つ。冷蔵庫には常備している牛乳があったはずだ。それを温めて飲むことにする。牛乳瓶を手にしたところで。
「―あー、悪い子発見」
「!?」
驚きのあまり大声を出しそうになるも、アマリアはどうにか飲み込む。何事かと後ろを向くと、悪戯な笑みを浮かべたクロエがいた。勝手に飲もうとしたのがまずかったのか、とアマリアはびくびくしていたが。
「ああ、違う違う。こんな遅い時間まで起きている子って意味。まあ、いいけどね。私もそうだし。―それ、ごちそうになりたいな」
「ええ、お待ちくださいね」
「まあ、今夜だけね。私もいつもは自分の部屋にちゃんといるし。……本当だよ?」
クロエはお礼を言って、テーブルへと戻っていった。手元にある書類の束を確認しては、印をいれていた。彼女いわく、自室よりは集中出来るとの事だった。就寝時間を破っているのは、お互い様だと互いに目を瞑ることにしたようだ。
「どうぞ、クロエ先輩」
「うん、ありがとう」
クロエも手を止めて、ホットミルクを受け取る。アマリアも彼女の向かいの席に座って、それを口にした。その甘味は心を落ち着かせてくれる。今なら、眠れるだろうか。今なら―。
「……アマリアさん、思いつめてない?」
「それは……」
ホットミルクの温かさに心は落ち着けたはずだ。けれど、それが眠りにつながることはなかった。こうした今もアマリアの心は落ち着かないままだった。
「悩み、あるよね。でないと、こんな時間まで起きてなくない?」
私は仕事だけど、とクロエは付け足す。アマリアは答えに迷った。クロエが寮長としてでも、心配してくれているのはわかる。
「……まあ、私でよければだし、別に私相手じゃなくてもいいし」
「申し訳ありません、クロエ先輩……」
劇場街のことをおいそれと話すわけにはいかなかった。そして、フィリーナの事も。
俯くアマリアに対して、クロエは優しく語りかけた。
「ああ、いいのいいの。逆にこっちが申し訳ない気するし。……あのね、アマリアさん。単純に考えてみれば?たとえばさ、あなたはどうしたいの?」
「わたくし……?」
「うん、アマリアさんがどうしたいか。すぐ決断しなくてもいいと思う。とりあえずさ、あなたが何を望んでいるのか。まあ、周りの目とかもあるけどさ、自分がどう思うかは自由じゃない?」
「わたくしが……」
アマリアは自身の胸に手をあてて考える。自分が何を望んでいるのか。
「わたくしは……」
自身の望みについて。婚約者である『彼』に再会する事。そして、家族。そう、彼女にとって大切な家族の元に戻る事だ。他に望む事となると―。
「……さてと。ホットミルクのお礼でもしようかな」
クロエは立ち上がってはキッチンの戸棚へ、そして戻ってきた。彼女が手に持っているのは焼き菓子だ。彼女の故郷の名産であり、とっておきだという。恐縮しつつも、アマリアはお礼を伝えてから頂くことにした。
「―頑張ってね、アマリアさん」
「クロエ先輩……」
一瞬見透かされている気がした。だが、クロエには事情はわからないだろう。ただ、励ましてくれる心は本物だ。アマリアは改めてクロエに感謝した。
自室のドアを開き、そのままベッドに寝転ぶ。
「……すう」
この感覚は眠りに落ちていくものだ。アマリアはようやく深い眠りの中へ―。
騒々しい空気をまとう劇場街。今宵は殊更騒がしかった。生徒達も同じ方向に足早に向かっている。
「どうも」
「……あなたは」
劇場街でよく会う金髪の少年だった。まさか入口ですぐ会えるとは思っておらず、アマリアは一驚する。ひとまず心を落ち着かせ、彼に対し挨拶をする。
「あんたを待ってた。ここ最近、会えずじまいだったから」
「仰る通りですね。ご無沙汰しておりました」
「うん。ついこの前は、あんたが来ていたのはわかった。ウサギと取っ組み合ってたし。けど。そのあと爆走してて、そのせいであんたを見失った。その次の日は、来てすらいなかったし」
「それは、大変失礼を―」
「劇場街でくらいしか、あんたには逢えない。―だから、待ってた」
「さっ、さようでございますか……」
臆面もなく少年はそう言った。アマリアも何ともいえない気持ちになるも、切り替える。今は生徒達が向かう先の方が気がかりだ。その先はアマリアも想像つく。おそらくその劇場は―。
「……まあ、いいけど。あんたが行くなら、俺も行く。他に気になるのもないし」
「ええ。参りましょう!」
急ぎ足で二人が着いたのは、あのおどろおどろしい洋館だ。案の定人だかりが出来ていた。今夜は立て看板は表記されていた。ランプも点灯されている。
―二つ星公演。『最高の令嬢、フィリーナ嬢』。
「そんな、フィリーナ様……」
アマリアは悲痛な思いで一杯だった。彼女もかつての自分と同じような目に遭おうとしていたのだ。
「二つ星、か。相当注目されているな」
「あ……」
一つ星だったアマリアより星が多い。より注目されており、観客の数も多いようだ。このロビーもそうだ。凝った内装になっている。ロビーを抜けて二人は舞台の前へ。アマリア達が並んで座る。豪華な造りの客席もそうだ。―アマリアの公演よりスケールが大きなものとなっている。まさしく、格上の公演だ。
開演のブザーが鳴り、舞台の幕が上がる―。