プロローグ③ 迎えてしまった結末の先にあるもの
気がつけばあの広場に少女は立っていた。少女は呆然としていた。いつもの心の準備もなくここへと自分は来てしまったのだ、と青ざめる。
今日も異形達が騒ぎ立てている。その光景によって、少女はフラッシュバックしてしまう。それは断頭台にかけられた人物の事。そして、その凄惨な―。
「……しっかり、しなくては」
それでも気を奮いて立たせて少女は前を見据えようとする。そうして自身が救出したい人物に目を向けようとするも。
「!」
絶句する。相手の顔が、見えない。顔に黒い靄がかかっており、相手の顔がわからなくなっていた。少女の記憶の中でもそうだ。相手の顔を記憶を辿って思い出そうとする。けれどももう。―大切な人の顔が思い出せなくなっていた。
「あ……」
もう心も体もついていかない。その場で座り込んでしまう。
少女は―とうに限界を迎えていた。
「お姉さん」
「……?」
打ちひしがれる少女。そんな彼女の目の前に現れたのは、お馴染みの少年だ。こうも距離が近いのは初めてだが、少女は驚くこともなく、ただただ少年を見ていた。
「お姉さんはさ、頑張ったよ」
「……」
「うん。こんなに諦め悪い人、そうそういなかった。―だからさ、『結末』をぼくに委ねて」
「あなたに……?」
少年は優しく微笑み、そして手を差し伸べた。
「うん。……お姉さんは悪夢を見ていたんだ。だから、こんな悪い夢、ぼくが終わらせるよ」
「悪夢……」
「うん」
「私は……」
「お姉さんは、日常に戻りなよ。きみはただ迷い込んだだけなんだ。だからさ、日常におかえり」
少年の言葉が少女の胸に響く。これは悪夢だ。悪夢から解放されるには、彼の手をとるしかない。いや、彼女はもう。
―そうするしかできなかった。
「……終わるの、でしょうか?ようやく終わるのなら―」
「うん」
弱弱しくながらも、少女はその手に触れる。それが彼女の出した答えだと、少年は納得したようだ。
「―一瞬で終わるから」
「……」
「『ぼく』が終わらせる。それでいいよね、お姉さん」
「ええ……。もう、それがいい……」
少年の小さな手が少女の瞳をかざす。そのまま彼女の視界を閉じていく。そして少年は少女から離れていく。。
この少年がきっとこの悪夢を終わらせてくれる。それを少女は強く信じていた。それはもう見事に片を付けてくれるのだと。そして、この悪夢の幕を下ろしてくれるのは、この少年であると。
「あなたがこの悪夢を終わらせ―」
声に出した少女は大きく目を見開く。そして顔が青褪めていく。
「私は何を……!」
彼女は思い出した。それはこの少年と初めて出会った時の事だ。そして、彼が話した内容の事もだ。次第に彼女の頭がはっきりとしてくる。
「それは、それだけは駄目!」
駄目だ。それだけは駄目だ。断じてやってはいけないことだった。それなのに、それなのに彼女は。―縋ってしまったのだ。
「―今更、遅いよ」
少年が夜空に手をかざすと、現れたのは煌めく杖だった。少年は軽く振りかざす。あくまでも造作なく。それでも繰り出されたものはとんでもないものだった。
夜空から降り注ぐのは隕石。容赦なく異形の者たちに投げ与えていく。断末魔をあげながらも消滅していく。その様にどこからか歓声があがる。その歓声に応える少年が軽く手を振ると、さらに歓声は強まる。そして、彼に当てられる光はスポットライトのようだ。
「じゃあ、次はねー」
ご機嫌にもうひと振り、杖から繰り出された炎は広場をあっという間に覆っていく。異形の者達が全滅するのも目前だろう。
完全に彼の独壇場だ。
「待っててね、お姉さん。もう少しで終わるから。―ぼくの手でね」
「!」
―彼の手で結末を迎える。そうなら。そうなってしまったら、もう。
「それだけは、駄目!」
体が、心が悲鳴をあげていようと、今や少女にとっては足るに足りないものだ。まだ。まだだ。終わってないのだ。声を張り上げる。
「今のは違う。違うの、助けるのはこの私!」
「ええー……」
断頭台の周りの異形の者たちは残っている。少女は考えた。トドメを自分がさせさえすれば。まだチャンスが残っているかもしれない。この際手段など選んではいられなかった。
「お姉さーん、いいとこどり?」
少年の力の抜けた声と同時にブーイングが出る。これは少年の手柄の横取りに等しい。少年の正しく言った通りだ。まさに美味しいとこどりだ。手柄泥棒でもある。だが少女はもうそうするしかなかった。ブーイングは鳴りやまなくても、悪役と罵られても。―この少年だけにフィナーレを飾らせるわけにはいけないと。
燃え盛る広場を少女は駆け抜けていく。
「はあはあ……」
もう少しだ。もう少しで相手に届く。このままいけば相手を助けられる。断頭台の前の階段も駆けあがっていく。そして、ようやく。
―ようやくこうして目の前へと辿り着けることができた。少女は荒い呼吸を整え、待ち望んでいた相手にこう伝える。
「お待たせ。……遅くなってごめんね」
少女は相手にくだけた笑顔を向ける。心を許しきった表情だ。それを見ても相手の人物はまだ心配そうにしているようだ。満身創痍の彼女の事をだ。今にも倒れそうな彼女は、強がってでも笑みを絶やすことはしない。
「今、解除するから」
幸い、仕組みは簡素なものだった。本人にはどうにもできなくても、第三者なら外せそうな錠だった。
「えっと……」
触れようとした少女に対し、ブーイングは続いたままだ。相当彼女の非道さにご立腹だというのか。
「だめだよ、お姉さん」
「!」
あの少年がいつの間にか背後に立っていた。音もなくだった。彼が手にしていた魔法の杖のようなものは、近くに投げ捨てられていた。用済みとでもいわんばかりに。
「お姉さんの行動もよくないけど、そもそもの前提が違う。―その人は、『罪人』だよ。罪人が救われるなんて展開、誰が望むの?」
「罪人……」
「そうだよ、ねえ?」
少年が投げかけると、反響が大きくなる。少女にとってかけがえのない人が、悪人だというのか。それは彼女にとって納得がいかない事実だった。少女が首をかしげると、少年が落胆しきった声をだす。
断頭台の眼下に広がるのは、黒く淀んだ物体達。あの異形の者たちが復活したのだ。
「なんか、出てきちゃった。この展開に納得いかないみたい..。って、ちょっと」
そう言った少年は、視線を異形の者達から断頭台にいる人物に目を向ける。お構いなしに解錠しようとしていた少女に対し、咎めるような視線を送る。
「……お姉さん、何やってるの。意味のわからない事を」
「―わからないのはこちらです。こちらの方が罪人ですって?」
少女は毅然とした態度をとる。恐怖が消えたわけではないが、傍らにいる存在の為なら勇気を出せると。
「それはきっと何かの間違いでしょう」
「なにそれ……」
「―はっきりと思い出しました。あなただけはいけない。あなたの手だけは借りるわけにはいかないと。それなのに私は……」
不甲斐ない、とごちる。だが、気合を入れる意味も込めて自身の両頬を叩く。
「……もう少し待ってて」
「……!」
カシャンと錠が外れる。拘束さえ解ければ、彼もそう下手はとらないだろう。少女はただ噛み締めるように。愛しそうに大切な相手の名を呼ぶ。少女は年相応の親しみがあった表情から、覚悟を決めたそれへと変わる。
「はあああ!」
声を張り上げながら、少女はなんと異形の者たちへと飛びこんでいった。
「なにこれ。……わからない」
その様を黙って少年は見ていたが、彼女のその必死さに。そして想いの強さに。そして、その相手に向ける本来の彼女である柔らかい表情に。―少年の心はただひたすら揺れ動いていた。
「なにこれ、わからない……」
憂う彼は瞳にを伏せる。長い睫毛が影を落としていた。そうして少年が自問自答をしている時だった。背後で動く気配がした。
「なっ……」
『罪人』であるはずの人物が少女を助けようとしている。何も戦う手段がないのに、無謀にも彼女の元へと向かおうとしていた。そんな彼に向けられたのが、光。スポットライトだった。ブーイングもなりを潜め、まるで経過を見守られているようだった。
異形をものともせず、ついには彼女の元へと辿り着く。緊迫した状況でも、一瞬だけ少女の顔がほころぶ。
「……わからない。なにこれ。きもちわるい」
光も当たらぬ場所で、少年はつぶやく。
最早主役は二人だ。誰も彼も視線はその二人にいくことだろう。互いに強く頷く。今の自分達ならば乗り越えられると。二人の世界だ、誰が踏み入れる事ができるだろうか。
「……お姉さん、どこ見てるの」
そう呟く少年に目をくれることもなく。少女の目は柔らかく、ただ大切な相手に向けられる。―もう、少年を見ることなどなかった。
「……そう。へー、そうなんだ」
暗い表情でそう言ったあと、少年は辺りを見回した。スポットライトが当たることもなく隅に追いやられた自分。歓声もあがる事もなくなった自分。そして、あの少女にとっては眼中にすらないであろう自分。―少年は激昂した。
「……ぼくが絶対なんだ!何でも知ってる!ぼくが、ぼくこそが絶対なんだ!ぼくこそが……!」
閃光が走った。眩い光に誰しもが目を閉じる。
隣で倒れ落ちた音がした少女は、絶叫した。異形の者達は駆逐され、そして傍らにいた大切な存在までも―。
「……『消える』のは、おまえの方だ」
少年の冷めきった声が響く。消える。何が消えるというのか。誰かか。
「―ぼくこそが、支配者。ぼくこそが全てだ」
薄暗く笑う少年は、少女のそばに降り立つ。少女はその得体の知れなさに慄くが、大切な存在をかばうかのように前に躍り出る。
「……お姉さん」
「……」
少女は無言で相手を睨みつける。この少年が初めて牙を向いたのだ。しかも、傍らの存在を傷つけた。少年の豹変に驚く気持ちもあるが、少女は何より相手を許せそうになかった。
―大切な存在を奪ったのは、この少年だ。
「なにそれ。お姉さんを助けてあげたのに」
「……何を助けたというのかしら。あなたがした事は」
「……だからさ、そこの罪人から」
「……違う」
「お姉さんが知らないだけだよ。……誰もが、そう認めている」
「誰もが……?」
「そうだよ。皆がそう。……お姉さんは、ずっとその人と一緒にいたの?何でも知ってるの?」
ずっと一緒に。何でも知って。
「……!?」
少女は頭を抱える。少女の異変を察しながらも、彼は話を続ける。
「その人、そいつは大罪を犯した。とても許されない事をしたんだ。お姉さんは、そいつがした事を知っても許せるの?」
「あなた……」
少年の瞳から見て嘘をついているようには思えない。
「―誰が望むの?そんな奴は消えた方がいい」
少年は言い切る。そんな彼に対して少女は。
「……それは否定するわ。消えた方が良いなんて言わないで!」
「……は?」
「大切な人なの。私にとって―」
―私にとってその人は。
それから少女は言葉を詰まらせてしまう。
「その人は……。私にとって、その人は……!」
続きが出てこない。少女は焦り始める。
その人は。その人は。その人は自分にとって一体。
「私にとって、その人は……?」
今も目を閉ざしたままのその人は、薄い光をまとい始める。いけない、と少女は相手の名を叫ぼうとする。だが。
「あなたは……誰?誰なの?」
感情が伴わない呼びかけをする。確かに自分はこうも傷だらけになってでも、懸命に何かをしようとしていた。
「待って……!ねえ、お願い……」
静かに。その存在は。―消滅した。
「『誰か』いたはずなのに……。ねえ、誰なの……」
彼女の記憶からもだ。少女は誰かもわからない存在に対してつぶやく。
「あなたは『誰』なの……。そんな……。こんなの嫌!」
少女は頭をかぶり振る。
これは最も忌避していた結末だった。少女はこれだけは避けたかった。だが、結局は迎えてしまった。その事実が少女に重く圧し掛かる。
これこそが彼女にとっての悪夢だった。
「……ねえ、お姉さん」
呆然自失としている彼女を見ていられなかったようだ。しゃがみ込んでから、彼女に話しかける。
「―じきに、そのことすらお姉さんからも消えていくよ」
「……何ですって」
彼女の声が震えているのは、悲しみからだろうか。
「……何を怒ることがあるの?お姉さんは悪夢から解放されたのに」
「……」
「それとも、まだ怖いのかな。んー、よしよし」
「!」
「また、なにかあったらさ。ぼくが助けてあげるから」
「っ……!」
少年は震える少女の体を抱きしめる。そして、頭を撫でた。どこからともなく歓声があがり、盛大な拍手が起こる。
「……私はっ!」
少女の呻くような声が聞こえる。嗚咽が止まらないのだろうか。
「―これにて閉幕」
少年の通る声が響き渡る。そして鳴り止まない拍手。
―幕が下りた。下りてしまった。
ごわついたカーペットの感触で少女は意識を取り戻す。地面に手をついていた少女は、カーペットを凹ませるほど圧をかけていたようだ。
「いやー、なんか解決してよかった」
「あの魔法使ったところ、すごかったよね」
人々が言葉を交わしていた。好き勝手いいながら、少女の横を通り過ぎていく。地面にへたりこんでいる彼女に好奇の目を向けつつも、これ以上気に留めることはないようだ。そのまま出口へと向かっていく。
「ここは……」
少女は階下を見渡す。あの緞帳も観客席も見覚えがあった。ここは劇場だ。少女はその事に関する記憶はあった。それから聞こえてくる話からも、少女にふれる事はなかった。認識されていなかったのだろうか。
「……」
雑談の声が聞こえなくなり、静まり返る。誰もいなくなったのだろうか。少女は真ん中の席に腰かける。静かだ。本当に静かだ。
「……どうしようかしら」
座りながらも天井を仰ぎ見る。そしてそのまま瞳を閉じて、これからの事を考える。
「ん……?」
何かが顔の上で揺れている気配がした。ゆっくりと少女は瞳を開く。劇場の明かりに反射するように光ったそれは六花を思わせた。少女は手を伸ばして、それにそっと触れる。
「……起きた?なんかここ閉めるんだって。つか、まだ眠い」
低音の、それでいて気怠そうな声がした。前の席から身を乗り出しているこの少年によるものだった。同じ年くらいと思われる少年は、彼女に気安く話しかける。
「え、あ、そうなのですね。教えていただいてありがとうございます」
そそくさと少女は身を整える。誰もいないと思っていた。人前で瞳を閉じるなどしてしまった。少女は恥ずかしい気持ちをこらえつつも、気まずそうに会釈をした。
「あの……?」
やたらと注視されているのは、少女の気のせいではないだろう。彼は吸い込まれそうな緑色の瞳を持っていた。彼の眠たそうなだったまなこも、今はしっかりと開いている。
「ねえ、あんた。これ」
あんたの落とし物かと、椅子越しに少年が渡してきたのは。
「これは……」
たくさん欠けており、かろうじて原型を留めているなにか。元の形は少女の想像に過ぎない。けれど少女はどこか確信めいていた。
雪の結晶のようだ、と。
朽ちた断片。だがそれを厭わずに少女は手にとる。
これは確かに彼女自身のものだ。拾い主にお礼に気持ちを伝えようとする。
「ありがとうございます、これは確かに―」
こうして触れていると、思いが溢れ出すかのようだ。少女は今、様々な感情がこみあげている。
「あの人は……」
関する記憶がなくなってしまったあの人。存在自体が消えてしまったあの人の事。
「いいえ……」
あの人。いや、『彼』は。もう姿すら思い出せない彼の事。彼は。
「彼は私にとって―」
―彼女にとっての婚約者で。そしてきっと。大切な人だった。
まるで劇のようだ。人の生は時に残酷で滑稽で、それでいて心を打つものもある。
この物語は、いわば劇のようなものだろう。それらの劇を通して、とある少女は人々の心に触れていく。
そうして辿り着く先には、きっと『彼』がいる。
少女にとってかけがえのない『彼』を、取り戻していく物語である。
プロローグは一旦終わります。
ぼかす部分が多かったり、謎の眠そうな少年が急に生えてきたりと、わかりづらかったかですね、こちら。