信じたい気持ちと疑う気持ち
「わたくしは……。私は……」
一番人気のないところとなると、アマリアはここしか思いつかなった。寒さが身に染みるが、それでもここしか今は居場所がない。アマリアは旧劇場跡に来ていた。
「……こんなの、平気。……全然、なんてことないわ。こんなっ……!」
もう人の目はない。もう彼女は。―令嬢でいる必要。偽る必要がなかった。
素に戻った彼女はその場にしゃがみ込む。意地でも泣きたくなどなく、涙をこらえるように空を見上げた。
多くの悪意にされされたのだ。港町で暮らしていた頃、育った環境に対し非難の声があった事は彼女自身も知ってはいた。それでもここまであからさまではなかった。何より、乳母も含めた優しい家族達。そして彼がいてくれた。
「……彼が」
甦るのは楽しかった思い出ばかりだ。姉との事を考えると胸が痛くもなるが、それでも大切な思い出には変わりない。やがて、日が暮れて空は夜へと染まっていく。アマリアは思い出に浸りながらも、変わりゆく空を眺めていた。
「……帰りましょう」
今宵も彼の元へ救出に向かう。たとえ悪意にさらされ続けようと、それがアマリアの本懐だ。それがアマリアにとっての。
救いだったのかもしれない。
アマリアが新月寮に帰る頃には、夜が更けていた。寮生たちを起こさないように自室に戻ろうとする。
「……おかえり、門限破りさん」
「クロエ先輩……」
玄関口で座り込んでいたのは、クロエだった。こんな時間まで待っていたのだろうか。
「その、クロエ先輩……」
クロエが色々と忠告してくれたのは、こういう事態を予測していたからかもしれない。明日は今以上に風当たりが強くなるだろう。彼女の忠告を無碍にしてしまった事を謝ろうとしたが。
「……ごめん、アマリアさん」
謝ってきたのはクロエの方だった。自身の小柄な体を抱きしめながらも、か細い声で伝えてくる。
「……あなたをかばえないの。私には立派な家柄もないから」
「……クロエ先輩?」
「……なにも、助けてあげられないんだ。ふふ、偉そうな事言ってきたくせにね」
「!」
アマリアに黒い考えがよぎる。婚約者の事を詳しく話したのはクロエにだ。フィリーナ一派に、もしもだ。アマリアの事を話さざるを得なかったとしたら。
「……違う」
それは違う、とアマリアは必死に否定する。どうして人を疑おうとするのか。故郷にいた頃はそんな事とは無縁だったのに。
「……アマリアさん?」
「……門限破ってしまいまして、申し訳ございません。ご心配もおかけしました。わたくしは失礼させていただきます。―クロエ様」
「アマリアさん……!?」
一礼すると、クロエの横を通り過ぎていくアマリア。
「……疑いたくない、疑いたくなんてない。ないのに……」
今どんな感情をクロエに向けたら良いかわからなかった。令嬢として、振る舞う事しかできなかった。そう、何かと気にかけてくれたクロエに対してもだ。
「あ、アマっち……」
灯りもない寮の廊下で声をかけてきたのは、スーザンだ。気さくに接してくれた彼女だったが、温室の出来事を撮影していたのは―。
「……失礼致します。おやすみなさいませ」
温かく接してくれた先輩達も敵なのか。そうなのか。黒い煙のようにその考えがアマリアにまとわりつく。違うと必死に打ち消そうとしても、消えてくれない。決して消えてはくれないのだ。
自室に戻ったアマリアは、着の身着のままでベッドに横たわる。目は冴えたままだ。眠気も訪れやしない。それでもと、強く目をつぶる。早くあの夢の世界へと、強く願う。
―今はただ、彼に逢いたいと少女は願った。たとえ、地獄のような世界だろうと。