みんながみている。みんながはなしているのは、きになるあのこのこと。
朝起きては学園に向かい。夜眠っては劇場街で奮闘する。アマリアの日々はその繰り返しだった。いつまでたっても彼を救い出す事が出来ない。あの支配者も今は傍観はしているが、いつ気が変わるかはわからない。ただただ時がいたずらに過ぎていく。
今日もいつものように一日が始まる。アマリアはそう考えていた。
「……?」
アマリアは一人廊下を歩く。だが、どうも周囲の視線が気になって仕方がなかった。
「ごきげんよう。……?」
通りすがったクラスメイトにも朝の挨拶をするも、足早に横を通り過ぎられる。他の顔見知りも同様だ。
―避けられている。それなのに、周囲の視線は彼女に集まるばかりだ。誰もがアマリアを遠巻きに見ているの。なのに、近寄りもしない。これは一体なんだ。
「……こちらは!?」
学園の至るところに貼り紙があった。その内容にアマリアは言葉を失う。
あれも。それも。どれもそうだ。
アマリア・グラナト・ペタイゴイツァ嬢について記されている事ばかりだった。アマリアは地面に置いていた紙を拾い上げた。
「……まあ、事情ありの生徒も受け入れてくれるとはいうけどさ?」
「ねえ?ある程度の品格は必要でしょうに。―どこから入学金調達したのかしら?」
「……それが、あの名家に縁があると騙ったそうよ?」
片田舎の没落した子爵家の令嬢である事も。そして、伯爵家に関係していると偽っていたと。かつては家同士としての婚姻があったが、それはなくなってしまったものだ。
「あの男好きしそうな見た目だし、ここ来るまでは相当遊んでいたんじゃない?」
「あー、それな!俺も迫られたら、……やばいかも」
「ちょっと!……あの子、入学初日であのヨルク様にも迫ったっていうじゃない!まあ、あんたと違ってあの方はうまく交わされたけど」
ヨルクとの温室の出来事も撮影されていた。これを見る限りだとアマリアから抱きついている、迫っているようにもみてとれた。
「……」
―誰が撮影したのか。
「これ、南部出身の子にも聞いたんだけど、田舎町でも噂になっていたみたい。―姉の婚約者を奪ったんだって。ま、あくまで噂話だけど」
「姉は才色兼備な方だったのでしょう?さぞかしお似合いだっだでしょうね。そんな姉を差し置いて、相手方の母君には気に入られていたみたいですし。……どのような手を使ったのかしら?」
さすがに相手の家の事は伏せられたのだろう。そもそもその婚約者の事自体、今や不確かではあるが。姉の婚約者を奪った、その事は噂話として残り続けているようだ。
『彼』と姉の事もそうだ。そうだった。元々は姉の婚約者だった。だが、姉との婚約は破棄され、妹であるアマリアがその座を得る事になった。
「……初恋の相手だなんて。よくもぬけぬけと言えたものね」
「……」
誰が話したのか。
「ああ、でもさ。相手側からすると、真っ当な理由らしいよ?なんでもさ、本妻の子だから。……らしいぜ?」
「ああそうそう、有名なんだって!父親が節操なしって。兄と姉とは母違いなんだって!でも、平然と一緒に暮らしているんだって!……やばくない?」
「えー……、そんなの絶対破綻するでしょ。気まずくならない?つか、そんな父親、耐えられなくない?」
「これさ、他にも血のつながった兄妹いたりするパターンだろ?」
「なにそれ、こわい。いやいや、さすがにないでしょ!」
「……!」
誰々が、そこまで好き勝手話をするのか。
誰もがアマリアの話をする。誰もがアマリアの噂をする。黒い噂が彼女を取り巻く。誰もがそうだ。注目の人物の事ならもっと知りたいのだ。
「―他には?」
「……まだまだあるよ、例えば―」
経緯が不明の編入生。恋愛スキャンダルにも事欠かない。注目の的となりつつあるこの令嬢のことを。
「―そのような方、当学園に相応しいのかしら」
アマリアがその声に反応すると、そこにいたのは。―フィリーナ一派だった。彼女達は当初から廊下の端にて佇んでいた。一派は静観していたので、アマリアは彼女らの存在に気がつくのが遅れてしまった。そう、最初からいたのだ。アマリアを、いやアマリアを含んだ噂話を囃し立てる生徒達も見ていたのだ。
「……」
中心人物のフィリーナは沈黙を貫いているが、他の少女達は次々と抗議していた。あまりのも出自が酷過ぎる。素行にも問題があると。確かに事実だ。そんな生徒を非難する自分達に義があると、正論をついてくる。
「―皆様、あんまりではありませんか。そのへんになさってはいかがです」
その事に異を唱えたのはロベリアだった。アマリアは思わず彼女を見た。
「こうは思われませんか?……彼女は可哀そうな境遇であると。人に誇れるような経歴ではありませんが、こうして当学園に学びにきたのですから」
「ロベリア様……」
「胸を痛めるような境遇でしょうに。彼女を侮辱する理由になってはなりませんよ、皆様」
アマリアにとっては初めて目にした表情だった。ロベリアは。―彼女は微笑んでいた。慈悲の眼差しを哀れな令嬢に向けていたのだ。それに感化したのか、周囲も詫びはせずとも同情めいた視線を向けてくる。
「ちょっとかわいそうだったかもな……」
「そうなんだよね、訳有りなのは私達も一緒だし……」
「……」
何も言わないフィリーナを除いて、次々と憐憫の情を向けてくる。
「―さぞかし辛い思いをされてきたのでしょう。ですが、当学園に来たからには安心なさってください。わたくし達は同志なのですから」
「……」
一歩前に出たロベリアがアマリアにとって手を差し出す。救いの手だ。この手を取れば、黒い噂話からは解放されるだろうか。だが、アマリアは微動だにしない。このような時に思い浮かんでしまったのは、支配者と名乗る少年だ。
「……」
いつまでもロベリアの憐みの手をとらない。それが生意気にも拒絶している。そう、とらえられたようだ。
「……まあ。ロベリア様が憐れんでくださっているのに、なんなのかしら」
「ロベリア様に恥をかかせる気?……ねえ、ちょっといいかしら。わたくし、ずっと気になっておりましたの。貴女のそれ―」
ウィッグじゃないかしら。そう令嬢は指摘した。アマリアはふいに自身の髪に触れてしまう。そう、指摘した通りだ。そして、アマリアにとって必要なものである。このウィッグがあるからこそ、彼女は令嬢としていられる。彼らが言っていたように、本当は蝶よ花よと育てられたわけではない。教養も秀でているわけでもない。それでも、アマリアを令嬢たる存在とさせてくれていたのが、このウィッグだった。
「ロベリア様ばかり恥をかかせるわけにはいきませんの!」
「さあ、皆様!御覧になって、化けの皮が外れますわよ!」
一派の魔の手が伸びる。アマリアのウィッグを強奪する気だ。
「……」
追い詰められていたアマリアは疲弊しきっていた。もはや抵抗する気力など―。
「―まだ続きますの?いつまで付き合わされなくてはならないのですか?」
淡々とそう言ったのはフィリーナだった。彼女の琥珀色の瞳からは、感情が読み取れない。ただ、うんざりしているとはみてとれた。
「フィリーナ様!?そんな、フィリーナ様がおっしゃったのでは!?」
「……わたくしが?」
「ええ、そうですわ!あの生徒は何なのだ、とロベリア様に告げられたとお聞きしましたわ!ねえ、ロベリア様?」
「……ロベリア」
フィリーナはロベリアの方を窺い見る。ロベリアは静かに頷いた。そして口を開く。それは彼女を咎める内容だった。
「どうでも良さそうに……!何故ですか、フィリーナ様。貴女は思わないのですか。彼女の境遇が可哀そうであると。あまりにも哀れであると……!」
ロベリアはアマリアに対し、あなたはあまりにも痛ましいと訴えていた。周りも同情めいた声を上げていく。ロベリアの本心はわからない。だが、周囲の人間はわかりやすかった。可哀そうという言葉を掛けつつも、あざ笑っていた。可哀そうという言葉を盾に、まだアマリアのことを侮辱しようとしていた。
「わたくしが可哀そう……」
「ええ。子供は親が選べませんから。―辛い思いをされたのでしょうね」
「わたくしは辛い思いを……」
アマリアはロベリアの言葉を反芻する。自分は散々苦労してきた。そして、自分達家族に対して世間の目は冷たかったと。だから、自分は可哀そうだったのだと。
「……それでも、わたくしは」
「アマリア様?」
「……私は、幸せよ」
アマリアは小さく呟くと、背筋を伸ばした。そして前をまっすぐと見据える。今はウィッグがある。今のアマリアは。―令嬢だ。
「―皆様、お気遣いありがとうございます。ですが、わたくしは幸せでございます。両親にも愛され、姉や兄達との関係も良好です。そうそう、話題にはのぼっておりませんが、弟と妹もおりますの。とても可愛いらしいのよ」
「な……」
アマリアはそれは優雅に微笑んでいた。何てことないと、一人ひとりに眼差しを向ける。
「ええ、わたくしには婚約者の方もいます。とても素晴らしい方です。わたくしにはもったいない、それは皆様がおっしゃる通りでございます。―ですが、それを皆様に言われる筋合いなど、どこにありますでしょうか」
「!」
周囲がざわつく。アマリアはあくまで笑顔だ。だが、その根底にあるのは怒りだった。家族や、そして婚約者への侮辱。そして、自分をも追い詰めようとする陰湿さ。
「……まあまあ、このようなビラ。よくもまあここまで用意されましたね。大したものです」
アマリアは呆れかえりながらも、次々と紙を拾い上げていく。こちらは忙しいというのに、と文句を言いながらだ。
「人の品位をどうこう言う前に、ご自分方のを見直されては?―名門と称される生徒のする事とは思えません」
「な、なんなのあなた」
自分に対して罵詈雑言な内容が書かれている紙を手にしている。嫌でも目につくだろう罵る言葉らにも、それを受け入れるかのようだった。アマリアは平然としていた。
「わたくしはこんなもの、平気です。わたくしには大切な存在がある。皆様もおありでしょう?でしたら。わたくしなんかを相手にするよりかは、その方々を大切になさったら?」
あらかた拾いつくした紙を手元でまとめる。そして堂々と立ち上がった。
「―さあ、どうぞ。……ああ、そうそう。今後このような匿名性のあるような紙は控えてくださいね。没落した家の人間としてはもったいなくて仕方ありませんから。直接で構いませんよ、わたくしは」
「……」
首謀者であろうフィリーナ一派へ。そして、野次馬めいた生徒達へと目を向ける。
「どうなさったのです?散々言っておられてはいたではありませんか?―よってたかって。……集団で」
場は静まり返る。だが、怒りを覚えているのはアマリアだけではない。それは彼女を非難していた生徒達もだ。言われっぱなしというのも癪に触っていた。相手の御望み通り、この場にいる全員で罵ってやろうとしていた。
「やはり集団でですか。構いません、どうぞ」
「!」
相手はたった一人だ。侯爵家令嬢フィリーナを筆頭とした、名家の令嬢一派の後ろ盾もある。だから、先ほどのように罵ればいいはずなのに。―憐み罵りそしるべき令嬢は堂々としていた。何を言われようと歯牙にもかけないといわんばかりに。
「―揉め事があると聞き、馳せ参じた」
規律正しい集団の足音がする。揃いの腕章を身に着けた生徒達だった。
「げ、生徒会!」
ある程度の権限を持つといわれる生徒会のおでましに、生徒達に緊張が走る。生徒の風紀に関わる事も兼ねており、学園の生徒から恐れられていた。
「……アインフォルン一派か?」
事前に情報でも得ていたのだろうか、一人の男子生徒がフィリーナ一派に近づく。この少年がおそらく生徒会長なのだろう。彼の行動がより一層怖れれているからだ。分が悪くなった一派だった。フィリーナをかばうように前に出たのはロベリアだった。
「……どうか、フィリーナ様を責めないでください。わたくしに責があるのです。わたくしがきちんと彼女達を諫められなかったから……」
「まるで、一派の中心が君かのようだな」
「!」
冷ややかにそうロベリアに言った生徒会長。お次はアマリアのようだ。
「……被害者は君のようだが、大事ないか」
第三者からしたら、立場の弱い令嬢が虐げられたとみてとれたのだろう。それにしては当のアマリアは平然としていた。
「ご足労ありがとうございます。ですが、被害も何もありません。―わたくしにとって何てこともありませんか」
そういって、生徒会一同に頭を下げた。毅然とした姿であった。そこに被害者などいないかのように。
「ですが、騒ぎにはなってしまいましたね。そちらはわたくし共々反省しなくてはなりません。こうして生徒会の皆様にもご負担かけてしまったのですから。……これはもう、さぞかし心証悪くしてしまったかしら。ああ、わたくしだけではありませんね?」
「ぐぬぬ」
この生徒会とやらは相当の権力を持っているのだろう。アマリアはその権力に便乗する事にした。案の定相手方は何も言えないようだ。
「負担という事はない。―これが我々の役目だ。皆、聴取だけはしておくように。特にアインフォルン一派にはな!」
生徒会長である彼があっという間に場と取り仕切っていく。
「……」
終わった、のだろうか。
「失礼、ご令嬢?今の内ですよ?」
「!」
急に話しかけてきたのは、銀縁眼鏡の男子だった。腕章からして生徒会の一員だろう。彼は暗にこの場を去るように言っている。
「ええ、そうですね。ああ、こちらもお願いします」
「うわぁ……。つか、よくこんなに悪口が思いつきますよね……」
この際だからと、アマリアはこの眼鏡の少年に貼り紙達を押し付けていく。その方が『らしい』という考えだ。
「―それでは、ごきげんよう」
あくまでも令嬢らしく。アマリアはその場を後にした。
避難めいた視線は消えることはない。噂もあっという間に広がるだろう。だが、そんなものはどこ吹く風か。リボンでひとまとめにされた黒く長いを揺らしながら、颯爽と去っていく。
「……全くもって平気」
大丈夫。まだ、大丈夫だ。
「……わたくしにとって、何てこともないこと」
まだ『令嬢』でいられる。
始業のベルが鳴った。もうじき授業が始まる事もあり、生徒の数もまばらになっていく。それでもアマリアにまとわりつく視線は消えはしない。それでも彼女は堂々と歩いてく。令嬢でいられるうちは。
「アマリアちゃん!」
「……ヨルク様」
ふいにアマリアは腕をとられてしまった。ヨルクだった。彼も騒動をききつけたようだ。
「……大丈夫、じゃないよね。大丈夫なわけない。……もっと、早く駆けつけられれば良かった」
「……」
心配してくれているのか。本当に案じているのかと思えるくらい、優しい声だった。
「……ヨルク様もお優しいのね。ご婦人が悲しむ顔を見たくないのよ」
「……たとえ、あんな子でもね」
周囲の目はあのままだ。ヨルクもそれに気がついたようだ。
「……ごめん、痛かったね」
さりげなくアマリアから腕を離した。彼もそうなのだろうか。学園一の色男としていつも衆目にさらされている。いつだって人の目にある。彼もまた―。
「―いけませんよ、ヨルク様。女性にお優しい方であるのは、間違いないようですね。ですが、このままではわたくし、勘違いしてしまいますよ?」
「え」
「ふふふ、本気にしたらどうなさるのです?」
「……それは」
ヨルクは言い淀む。軽く返してこなかったのが予想外だった。
「ご安心ください。わたくし、わかっておりますから」
令嬢は社交辞令をいちいち真に受けない。そう考えたアマリアは笑顔のまま、彼に別れの挨拶をした。彼が追いかけてくることはなかった。