一つ星公演 〇〇をぶっつぶせ!―〇〇が在るべき意味③
舞台はプレヤーデン学園新月寮へと変わる。ここ最近の姿となった。自室で手紙をしたためているのはシモンだ。悲しそうな顔をしながらだった。
『お元気ですか。俺は元気です、と。お嬢も元気です。新規に発注をかけたいものがあるそうです―』
彼は月一報告の手紙を書いていた。入学してからずっとそうだった。シモンは背けなかった。手紙の内容には学園からの検閲が入る。文字数にも制限がある。本当に最低限の内容しか書けなかった。
『……』
卒業まで残りをきったが、クロエと何かあったというわけでもない。差しさわりのないようになるのも当然の流れではあった。
『はは、こんな内容ばっか……』
シモンの母親からの返事はあった。稀ではある。新月寮行きの荷物に紛れ込ませていたというのだ。最初は急かすような内容だった。だが、ここ近年はそれとは違った。
『お母さん……』
シモンの母親は年をとったのか。シモンの容態を気にするような、案じているかの内容と変化していた。年月が、あの母を変えてしまったのか。今回の文も優しい内容だった。
この親子のやりとり。クロエが気づかないこともないだろうに、見逃してくれているのか。
『お嬢のこと……。あ』
最近無理をしている気がした。クロエはより張り切っているようだ。
『お嬢は最近、体調が良くない時があります。無理をしているんだ。会長の期待に応えたいのはわかるけど、もっと減らしてくれればいいのにって。ああ、この内容は会長には伝えないでよ?お嬢は頑張っているから。お嬢はいつだって眩しいんだ―っと』
書き上げたシモンは満足そうにしていた。担任の検閲に通れば、母への手紙という任務は完了だ。シモンはベッドに寝転び、そのまま眠った。
『うう……』
シモンはここ最近、目覚めが良くなかった。得体の知れない夢にうなされているのだ。目の下の隈を目立つシモンは、起きることにした。
この日はリゲルからの定期便が来る日だった。シモンは学園の南東にある鉄道へと向かっていた。荷馬車を走らせながらである。
いつもならクロエと共に向かうが、今回は自分一人でと頼んだのだ。クロエは寮内でうたた寝することが多くなっていた。休める時に休んで欲しいという、シモンの願いからであった。そして、断らなかったのはクロエ。いつもだったら甘えたくないと断るだろうに、クロエはこの日は甘んじることにしたようだ。
『ふふ、お嬢が頼ってくれてる!!』
シモンは頬を紅潮させながら、さらに馬を飛ばさせた。
シモンは学園専用の駅に到着した。鉄道が荷物を載せてやってきた。本日は定期便、貴重な食糧達である。新月寮分を職員と共に運び出すことにした。
『ん?』
決まって麻袋に入れてくるのは、シモンの母親だ。いつもの手紙である。ここらでは大人しくなった母親だ。昔のように催促するような内容ではないと、軽い気持ちで受け取った。
『……』
シモンはぞくりとした。嫌な予感がしてならない。不安で、不安で仕方がない。今すぐこの場で開封してしまいたい。いや、このまま見てみないふりをしてしまいたい。シモンは揺れていた。
『今は仕事だ……』
怪しまれないようにシモンは運搬作業に戻っていく。逸る気持ちを抑えながら。
『……』
シモンは帰寮後、誰にも挨拶することもなく自室へと駆け込んでいった。もういてもたってもいられず、シモンは手紙を破るように開けた。
『!』
―よくやったね、シモン。ありがとうよ。
『お母さん……?なにが、なにがなの』
シモンの手は震えている。掴む手は今にも手紙を落としてしまいそうなほど、力ないものだった。恐怖に飲まれながらも、シモンは読み続けていく。
―役に立つ情報、よく教えてくれたもんだ。警戒していると思ったからねぇ、期待はしてなかったんだがねぇ。
『なにが、なにがなんだよ!』
お嬢を褒めたことか。商会長に仕事減らして欲しいと愚痴たことか。まさか、まさかだとシモンは思った。まさか、お嬢の体調の事などと。
―あのお嬢ちゃんも、人間だったんだねぇ。いけ好かない小娘だとは思っていたからさ。お前が教えてくれたんだよ、体調が良くないとな。
『!』
シモンの喉が鳴った。震えが止まってくれない。
―こんな手、二度も使えないからね。私のあらゆるコネを使った。もう最後さ。うちからの定期便。ああ、それとだねぇ。あのリゲルに恨みを抱いている連中は多くてね。他からも便乗してくれるってよ。
だから、食糧も食料も届かないと。その手紙は伝えていた。
『なっ!』
―もちろん、あのお嬢ちゃんの発注したのもねぇ。こんなタイミングが被ることもあるもんなんだねぇ。まるで狙ったかのようさね。あのお嬢ちゃん、何してくれたんだってね。まあ、今回限りだ。
『な、なんてこと!』
信じられない、とシモンは手紙を破り捨てようとするも、留まる。これは貴重な証拠だ。早くクロエに相談しなければと考えついた。文章自体も残りわずかだ。シモンはさっさと読み進めることにした。
―それでもいい。言っただろう、この際、お気に入りの孫娘だって、とな。一緒に堕としてやると。……お前もだよ、シモン。
『……おれ?』
―あの商会長達に気に入られて、いい気分だったろうね。でも、所詮はお前も私達と同じだよ。利用して捨てられるのがオチさ!あのリゲルを信じて裏切られたお前の親父と、私とな!……ああ、シモンよ。お前は最後によくやってくれたよ。バカみたいにお嬢ちゃんの現状を教えてくれてさ?
『あああ……』
シモンは呻き声を上げる。
―お前が、この現状を招いたんだ。なあ、一緒に堕としてやろうじゃないか。お前にだって、出来ることがあるだろう?
『お、おれは……』
シモンがクロエの体調をもらしたから。
―お前が余計な事を言わな分ければ、私だって知らずに済んだんだがねぇ?あのお嬢ちゃんだって平時ならどうとでもするだろうに。ああ、絶好の機会ってやつだね。
シモンが報告してしまったから。知れば悪意をもって利用すること、それがわかっていただろうに。シモンが、この母親に教えてしまったから。
『おれは!』
―いいかい、シモン……?お前は私の子なんだよ。なあ、シモンよ?
『うっ!!』
シモンを蝕み続けてきた呪いの言葉。決定打だった。
それから数日が経った。シモンは行動に移せないままだった。妨害工作をしなくてはならない、と自身を思い詰め過ぎて、知恵熱を出してしまっていた。メンタル的にも体調的にも不調だったので、出遅れてしまっていたのだ。
大分、シモンは体調を取り戻していた。なんとなく、部屋を出てうろつくことにしたようだ。
薄暗い明かりがついている。寮の食堂でクロエがうたた寝していた。シモンは近寄ってから自身のカーディガンをかけた。
『!』
無意識の行動だった。これから、自分はこの少女を陥れなくてはならないのに。
『ありがと……。むにゃむにゃ……』
『ああ……』
クロエははにかんだ。寝言だっただろう。シモンはやるせない気持ちになった。
―いいかい、シモン。
『ううっ!』
そうだ。入荷の日はもう迫っている。行動を起こせるのは、今しかないだろうと。シモンは食堂をあとにした。
シモンはクロエの部屋の前に立つ。一呼吸を置いて、ドアノブを回す。
『ああ、お嬢……』
開いてしまった。あのしっかり者が。このような凡ミスをしてしまったのだ。それほどまでに疲労が蓄積していたのか。
クロエの部屋に無言で入ったシモンは、部屋を見渡す。たまにお茶で招かれることもある。その時は嬉しくてたまらない気持ちだった。だが、今はどうだ。これほどまで黒い感情であろうか。
『君はずっと頑張ってきた……』
シモンは仕事部屋に入ると、きちんと収納されたファイル棚に向かった。目当ての書類はすぐに見つかった。直近の発注書だ。これを処分してしまえば、紛失したとしてクロエは問われることになるだろう。
入学してからずっと、クロエは学業と両立してきた。ずっと頑張ってきた証だった。それを今から、シモンは。
『……くっ』
早く。早く処分しなくてはならない。こうしている間に、クロエが起きてくるかもしれない。他の寮生が、職員が。他者が不審に思ってやってくるかもしれない。この発注書を捨てなくてはならないのだ。それなのに、シモンは動けずにいた。
―いいかい、シモン?
『ううう……』
―シモン君、お疲れ様。
『……あ』
闇に誘おうとする母親と、光に導いてくれたクロエ。シモンは板挟みだった。
『おれが、俺がするべきは―』
そこからの騒動は知っての通りである。ファイルの順番を乱したり、ダミーを紛れ込ませたり。そのことで、徹夜で確認することになってしまった。
『俺、取り返しのつかないこと、しちゃったなぁ』
悲嘆にくれるシモンは、地面に膝をつく。そのままスポットライトも小さくなっていき、やがて消失した。
「シモン先輩……」
アマリアは一旦舞台袖まで引っ込み、彼の生い立ちを見守っていた。形容しがたい感情だった。シモンの抱えてきた痛みと、かといって彼が恩あるクロエに対してしでかしてしまったことと。もう少しシモンのことがわかれば、と考えていたが。
「ああ、あああ……」
アマリアが思案している間、舞台転換が行われていた。舞台はリゲル商会擁するアーケード街。こじゃれた客達で活気が溢れていた。そんな洒落た人々の間で浮いた存在があった。人々が眉をひそめながら、その存在に注視していた。
「あああ……」
人目を惹く長身に、きらめく金髪。そして、かつては快活な少年―だったが、その髪はボサボサであり、着ているスーツも皺だらけで破れもある。ふらつきながら歩いているので、通行人達とぶつかってしまう。それでも構うことなどない。
シモンその人だった。別人のようだった。
シモンはぶつかりにぶつかって、ついには転倒してしまった。ゆっくりと立ち上がった彼は、天井に向けて声を張り上げる。
「ああ!」
と、同時にスポットライトが当たる。よろめくシモンに追従するかのように、スポットライトは当てられ続けていた。
「ああ、お嬢!俺は、俺はどうしようもない奴なんだ!だから、この俺を裁いて欲しいんだ!」
両手を広げたシモンは、そう強く主張した。劇場内は静まり返る。クロエから返答も、ない。
「ああ、お嬢……」
「シモン先輩!」
シモンは人混みに流されるかのように、消えていってしまった。アマリアは追いつこうとするが、ここは踏みとどまる。
「……おそらくここが正念場なわけね」
もし今宵を逃してしまったら。支配者は明日にでもかぎつけてくる可能性が高い。不正を行った生徒なのは確かなのだ。今は一部で止まっている話も、時を待たずして学園中に広まるだろう。まあ、一日の猶予はある。支配者は様子見として一日はおいてはいる。
「それでも私は……」
許し難い事をしたシモン。見抜けなかった自分。アマリアは責任を感じているのが強い。それでも根底にある気持ちはやはり。―救いたいという気持ちだった。
「リーゲル、リーゲル!誇りと共にー、誠意をお届けするー。大切なのは真心とー、ぬくもりっ!」
「フィ、フィー?」
どこか懐かしく、そして素っ頓狂でもあり。何故か耳から離れてくれない曲。リゲル商会の制服を来て歌っているのは、予想通りフィリーナだった。アドリブで構成された歌を口ずさみながら、街を練り歩いていた。
「……ずっこけそうになった、オレ」
「レオ君!」
いつの間に隣に立っていた。品性の低そうなスーツをさらに着崩しているのはレオンだ。アマリアの服装と併せて、いかにも何かしでかしそうな悪党ぶりだった。
「ええ。参りましょうか」
「はいはいー」
アマリアはヒール音を鳴らして、舞台へと踊り出た。手下のチンピラも引き連れてだ。背筋を伸ばして舞台を見据えた。