フィリーナ嬢が語る夢と現実
朝方の空気は凍てつくかのようだ。暖房設備はあるというが、アマリアは辛くて仕方がなかった。彼女は布団にもう一度潜り、そのまま眠りにつこうとする。もう一度夢の世界に入れれば、あの劇場街に辿り着けるはずだ。そう思うが、一向に眠りは訪れない。強く瞼を閉じれど、結果は同じだった。
「……あちらなら」
布団から飛び起きて、急いで身支度をする。夜明け前から活動しているのは、寮生達の暮らしを支えてくれている使用人達だろう。彼らに密かに会釈しつつも、見つかってはまずい。アマリアは物音を極力立てないように寮を出た。
旧劇場跡に至る山道も苦にはならない。アマリアは焦る気持ちのまま、向かっていく。そしてようやく山頂へと至る。
「ああ……」
焼けた跡すらもない。一切の痕跡もない。ただ、あるのはさらさらとした雪が一面に積もった雪原のみだ。あれは幻だったのかと思うほどに。あの夢も、あまりにもアマリア自身が望んだから見ていたかのように。
「……いいえ」
まだだ、とアマリアは俯いていた顔を上げる。
―夜が明けては意味がないでしょう。
どこぞの令嬢。侯爵家の息女、フィリーナ嬢が言っていた。夜ならば、もう一度劇場を訪れることが出来るのではないか。それならば。まだ諦めるわけにはいかない、とアマリアは覚悟を決める。
「……なんかいるし。―しかも、本当に訪れていたとは」
誰かの足音がした。相手の声からは不可解、といった感じが読み取れる。見知らぬ女生徒だろうか、とアマリアは振り返った。
「―え」
「……!?」
可憐な見た目からは想像できないような声だった。その声の持ち主は、あろうことにも令嬢の中の令嬢である、フィリーナ当人だった。
「ご、ごきげんよう。フィリーナ様」
アマリアは、ついさっき思い浮かべた人物が現れた事に内心驚く。と、同時に信じがたい事実にも直面していた。あの発言は本当にこのご令嬢によるものだろうか。
「ごきげんよう、アマリア様」
挨拶をする姿も様になる。幻聴だろう、とアマリアは一人納得した。そして、気になる事があった。
「失礼ながら、フィリーナ様。わたくしの名をご存知だったのですか?」
「……ええ、ロベリアが教えてくれました」
「ご学友のロベリア様にございますか?」
ええ、とフィリーナが答えた。ロベリアが一日でアマリアの事を把握したようだ。なぜかはわからない。初対面だった朝の登校時も、宵乙女の会もそれとなく忠告してくれているのはロベリアだ。下手に警戒されていないと願うばかりだ。
「……ん?」
侯爵家の令嬢が、この訳有りな学園に入学した。その理由は確か、とアマリアは思い出す。
「フィリーナ様、その、お加減は大丈夫でしたか?確か、お体があまり丈夫でないとお聞きしまして……」
体が弱いと言われている彼女が、このような山道に一人訪れたのだ。寒さも一段と厳しい。
「!」
「あ、いえ、失礼致しました。フィリーナ様の個人的なご事情に―」
「ああ……!」
そういってフィリーナは雪原に倒れ込んだ。ぎょっとしたアマリアは、慌てて彼女に駆け寄る。そして抱き起した。
「フィリーナ様、大丈夫でございますか?」
「ええ……。申し訳ございません。わたくし、朝の小鳥に誘われるように、こちらまで参りましたの。ですが、無理はよろしくありませんでしたわ……」
謎の説得力があった。おあつらえ向きに黒い小鳥が空を飛んでいる。信憑性が増していた。
小鳥のさえずりに誘われるフィリーナは、彼らと共に音色を奏でるのだろうか。さぞかし絵になるだろうと。その声で美しい歌声を聞かせてくれるだろうと。
「さようでございますか……。失礼、フィリーナ様。今しばらく耐えてください」
「アマリア様……?きゃっ」
失礼承知で、アマリアはフィリーナを背中に担いだ。フィリーナの体は冷え切っているも、大事には至ってないようだ。彼女の体に障りないように、ゆっくりと下山していく。
「……申し訳ありませんわ、アマリア様」
「いえ、お気になさらないでください。気分悪くなるようでしたら、ご遠慮なくおっしゃってくださいね」
「……本当に、申し訳ございません」
ここまでか、という程フィリーナは申し訳なさを強調していた。何か罪悪感もあるかのようだった。アマリアはアマリアでそこまで気にされると、萎縮してしまう。だからこそ、何てことないと笑った。
「本当に……。ねえ、アマリア様」
「はい、どうかなさいましたか?」
背中越しでフィリーナの声が伝う。
「……あんなの、戯言だったでしょうに。―本当に参られたなんて」
「え?」
「……なんでもありませんわ。そうそう、アマリア様?あの夜の事はお忘れになって」
アマリアはどきっとする。フィリーナが指すのは宵乙女の会の事だろう。夢か現かのような乙女達の秘密の集い。
どこからが夢で。どこからが現実なのか。
「……」
今日もまた、一日が始まる。
なんかいるて。