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一つ星公演 〇〇をぶっつぶせ!―〇〇が在るべき意味②

 月日は流れ、リゲル商会に身を寄せる日々は続いていた。あれからもシモンの母親は雇われ続けていた。シモンは雑用をこなしつつも、学ぶ日々であった。

 商会長の旧友でありながら、ライバルでもあったアデール。その孫親子だ。リゲルで働く人々からの心証はというと。

―……また、仕事押しつけてるよ。しかも断らない相手を選んで。うまいもんだよな。

―それでいて、太客がいるものだから。結果は確かに出してるけど。

―もうっ!駄目出し、しつこいっ!自分だってちゃんとやらないくせに!

―くー!酒でも飲まなきゃやってらんねぇー!

 酒場で愚痴られるのは、決まってシモンの母親だった。確かに商売人としてはやり手だった。だが、同僚からの評判は決して良いとは言えなかった。

『……』

 あの頃より成長したシモンは、母親の悪評には納得いっていた。そして、何より自分もそう思っているのだ。

『―聞いているかい、シモン!?ああ、嫌になるねぇ!無能が多いこと多いこと!なんで私の言っていることがわからないのかねぇ!』

 シモンは今日も母の深酒に付き合わされていた。流石に酒を飲むことはしないが、シモンは席に着いて母の愚痴に耳を傾ける。それが、一日の終わりだった。

『……お母さん、そのへんにしたら?飲み過ぎは良くないよ』

『……ああ?シモン?』

 母親は酒瓶ごと口に含むと、顔を近づけた。そして睨みをきかす。

『―生意気言ってるんじゃないよ、あ?』

『!』

『シモン?』

『……ごめんなさい』

 シモンはただ謝る。母親はフンと鼻を鳴らす。

 シモンはまだ、恐怖に囚われたままだった。


 さらに日々は送られた。幼さは残るものの、彼らは大分成長した姿となっていた。年頃となったのだ。

『シモン君はすごいなあ。あの国の言語、私苦手』

 私室の文机で頬杖ついているのはクロエだ。

『はは、お嬢。コツさえ掴めばすぐわかるって。いけるいける!』

 根拠のない励ましをするのはシモンだ。あれからシモンは努力に努力を重ねた。そんな彼が開花した才能は、翻訳することだった。隣国ながら言語体系が違うあの国や、特殊な文字を使用するあの砂漠の大国など。シモンはどんどん吸収していった。

『そのコツすらハードルが高いのですが?』

 簡単にいってくれるとクロエは拗ねた。

『……お嬢、怒った?』

 シモンは不安そうに尋ねた。調子に乗り過ぎたのか、それとも不快にさせる言葉を口にしてしまったのか。

『ええ、怒ってますけど?』 

 クロエはあからさまに口を尖らせた。幼めの外見とあいまって、愛らしいものであった。その姿を見たシモンは。

『……あれ?』

 胸元を押さえたかと思うと、今度は顔を覆う。シモンはこのなんだろう、もどかしい感情になった。

『って、冗談だってば。むしろ、燃える。シモン君越えしてみせる』

 立ち上がったクロエは、挑発的に笑いながら顔を覗き込んだ。

『……あれれ?』

 シモンはますますわからなくなる。自分の顔がこうも赤くなるのも。熱を帯びてくるのも。わからない。今までだって、なかったわけではない。けれど、ここまで露骨ではなかった。わからないことだらけ。でもわかるのは。

『……かわいい』

 声にもならない声だった。きっと、クロエにだって届いてはいない。

 初めて逢った時から可愛いとは思っていた。なにせ妖精だと思っていたのだ。特別な愛情は最初からあったのだと、シモンは思っていた。

 ただ、今より一層自覚してしまう。してしまったのだ。

『シモン君?おいー?』

 見上げてくる相手をみて、さらに実感は増す。小柄で華奢な彼女と、成長期に入りそこらの大人と遜色のない自分。

『ご、ごめん!なんでもない、なんでもないんだ!』

 シモンは逃げるようにクロエの部屋を飛び出していった。自分何を考えていたんだ、と自問自答していた。何を平気で二人きりでいたのかと。しかも、クロエの部屋である。

 それからのシモンはというと、クロエへの接し方が変わっていった。わざと怒らせるかのような、ぎりぎりなことを言って。そのクロエの反応を楽しむ。怒ったり。拗ねたり。時には挑発し返さたり。相手にされなかったり。

『ああっ!今日もお嬢に冷たくされた!』

『……うーん。なんか変な感じに成長したような』

『ああっ!お嬢にとてつもなく酷い事言われた!』

『……うーん。私のせいじゃないといいんだけど』

 シモンとクロエはそんな日々を過ごしていった。


 やがて、プレヤーデンへの入学の日が近づいてきた。クロエの祖父の命令によるものだった。クロエは反対することもなく、それはシモンも然り。

 入学前夜、シモンはクロエの祖父に呼び出された。書斎に通され、二人きりとなった。今でもその威厳にシモンは緊張する。それでも、心根は優しい人だとは知っていた。シモンにとっても敬愛すべき相手となっていた。

『改めて、孫を。―クロエを頼む』

『はっ、はいっ!お任せください!クロエお嬢様はこの身に代えてもお守りします!』

『うむ。君もしっかりと勉学に励みなさい』

『はい!自分まで通わせて頂いて、本当に本当にありがとうございます!』

 呼び出されたので、日頃の態度を注意されるかとシモンは思っていた。だが、実際は激励の言葉だった。シモンは直角にお辞儀しながらも、厚遇に感謝を述べていた。

『……ふむ。何が何でもクロエを守るように』

『はい、もちろんです!』

『……不埒な輩は成敗してくれて構わない。リゲルの権力でいくらでももみ消す』

『は、はい』

『……クロエに邪な思いを抱き、なおかつ無体を働くようなら。―三枚に下ろしても構わない』

『はい!?』

 シモンはあらゆる意味で恐ろしく思えていた。祖父の顔を直接見られない。自分の事をどこまでお見通しかもわからない。

『……冗談だ。シモンよ』

『はい……』

 ここらでシモンは体を起こした。恐る恐る会長の顔を見るが。

『学ぶことは相変わらず楽しいか?』

『……』

 クロエの祖父は優しい顔をしていた。初めて出会った時と同じような。

『はい。会長や、お嬢。皆さんのおかげです』

『そうか』

 商会長はそれだけ返した。

『―シモンよ。卒業後は好きな道を進めばよい。今の君ならどこへだってやっていける。私は君の頑張りを見てきた。……クロエの事も支えてくれてきた』

『……会長。ありがとうございます!』

 シモンは改めて頭を下げた。これは嬉しさと感謝の気持ちからだ。祖父は目を細めて見守り、続ける。

『だが、もし。もしもだ。君がリゲル商会に居続けたいというのなら。―私達は歓迎する』

『……!あ、ありがとう、ございます』

 シモンにとってこの上のない言葉だった。涙が溢れ出して止まらない。感謝の言葉もまともに声にならなかった。それでもきっと、クロエの祖父には伝わっていることだろう。

『……ああ、伝えておこう。君の母親の事だ』

 優しい顔つきだった祖父も険しい表情へと変わった。

『母、ですか』

 シモンも緊張してしまう。空気が一変してしまったのもある。何より自身の母親の話だ。良くない話なのは容易に想像出来た。

『ああ。……彼の娘は変わってしまったのか。どうしてああなってしまったのか。散々彼女の評判も聞いていた。私も仕事ぶりをみてきた。諫めてきたが、改善されることもなかった。引き受けたこちらの責任もある。面倒はみよう―だが、それ以上は』

『!』

 会長の言わんとしていることがシモンにはわかった。シモンはどう返したらわからなかった。

 話は終わったようだ。シモンは退室することにした。会長も無言のまま、机の上の書類と向き合った。夜更けであろうと、クロエの祖父の仕事は終わることはない。


『ただいま……』

 シモンはそっと家に戻る。時間帯的にも母親が寝ているかもしれないのもある。起こしてしまった時に癇癪を起されてしまうのだ。

『……』

 明かりのない部屋で、母親は酒に浸っていた。シモンはその後ろ姿を見る。なんともまあ。

『……ああ、帰ってきてたのかい。シモン』

 頼りない背中。だらしなく着た寝間着からのぞかせているが、こんなにも頼りなく小さな背中だったのか。あれだけ恐ろしかった恐怖が今となっては―。

『……お前、明日だったか。あ、今日になるのかねぇ。まあ、どうだっていいさ。……なあ、シモンよ』

 椅子から立ち上がった母親は、ふらつきながら近づいてきた。その表情は昏い。

『……ああ、シモンよ。お前、大きくなったねぇ。旦那にも顔つきが似てきたねぇ』

『お母さん……?』

 じろじろと品定めされては、シモンは落ち着かない。いつもより異様な雰囲気なのもある。

『あのお嬢ちゃんも一緒だってね。お前が懐いている』

『え……』 

『それでいて、―女として見ている』

『!』

 シモンがすぐに思い浮かべたのは、クロエのことだった。シモンはいやに鼓動が速くなっていってしまう。

『丁度いいじゃないかぁ。なあ、シモンよ?六年間もありゃ、十分だろう?……お前のモノにしちゃいな。そうすりゃぁ、私もやりやすくはなる』

『な、なにいって……』

『そのままさ。あの鬼会長も孫を溺愛しているようだ。なら、孫の方を篭絡すりゃいい。お前があのお嬢ちゃんを落とすんだよ』

『……そんなことしない。俺はお嬢に対してそんなことは』

 クロエに対して好意があるのは本当の事だ。だからといって、いや、だからこそ。母親のそんな汚い思いで踏みにじられたかのようだった。シモンはただただ不快だった。質の悪い冗談として、シモンは自室に戻ろうとするが。

『おいおい、聞きなよ。お前にだって悪い話じゃないだろう!?見てくれはいい小娘だからねぇ。あの年にして体つきも女になってきてるじゃないか』

『いや、お母さん……』

『おやおやその通りだろう?お前だって、そう思ってあの子のことをみているんだろう?エロいこと考えながらさぁ?』

『やめてって、そんなんじゃない……。違う、違うって』

 まとわりつく視線や言葉を払いのけるかのように。シモンは必死に否定しようとしている。その様をみて母親は興に乗ってきたのか、止めることをしない。

『なんだいなんだい!そんなんじゃ他の男にもってかれちまうよ!あんな見た目だからね、選び放題だろうよ!』

『!』

『……ああ、それにだねぇ?お前はやれ妖精だって、清純って思ってようがねぇ?女は変わるんだよ。あんな澄ました女でもね、ほら、体を使ってごらんよ?すぐ、お前にだって―』

『いい加減にしろよ!』

 即、シモンの頭に血が上った。頭に血が上りきり、気づいた時には。

『あ……』

 今、シモンの目の前に在るのは。

『シ、シモン……?』

 床に転がって見上げてきている女だった。―息子に突き飛ばされた、母親だった。

『あ……』

 突き飛ばしたのは、シモンだ。咄嗟に手を差し伸べようとするも、彼は手を引っ込めた。自分がやったのだ。クロエ対する侮辱発言に耐えられなくなり。許せなくなり。

 このまま留まり続けるのはお互いの為ではないと、シモンは今度こそ去ろうとするが。

『……な、なんだい、その態度は!』

『!』

 シモンは身体をびくつかせてしまった。その場で固まる。それみたことか、と母親は嫌らしい顔をする。

『いいかい、シモン……?』

『……!』

 数年ぶりに聞く言葉だった。シモンは青褪める。ああ、やはり。自分は―。

『……私はね、諦めはしないよ。あの商会長、この際お気に入りの孫だっていい。あいつらが転落さえしてくれりゃいい。私をここまで貶めたんだ。道連れにしてやるんだよ!……ここまで堕としてやるよ』

『……』

『ああ、月イチの手紙だっけか。お寄越しよ、シモン。……愛息子からのお手紙だからねぇ、お母様も返事してあげようかねぇ』

『……それは』

『まあ、しょうもない内容だったら許さないけどな。はははは!』

 シモンの母親は高笑いをしたあと、乱雑に椅子に座る。そのまま酒を煽る。

『はぁ。うまいねぇ。……これからが楽しみだ』

『……』


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