アマリアの懺悔と救いと
寮に帰り、今日もまた質素な食事を摂る。調理人達が料理に工夫を重ねていた。量をかさましにしてくれたり、味に変化を加えてくれたりしていた。それがただ有難かった。
テーブルの隅の方にあったのは、皿に盛られた昆虫食だ。フィリーナの姿はないが、いたとしたら食いついていただろうか。ちなみに、チャレンジャーな寮生以外は誰も口にはしなかった。
いないといえば、クロエは当人が言った通りだった。ここにはいない。クロエだけではない。シモンもだ。彼は学園自体も休んでいたという。
シモンの事は噂にはなっていなかった。その場にいた先輩方もそうだが、他の寮生にも目撃されなかったといったところか。聞かれもしなかったのだろうか。
「お腹空いた。まだまだ足りないよぉ……」
「そういうこというなよ」
年若い生徒達は、つい不満を漏らしてしまう。それでも、我慢はしているようだ。この食生活は当分続くのだと、食堂にいた誰しもが憂いていた。
その後、空腹状態ながらもアマリアは眠りについた。そうして今、彼女は劇場街に立っていた。人の数もまだらであり、特に話題に上がっている劇場もないようだ。アマリアは歩き出そうとするも、止める。
「……私は」
今、自分が望む行く先。それは、シモンの劇場だった。彼もきっと何かを抱えている。それを知る手がかりになればとも思っていた。
「思えないのよ。悪意があったとはどうしても」
寮生活を送る中でもシモンの親切さには救われてきた。マゾっ気のある先輩だが、優しい先輩ともアマリアは思ってきた。それは、アマリアより長く共にいた寮生達もそう考えているだろう。
それだけではない。アマリアはこうとも考えていた。
「……私は許されたいのね」
もし、シモンの事を解決出来たなら。自分が気づけなかったことも、あの騒動も引き起こす一因になってしまったことも。ようやく自責の念から解放されるのではないかと。
「―っと!アマリア先輩発見!」
レオンの声がしたので、アマリアは顔を上げた。向こうから駆け寄ってきた。レオン一人ではなく、誰かを連れ立っているようだ。
「やあ、アマリア君」
優雅に声を掛けてきたのはノアだった。アマリアは考え込むのを中断し、ひとまず二人に手を振った。
レオンとノアが並んで立っていた。それにしても珍しい組み合わせだ。
「ん?ああ、ノア様見かけたからさ。確保してみた」
「ふふ、確保されてしまったね」
「いや、まじでさ。事前に示し合わせなしでさ?オレらと別々のとこ行かれたらさ?それ、やばくね?ってなってさ」
レオンの心配はもっともだった。ノアは自由にやらせてもらうと口にしていた。それはいい。だが、事前に打ち合わせもなく別々の公演に向かっていたとしたら。せっかくのノアが不参加ということもあり得る。さすがに単独で出るようなことはないと思うが。
「おやおや、シュルツ氏。そのような心配しなくても。そこはうまくやるさ」
「いやいや、どうかな?あとさ、氏って。レオンでいいってー」
「ふふふ」
「流されたな、これ」
レオンは持ち前のコミュ力を発揮し、ノアも社交的である。打ち解けるのは時間を要しなかったようである。
「エディ君はともかく、フィーもまだ来てないみたいだね」
「……ええ、そうね。私もまだ見てないわ」
話を振られたので、アマリアも答えた。
「おや。シャルロワ氏は既に先に行っているよ?事前に準備がしたいとね」
「へ?すでに?エディ君が?……ああ」
ノアは何てことなく言うが、レオンからしてみれば何が何だかわからない。そう思われたが。
「……ああ、そういうこと。あの人、『黒』だったんだ」
「!」
レオンは冷めた目でそう呟いていた。アマリアは衝撃を受ける。が、エディもそう、このレオンもそうだ。気づく人は気づいていたのだろう。
「……よいかしら、お二人とも。話があるの」
「ふむ。アマリア君、シュルツ氏。場所を変えようか。アマリア君の劇場にしよう」
「……ええ、ありがとう」
アマリアの深刻な表情から、ノアは移動を提案した。向かう場所はアマリアの劇場だった。人払いには最適な場所だった。
「アマリア先輩の?あー、そういや行った事ないわ。フィーもわかるかな」
「なに、時間をかけなければいいさ。……それか。フィリーナ嬢は今回ご遠慮願うか、かな?」
ノアはアマリアの方を見た。試すような眼差しだった。アマリアは今は答えは出せない。
「……手短に話すよう、心掛けるわ。今はそれだけ」
特にこれといった特徴のない、朴訥な建物。アマリアの劇場だ。それでも特異なのは三ツ星ということ。そして、開けられるということもないこと。
「へえ、ここがねぇ」
レオンも興味は持たないわけがないが、今は後にしておくことにした。
「単刀直入に言うわね。シモン先輩の劇場に向かいたいの」
彼らなら察しているだろう。だからこそ、アマリアは前置き無く告げることにした。
「まあ、ボクは構わないよ。事前に構えていたシャルロワ氏を思うとね。断る理由もないさ」
「ありがとう」
エディも狙いをつけていたのは同じ人物だった。それで話が済むと思ったが。
「でも、どうしてだい?突然過ぎるよ、アマリア君にしてはね」
「え」
「エリカ嬢のように兆候があったわけではない。シュルツ氏のように、それとなく察知できていたのかな?君は」
ノアの疑問にアマリアは戸惑う。レオンもまた、アマリアの返答を待っているようだ。戸惑いはすれど、時間は許してくれない。アマリアは答えるしかない。
「……そうね。シモン先輩とは前夜、お会いしていたの。クロエ先輩が自室を出て作業をされていて。でも眠ってらしたの。シモン先輩がお連れしようとしていて。でも、その前に部屋を片付けるとのお話で。……実際は、違った。その前に、シモン先輩は。―クロエ先輩の部屋に侵入していた」
一呼吸をすると、アマリアは続けた。
「私は、気づかなかったのよ。不審な点はあったのに」
「……うーん。アマリア先輩さ。とっくに荒らされた後だったんじゃないの?会ったのって。どうしようもなくない?」
「……それは。そうであろうと、シモン先輩の様子がおかしい時はあったのよ」
「うん。……それはさ、気づいた方が良かったかもね」
「……レオ君」
レオンははっきりとそう告げた。確認をした上であった。アマリアの責もあったのだと認めたのだ。冷たいこともある、だが。
「ええ、そうね……」
不思議なものだった。なあなあにされるよりかは、アマリアはどこか救われる思いだった。
「存外優しいものだね、シュルツ氏は。ふふ、僕も君に付き合おうかな。君の自己満足に」
自己満足。ノアははっきりと突きつけてきた。でも、それもそうなのだとアマリアは思った。シモンを救いたい気持ちはもちろんある。だが、自分がやってしまった事を巻き返せたらとも思っていた。
「ええ、そうね。最早、自分の為よ。……自分の責任を取りたいの」
アマリアは認めることにした。そんな彼女を見て、ノアは一考する。
「……まあ、これは『彼』が言ってくれるかな。より、聞き入れてくれるだろうしね」
「ノア様?」
何かを言いたげだったノアだが、取りやめたようだ。その彼やら、ノアが言わんとしていたことはわからない。ノアは話を切り上げる。
「いいや、なんでも?話はまとまったようだね。一度、戻ろうか」
「おっけ。着ぐるみの一体、二体捕まえてくるわ。あの人の劇場、場所わからんし」
「それは助かるね。穏便に済ませてくれるかい?」
「りょうかい!」
「断言してくれるものだね」
シモンの劇場に向かうことで、意見は固まった。アマリア達は入口へと一旦戻ることとなった。
「あ……」
劇場街の入り口に立っていたのは、フィリーナだった。不安そうな声を上げると共に近づいてきた。といなや、アマリアの腕にすがりつく。
「置いていっちゃったかと思ってた……」
「フィー……」
そのままフィリーナは俯く。が、すぐに顔を上げた。無理をしているところもあるが、笑顔ではあった。
「でも、会えたから!わたし、頑張れるから!」
「フィー、あなた……」
俄然張り切るフィリーナは眩くもあった。アマリアは後ろめたい気持ちながらに説明しようとするが。
「フィー。ごめん、あんま説明している時間ないんだ。でも、納得してくれると思うから」
「まあ、キミが納得いかない場合も考慮してだね。見学してくれてもいいし、お帰り願ってもいい」
「む。そんなことないもん」
中断される形となったが、レオンが言った通りでもある。時間に猶予はない。レオンが通りかかった着ぐるみ達を拘束し、シモンの名を告げた。幸いなことに、反応はあった。問題なく転送された。
たどり着いたのは、異国情緒あふれる場所だった。道がらにある街路樹も本国とは異なるものだ。タイル貼りの道路に、カラフルな装飾の看板達。空を望めるガラスの屋根に覆われた商店が建ち並ぶ。アーケードの商店街がそこにあった。
「書籍で見たことあるわ」
「ああ、そうだね。―そのものだ」
アマリアが書籍で見たそのもの、そして、ノアも実際に見たことがあるような言いよう。―ここは、アルブルモンド国。リゲル商会擁する商店街そのものだった。
これだけ建物があると、シモンの劇場を見つけるのも大変そうだったが。そこは、着ぐるみの仕事が出来たもの。目の前まで送り届けてくれたようだ。立て看板もある。
「一つ星」
フィリーナは確認し、辺りを見る。客といえるのが、自分達しかしないようだ。
「結構、距離あるかもね」
「ふむ、それは言えているかもね。このボクも知らなかったくらいだ」
レオンの指摘に、ノアも同意した。それなりに劇場街を渡り歩いているノアもまた、ここを訪れたのは初めてのようだ。もちろんアマリア達もだ。
「シモン先輩……」
アマリアは劇場を見る。着ぐるみ達が送り届けてくれたのもあるが、どのみち見つけやすかったのだ。それは、立て看板の存在だけではない。彼の劇場が異色だったのだ。
外観からも磨き上げられたリゲル商会の建物群。その中でも、シモンの劇場にあたるものは違っていた。ペンキの塗りでごまかしてはいるが、ツギハギだらけである。浮いていたのだ。
いつも笑顔で朗らかだった。クロエに従順で懐いていた。リゲル商会に家族ごとお世話になっている。そのような『シモン先輩』。
彼が抱えているものを明らかにする為に。―アマリアは、『自己満足』の為に。劇場の扉を開いた。
「いらっしゃいませ。リゲル商会にようこそおいでくださいました」
エントランスにて。リゲルの制服を纏った着ぐるみ達が、丁重に迎えてくれた。お辞儀は深々と。しっかりと教育されていた。調子狂いながらも、彼らは舞台のある部屋へと通された。
通された場所は、オペラホールのようだった。外観とはちぐはぐだった。客数も本当に少なく、十人にも満たない。集団でいるアマリア達が目立つほどだ。
「つか、ノア様。エディ君はスタンバってるって話だけど。ショタとエンカウントしたりしない?」
「ショタ……?ああ、あの愛らしい少年の事だね。まあ、そうなったら流石にシャルロワ氏も逃げるだろう」
「えぇー……。逃げて済めばいいけど。エディ君、ショタのこと認識してないみたいだからさ」
「おやおや、不思議な話だね」
「いや、認識してるオレらの方がイレギュラーっぽいけど」
レオンとノアが話しているのは、支配者の話だ。今のところ、彼の姿は確認出来てはいない。ここはエディならうまくやってくれると、そう願うばかりだ。
「あ……」
アマリアは寮の先輩達の姿を目撃する。シモン自白したその場にいた人々だ。バラバラに座ってはいるものの、気にはなっていたようだ。だが、アマリアは声を掛けることはしない。それは、フィリーナやレオンもだ。ほぼ面識がないノアもそう。
「……いらっしゃらないわね」
寮の先輩達の姿はあれど、クロエの姿はなかった。いてくれたらなら、少しは救われた。それはアマリアもそうだった。だが、シモンの対してあれだけ突き放していたのだ。来ないと考えた方が妥当なのか。
軽く頭だけ下げて、アマリア達は隠し通路を抜けることにした。
ぎしぎしと軋む薄暗い廊下を向け、操作室と書かれた看板の前を通る。アマリアは前に教えてもらったことがあった。ここで、エディは照明などを操作していたという。―エディなら入れる場所であると。
「やっぱり来た」
「エディ」
扉の近くで待機していたのは、エディだった。どうやら、支配者と出くわすこともなかったようだ。支配者不在の公演なのは間違いなさそうだ。
「んじゃ、よろしく!とりま、やりますかー」
「頼んだよ。ああ、ボクは好きなタイミングで行かせてもらうよ」
公演はいつ始まってもおかしくない。我先にと、レオンもノアも舞台袖へと向かっていく。
「……あ。うん、わたしも頑張る!」
「フィー……」
アマリアは心配だった。ろくに事情を話せてないこともある。それもだが、フィリーナが遅れてくるのが珍しいことだった。エリカの公演で途中退場したこともある。本調子ではないだろうかと。
「大丈夫」
「!」
そう考えていたのが、フィリーナに読まれていたかのようだった。
「わたし、ノア様を見習うから。無理しない。すっごく大事なこと」
「そう……?」
「あとね。遅れてきたから、その分元気!リーゲル、リーゲル!誇りと共にー、誠意をお届けするー」
「フィ、フィー……?」
「即興で作ったの。リゲル商会の歌!それじゃっ」
手を振りながら、フィリーナも先行く彼らを追いかけていく。続きの歌詞を紡ぎながらである。向こうでレオンに突っ込まれていたが、まだ歌っていた。自信作のようだ。
「私も行かないと。では、エディ」
「先輩待って」
エディは腕を掴んでいた。が、すぐには離す。話があるのは確かのようなので、アマリアは待つ。
「……絶対そうだとはわからないけど。先輩、思い詰めているのは確かだから。なにか、責任感じているかなって」
「……それは」
エディは見つめてきた。どこまでも見通してくるかのような、翡翠色の瞳だった。アマリアがいつも綺麗だと思っているそれが、今は怖くも思えた。
「……責任、それはそうなのよ。今回のシモン先輩の件、私は不審な点を見抜けなかったの。私が見抜けていたらなら。先輩方、そしてあなた達。何よりクロエ先輩に辛労させることもなかったわ」
人をうっかり信じてしまったのだ。見抜けなかったのだ。エディも表立って責めることもないだろうが、呆れたりすることはあるかもしれない。特にエディ相手だとそれが恐ろしくあったのだ。
「……?」
それがどうしてかは、今のアマリアにはわからない。
「それは確かに。先輩なら責任感じるだろうな」
「ええ、その通りよ」
そうなのだ。自分は責任を感じているから、今回の舞台に臨むのだと。アマリアはそう思っていた。思い込んで、いた。
「先輩。……あんたに伝えておきたい。あんたは今回の事、自分に非があるから、贖罪もあっての事だって」
「……ええ」
「それならそれでいい。―俺はそれでも先輩の力になる」
「!」
エディは微かに笑った。そして、と彼は続ける。
「先輩はそれだけじゃない。それもわかっているから。あんたの根底にあるのは、―誰かを助けたいって気持ちだって」
「……それは」
そんな綺麗なものでも、大それたものでもない。そもそも、アマリアの一番の目的は婚約者の事だ。
「……はあ、あんたは鈍いから。色恋に疎いだけじゃない」
「なっ」
溜息をつかれた上に、随分なことを言われた。アマリアはつい、反応してしまう。だが、次のエディの言葉に何も言えなくなってしまう。
「自分の気持ちにも鈍い」
「……」
「俺はずっと見てきたからわかる。あんたはアレコレ言うかもだけど、誰かを助けたい。救いたい。それ、否定しないであげて」
「……」
「ずっと。そうしたかったんじゃなかったっけ」
「……!」
前に気持ちを打ち明けた時、アマリアは確かにそういってきた。その事をエディは触れてきたのだ。
「先輩がやりたいようにやればいい。責任を取りたいなら取ればいいし、助けたいならそうすればいい。―あんたに後ろめたいことなんてないんだ」
「……エディ」
すとんと、気持ちが落ちてきた。アマリアの迷いは完全に消えたわけではない。だが、強張っていた表情がようやく、解かれていくかのようだった。
「呼び止めてごめん。放っておけなくて」
「……ええ。ええ、エディ。ご心配かけたわね」
「ははっ」
アマリアはいつもの顔つきへと戻っていた。それを目にしたエディは小さく笑った。
「―すっかり、元通りだね。良かったよ」
「はっ!ノア様!?」
引き返してきたノアがやってきていた。すっかり二人の世界だったが、気を取り直す。
「良い雰囲気のところすまないね。彼女を呼びに来たんだ」
「……またそういうこと言う。まあ、こっちはもう大丈夫」
「……へえー、そうかい。まあ、いいさ」
やけに含みのある会話だ。アマリアは疑問に思ったまま、この場を離れることとなった。
「すっきりした顔だね」
「え?ええ、まあ、そうね」
走りながらノアはそう言ってきた。その通りだとアマリアも頷いた。
「……彼にリードを許してしまったかな。でも、君の心を晴らしてくれると思ったから」
「……ノア様?って、ノア様!?」
ノアの呟きはよく聞き取れなかった。アマリアは相手の顔を伺おうとした時には。―ノアの姿はなかった。アマリアは狼狽えるも、即思い直す。エリカの公演の時のように。不意打ち的に舞台に現れるのだろうと。
フィリーナとレオンも待たせている。アマリアは急ぐことにした。




