からの大暴露
朝早くということもあり、大半の生徒は目を覚ましていない。ちらほらと、寮生を見かけるくらいだ。寮母を始めとした職員達は、既に動き始めていた。アマリアは敬意を示せずにはいられない。
「私も甘んじていられないわね。さて」
こうして早く起きたのも理由があった。アマリアは軋む廊下を歩き、階段を下りる。静かな朝だ。
「あ」
玄関口まで来たところで、目当ての人物を発見した。クロエだ。そこにいたのはクロエだけではなく、寮の先輩達もいた。話し込んでいるようだ。深刻な話かと思われたが。
「あ。おはよ、アマリアさん」
「よぉ、アマリアか」
「お、アマっちじゃーん?おっはよー」
「アマリアおはよう」
先輩達は気さくに声を掛けてくれた。
「おはようございます、皆様」
安心したアマリアも挨拶を返した。こんな朝早くに何事かとはお互い様だった。まずはクロエから尋ねてきた。
「アマリアさん?こんな朝早くにどうしたの?」
「私でしょうか?それはもう!クロエ先輩の御力になりたくて、馳せ参じました」
アマリアは瞳を輝かせながら答えた。彼女が手にしていたのは箒だ。玄関口に常備しているものである。クロエが朝一番に行っている掃き掃除をかって出ようというのだ。
「んー……」
クロエは渋い顔をしていた。これは、言いくるめられて箒を没収される流れか。アマリアは箒を構えた。
「ふはっ」
笑い声を上げたのは、男の先輩だ。続いて、クロエ以外の先輩方も笑いだす。
「考えることは同じかよ!俺らも寮長に話してたんだよ。もうここらで、こっちにも寄越せってな。こうした雑用もそうだし?リゲル絡みの仕事もだ!」
「そうそ。アタシも手伝うぜ!微力ながらだけどねー」
「いや、微力いうな。私達、ずっとクロエに負担ばかりかけていたから」
クロエとは長い付き合いの彼らもそうだった。リゲル商会以外の事なら手伝えても、商会の仕事だけはクロエは単独で行っていた。
「……皆の気持ちは嬉しいよ。でも、おじいちゃんに託されたことなの」
クロエは浮かない表情のままだった。そう答えるだろうな、と誰しもが思っていた。
「……さようでございますか。ええ、そうでしょうとも。ですから、私は待ちますとも。―いつでもおっしゃってくださいね、クロエ先輩」
「……だな」
クロエが少しでも力を借りたくなったら、快く応じようと。アマリアも先輩方も思いは同じだった。
「……うん」
クロエも返事だけはした。俯き気味の彼女から、感情は読み取れなかった。
「つかよ。シモンの奴にやらせりゃいいだろうが。アイツ、リゲルの人間だろ?」
「だよねぇ!シモちい、大量に押し付けられたらさ、大喜びだし、大興奮だろうに」
「ああー……。そこで興奮するのがシモンだよね……。つか、とっくに来ているかと思ってたけど。いないね、シモン」
話題も的であるシモンだが、今ここにはいない。真っ先に同じ提案をしそうなシモンがいないのだ。アマリアも不思議には思っていた。
「シモン君の話はいいよ」
思いの外冷たい声だった。クロエによるものだった。雑談していた先輩達も凍りつくほどだ。あ、とクロエは声を漏らす。
「……えっと。うん、みんなの気持ちは嬉しい!そうだね、色々やってもらおうかな。まあ、リゲルの仕事はこっちでやるから。そこは、うん」
クロエは努めて明るい声で話す。誤魔化しているのは一目瞭然だった。クロエ自身も不本意な声だったのかもしれない。
「ええ、何なりと。こちらの箒は一旦戻して―」
アマリアは掃き掃除に乗り気だったが、他の事を頼まれたらそちらを優先するまで。箒を立てかけようとしていた時だった。
騒がしい足音が聞こえてきた。息を切らしながらやってきたのは。
「……いた、お嬢!……俺、俺!」
突然やってきたのはシモンだった。探しに探し回り、ようやく見つけたといった感じだった。
「……シモン君?」
「お嬢!」
何事かとクロエが訊く前に、シモンがとった行動は。床にひれ伏せて、頭をこすりつける。―土下座だった。
アマリア達も驚きを隠せない。場はざわつく。あまりにも突然過ぎたのだ。
「……」
クロエは黙ったままだ。普段の彼女なら止めるようなものだが、そうはしない。
「……この度は、この度は!誠に申し訳ございませんでした!すべて、すべて俺のせいなんです!俺が、俺が悪いんです!」
より深く、シモンは這いつくばった。クロエは無言のままだ。完全に見下している構図でもあった。
「俺が……。全部、悪いんです……。ごめんなさい、ごめんなさい……。俺が、俺のせいで……」
「……おい。立てよ。土下座なんて、しょせんポーズだ。そのへんにしとけ。寮長もだ。こんなの望んでねえだろ」
「俺のせいだ……。お嬢に合わす顔なんて……」
シモンは頑なに土下座をしたままだった。奮えた声のまま、謝罪を繰り返していた。
「……」
何も言わないまま、クロエは歩き出す。シモンに近づいた彼女は、しゃがみ込んだ。
「いいから。シモン君、それもうやめて」
「お、お嬢」
「早く」
「はいっ!」
反射的にシモンは体を起こした。涙と鼻水で顔面がぐしゃぐしゃになっていた。拭うことなく、シモンはただ相手を見ていた。クロエは淡々と質問を下す。
「俺のせい、ね。つまり、一連のことはあなたのせいってこと?」
「……」
「うん、一連は言い過ぎた。ファイルの順番をめちゃくちゃにした。それは、あなたなんだね?」
「……はい。俺が、お嬢の部屋に入って」
「そう、私の部屋に入っったんだね。認めるんだ」
おい、と先輩が前に出ようとする。異性の部屋に無断で入った。しかも、やったことは妨害である。先輩方は立腹だ。
「……そんな」
アマリアも怒りつつも、その当時のことを振り返った。そう、クロエがダイニングルームでうたた寝していた夜である。シモンも確かにいた。彼は自分の部屋を片付けていたとはいっていた。―だが本当は。彼が向かっていったのは自身の部屋ではなく、クロエの部屋だとしたら。鍵を抜き取ったりまでしていたとしたら。
「クロエ先輩、私……!」
「……」
クロエはアマリアを見ることなく、手だけで制す。こうも説明した。
「これ、本当のことだから話しとく。あの夜、私うっかりしていたから。鍵掛け忘れだし、持ち出さずに部屋出てた。制服取りに戻った時、いつものところにあったからそれは確か。さすがに鍵のしまい場所まで知らないとは思いたいから」
シモンもぶんぶんと首を縦に振った。クロエの鍵を盗んでまでしたことではないと。ただ、もしクロエが鍵を持ってきていたとしたら。彼はかすめとって鍵を開けたのだろうか。いや、所詮はもしもの話である。
シモンがクロエの部屋に忍び込み、資料を荒らしたのは事実だ。
罪悪感があるアマリアもそうだが、付き合いの長かった先輩はもっとだ。何をしてくれたのかとシモンに冷たい目を向けた。シモンが余計な事をしたから、クロエは大変な思いをしたのだ。
あれだけ大人たちから糾弾され。自分の仕事にも確信がもてなくなってしまっていた。クロエにどれだけ責められても恨まれても、シモンは文句は言えない。
「私にも責任はある。シモン君。もう二度とやらない?」
「……」
シモンはすぐにはクロエの問いに答えない。それはより一層の不信感を抱かせるものだった。
「シモン君」
「……っ!それは、もちろん!もうこんなことは!」
ならばどうして即答しなかったのか。クロエはただ、首を振るだけだった。
「……」
長い沈黙だ。シモンは手を握りしめて、クロエからの裁きを待つ。どれだけ罵られようと、手を出されようと。
「……いいんだよ、シモン君」
柔らかな声で語りかけてきたのはクロエだ。シモンは顔を勢いよくあげた。クロエはあろうことにも微笑んでいた。
「気にしないで?皆には迷惑かけちゃったけど、ほら、皆助けてくれたし。私の事、証明してくれたから。だからね、シモン君が思い悩むことなんてないから」
「お嬢……?」
「ほら、顔拭こ?あ、顔洗ってきた方が早いか。ほら、立った立った」
クロエはハンカチを差し出したまま、笑いかけ続けている。シモンは混乱しつつも、言われるままに立つ。
「お嬢、許してくれるの……?俺、お嬢の信頼を裏切ったのに……?」
「信頼」
クロエは反芻した。そして、目を細めた。
「あはは、シモン君ってば。―私、元々信頼してないから。だから、気にしないでって言っているの」
「―え」
クロエはどこまでも優しい笑顔で、突き放した。それは、アマリアも含めて周りの人までも突き刺さるような物言いであった。
「お嬢!俺、とんでもないことしたから!だから、ちゃんと謝罪する!ちゃんと報告して、然るべき罰を―」
「だから、そういうのいいから」
クロエはぴしゃりと言い放った。シモンは慄き、口を閉ざす。
「閉鎖された学園だし、おじいちゃんに報告するのもなんだし。……皆もね?ここだけの話にして欲しいんだ。もう、解決したってことで。蒸し返しはなしで!」
クロエはそう言うが、彼女以外はそう簡単には納得できない。異を唱えようとするが。
「うん、じゃあ、こうしよう。卒業まで保留ってことで!あとはもう、祖父の処断に任せる。……だからさ、普通に学園生活過ごそう?」
「お嬢……」
「そんな顔しないでって。―ほら、皆も御飯食べてきたら?」
寮生達の話し声が遠くから聞こえてきた。いつの間にか、いつもの起床時間になっていたようだ。クロエはクロエでスタンドにかけていたコートを纏う。外出するようだ。
「私、今日は授業休むね。あと、満月寮の方に泊まり込むから。食糧のこと話し合わないとってことで。いってきます」
早口に告げると、クロエは入口のドアを閉めた。
「……」
残された彼らは立ち尽くしていた。シモンだけが崩れるように座り込んでしまう。
「俺はなんてことを……。俺のせいなのに……」
「……とりあえず立て。俺らでよければ話聞いてやる」
「俺のせいなんだ……。全部、俺が……」
取り付く島がない。シモンはただそれだけを繰り返す。話を聞く姿勢だった先輩も、苛ついてしまったようだ。座り込んだ彼はシモンに怒鳴りつけてきた。
「お前……!そうだよ、何やってんだァ!?何考えてやがんだよ!?」
「ヒィ!?……ごめんなさい、ごめんなさい!」
「……!」
シモンは頭を抱えて丸まってしまった。そのまま震え続けている。ひたすら謝り続けていた。
―誰に向けてなのか。それはわからない。
シモンは壊れてしまっているかのようだ。クロエの反応が堪えたのだろう。拒絶されるより痛めつけられたようだ。シモンを責めようにも、かえってこちら側が心を痛めるかのようだ。特に先輩方は長年過ごした情や仲間意識もあるんだろう。
一番の被害者であるクロエが糾弾しない、許したこともある。彼らは小康状態だった。
「……ふう。ここに居続けんのやばない?変に注目されるじゃんか」
「……ごはん、いこうか。ほら、あんた達も」
玄関にて先輩方が固まっていては、変に注目を集めてしまう。シモンを強引に立たせた先輩を先頭に、彼らは食堂に向かっていった。アマリアも声を掛けられたが、アマリアは遠慮した。掃き掃除をしてからで、というのもあったが。
「クロエ先輩はそうおっしゃっていても、お二人の絆は誠だと。私はそう思っておりました……」
アマリアは一人ごちる。そして。
「……私が、怪しいと思っていたら。早く気づいていたのなら」
そう呟き、箒を強く握りしめていた。
アマリアは一人、学園に登校してきた。学園内には様々な噂が飛び交っている。
―あっちの寮長、必死だね。自分のはちゃんとやってたとしても。リゲルのやらかしには変わらないし。
―あのリゲル商会がねぇ。鬼の商会長が怒りに怒りまくっているんじゃない?孫、何やってんだよ状態じゃん。
―え?定期便来ないのもあっちの寮長のせい?
―いや、知らんけど。まあ、なにかしか関係してんじゃない?ああ、ふざけんなよなぁ……。
「……」
そう、結局はわからない。どうして、毎回途切れなかった定期便まで来なくなったのか。クロエの疑惑はあくまで、新月寮分の手配を怠ったのか否か。定期便までとなると、それはクロエの管轄ではない。といっても。
食糧問題には変わらないし、解決もしていない。次の定期便まで、学園の備蓄で乗り切っていかなければならないのだ。クロエにヘイトを向けられるのは無理もない話だった。
―寮長さんには同情もするかな……。相当厳しくされてきたんだろうし。今回の事も自分でどうにかしろぉ!……じゃない?
―商会長、色んな人に恨み買ってそー。
「……」
アマリアは自責の念に囚われる。あの時自分が。シモンの異変に気がつけていたのなら。どうしてあの時、と。クロエも思うところがあった、気づいていただろうに、言わなくていいと制してきた。
―エリカ様、しばらくお休みされるそうよ。
―まあ、そういってまた昼に来たらこえぇけど。
エリカは学園には来なかった。彼女の姿を見て安心したかったのはあるが。
―……なんだろ、大丈夫な気がする。なんでかわからんないけど。
―ほら、ヨルク様あたりがなんとかしてんじゃない。それでとか。
―それもあるけど、それだけじゃないというか。
「……エリカ様」
アマリアは彼女を思う。満月寮にて謹慎状態なのだろう。それでも、エリカを信じることにした。彼女の方は大丈夫だろう。
「……ええ」
エリカの方は、である。今朝方、疑惑が明るみになってしまったシモンとは違う。しかもそれは、自身が未然に防げていたかもしれないことだった。
アマリアは重い気持ちのまま、今日も学園生活を送ることとなった。