舞台を終えて。―ネタバラシも添えて。
「ふう……」
アマリアは一人、舞台袖に戻った。
「お疲れ、アマリア」
頭上から声がした。アマリアは嫌だったが想像はついてしまった。これはもう、支配者だろうと。といっても、素通りするのも気が引けたので、会釈だけで済まそうとするも。
「……夢の中の住人に、ここは夢の中とかいうの。場合によっちゃ、危ないからね」
説教かつ忠告をしてきた。アマリアはその場で止まる。
「……ええ、まあ。忠告ならば受け止めておくわ」
「まあ、今回はセーフだったけど。あの令嬢も気にしないタイプで良かったよ」
「……ええ」
エリカだったから。また、エリカにしか聞こえない声にしていたから。支配者は考えもなく言ってきたわけではないだろう。アマリアはしかと受け取った。
「さて、ぼくはこのへんで。あーあ、今日もアマリアに邪魔された―。ほんと諦め悪いんだからー」
「なんとでもおっしゃいなさい」
「……はあ。あの令嬢のご両親もそう。ほんと、諦めの悪い。諦めない。しぶとい人達ばっか」
「―え」
呆れながらも、どこか温かい声音だった。アマリアが聞き直そうとした時には、すでに支配者の姿はなかった。
「私の両親が……?」
「!?」
エリカがいつの間にか背後に立っていた。支配者の姿を確認できているとは思えない。そんな素振りはなかった。ならば、何かの悪戯だろうか。
「ああ、エリカ様……」
悪く受け取るなら、支配者が手を下したかのようにもとれる。だが。
「……ああ、そんな気もしてました。今までは期待しないように、打ち消してきたけれど。私、今なら信じたいです」
希望を持つのなら。エリカの瞳は輝いていた。
「エリカ様……」
アマリアはそんな彼女を温かく見守った。願わくば、彼女の希望通りであるようにと。
「ふふ、皿洗いもなんのその!根性で乗り切りました!」
「まあ、大したものね」
「はい!ふふふ、今度ぼったくろうものなら、通報しますからねー!」
「まあ、怖い怖い」
エリカが笑っていってくれるので、アマリアも乗った。
「ええ、生徒会に。それと、新月寮の寮長さんも良いですね!」
「こ、こ、怖い怖いわねぇ。ああ、怖い怖い」
「ふふふ」
「……いえ、本当に?御冗談ではなく?」
「ふふふ、冗談ですよー」
明らかに動揺したアマリアに笑いかけ、エリカは走り去っていった。
「ふう。心臓に悪いわ。ええ、乗り越えましょうね、エリカ様」
食糧問題は依然、解決してはいない。それでも見通しは明るいものになった。
隠し通路とつなぐ扉の前で、おなじみのフィリーナとレオンの姿があった。もう一人いる。
「!?」
あり得ない人物がいた。アマリアは目を疑ったので、もう一度確認する。
「!?」
結果は同じだった。信じ難い人物がいるのは、確かな事実だった。
「あ、アマリアだ。お疲れ様」
「おつー」
フィリーナもレオンも普通にしている。それが、ますます信じられない光景に拍車をかける。
「―あら、アマリア様っ!ごきげんよう、ってなによっ!そんな顔してっ」
頬を膨らませたカンナがそこにいた。公演が終わったあと、本人ではないカンナはいなくなるはずだ。では、ここにいるカンナは何者なのか。まさか、カンナ本人が乱入してきたとでもいうのか。
「……いえ、失礼したわ。理解が追いつかなくて。説明お願いできるかしら。フィーやレオ君はご存知のようね」
頭を抱えたアマリアは、説明をお願いすることにした。フィリーナ達の解説を聞いた方が良いだろうと判断したのだ。
「ふふ」
「……?」
カンナにしては、低く、そして蠱惑的な笑い方だった。それこそカンナ本人がしないような。
「―やあ、お疲れ様。ボクはうまくやれていたかな?」
「???」
カンナのような小柄な少女。いや、小柄とは言えない。アマリアは自身とも比較する。学園女子の中では高めのアマリアよりも高い。そして、声だ。中性的ではあれど、低めの声。さっきの笑い声からしてもそうだ。
何よりこの話し方。覚えがある。既視感があるのだ。
「……ああ!」
アマリアは、今になって気がつく。ピントが合わさる感覚だった。
「おやおや、アマリア君。気づいてくれたかい?」
出で立ちはカンナのまま。それは仮の姿である。
学園の麗人として謳われる、男女問わず篭絡しかねない存在。ノアはアマリアと同学年の、そのような生徒だった。
「いやぁ、ノア様さ。オレらの時はあっさりバラしたのに」
「ノア様。アマリアを揶揄うのはほどほどに」
後輩達がたしなめてくるも、ノアは笑って受け流した。これは悪いとは微塵とも思ってない態度だった。
「でも、それはそれ。ノア様、すごかった!わたし、びっくりしたもの」
「そうそう!カンナちゃん、都合良く協力してくれるなーとは思ったけど。なんだ、ノア様。ちゃんと参加してくれるんじゃんて。……オレらまで、担がれてない?」
「ふふふ」
レオンが入場前に触れていた『あの人』。このノアを指していた。ノアは、何か目的があって、アマリア達への協力を申し出ていたのだ。そして、自分が役に立てるのは、と告げていたのは。―『変装』だった。
「いやいや、ボクはまだまださ。カンナ嬢の話し方も、力み過ぎていたきらいもあったからね。彼女はもう少し柔らかな話し方もしていたよ」
謙遜というよりは、ノアは心からそう思っているようだ。その向上心や良し、とフィリーナは感心していた。
「いやいや、ノア様!徹底していたよ。ヨルク先輩のこと、ちゃんと褒めてたじゃん!不仲説あるくらいなのに」
「……おやおや、シュルツ氏。人聞きの悪いことを。それにいいかい?ボクはカンナ嬢だったんだ。彼女が彼を慕う。そこを曲げてはならないだろう?」
今の姿もカンナそのものだ。だが舞台から下りたとなると、嫌々言っているのは隠しきれていなかった。顔も張り付いたような笑顔だ。
さらに、レオンに密かに質問を連打していた。不仲説とはなんだ、と。勝手な憶測だ、と。自分はうまく取り繕えていると。そういうところだった。
「とりあえずさ、カンナちゃんの登場!まじ助かった。切り札じゃん、ノア様。こっちの都合の良い人物やってくれるならさ」
「……ええ、それはその通りね。ええ」
それはレオンの言う通りだった。ノアの参入に渋い顔をしたアマリアも、賛同せずにはいられなかった。カンナを演じてくれたことで、今回は乗り切れたこともある。アマリアは改めてお礼を言おうとしたが。
「……シュルツ氏、お褒めの言葉は何より。けれどね、限度はあってだね」
「んー、わかってるわかってる。仕込み、大変そうじゃん?」
「それもあるけれど。……まあ、言っておいた方がいいか」
それはノアにとっては言いづらいことだったらしい。だが、思ったほど覚悟を決めるのが早かった。ノアはさらりと言う。
「ボクはどうやら、そこまで耐性はないようだ。ああ、何のことやらだね。―舞台にあまり長く立ってられないようだ。体調が優れない時があってね。今はまったくもって平気だけれどね」
「!」
ノアは淡々とした態度だが、アマリアはそんな薄い反応ではいられなかった。やはり、とも思ってしまった。この舞台に立ち続けることは大変であること。負担を強いてしまうことなのだと。
アマリアは浮かれてしまった自分を恥じた。
「ノア様。今は本当に大丈夫なのかしら?あなたのお気持ちは大変有難いの。けれども、ご無理だけはなさらないで欲しいのよ」
学園の麗人は、よく学園を休んでいる。それは体が弱いからだ。というのが、学園の共通認識だった。アマリアも事は知っていたのだ。舞台に関することもそう。演じ続けることで、体調を崩すこと。それはまさに、アマリア自身がよくわかっていたことだ。
「おやおや、アマリア君」
詰め寄ったアマリアに対し、ノアはまったく気にしていないようだった。
「ふむ。君が気にする事はないさ。僕がそうしたいから、そうしているんだ。それにだね?僕はちゃんと計算しているから。過度の無理は禁物。よく、わかっているんだ」
「そう……?そのお言葉、信じて良いのね?」
「ああ、もちろん。心配性な君にそこまで言われたらね」
ノアはアマリアの両手を握ると、強く頷いた。それだけ言ってくれたのなら、アマリアも今は納得するしかない。助けられたのは事実なのだ。
「ほほー、スキンシップすげー」
レオンが棒読み気味で茶々を入れてきても、ノアは笑むだけで解くことなどしない。アマリアも拒むこともないと、そのままにしていた。
「無理……」
アマリアは気になったことがあった。やはり気になってしまう。フィリーナの途中退場だった。それとなく、フィリーナを見る。
「?」
普段通りの彼女だった。目が合ってしまったこともあり、アマリアは微笑む。フィリーナも笑い返してくれた。
「っと、つい喋ってしまった。そろそろ、まずくね?」
「うん。帰ろう。エディも待っているかもしれない」
ノアの変装の衝撃もあったが、思った以上に話し込んでしまったようだ。エリカの舞台を終えた今、これ以上留まる理由もない。人が多い公演だった為、着ぐるみの送迎をあてにはできない。それは、行きに経験したことだ。
「……」
五人一気に背負わせる。そのような非道な行為は、そうそうしてはならない。その場にいた誰しもが思い出した。あの苦しそうな着ぐるみの光景を―。
「ああ、ボクは化粧を落としたり。色々あるから。慣れてるから、そこまで時間はかからないけどね」
「ええ、わかったわ。手伝い、と思ったのだけれど」
「大丈夫だよ。―ああ、そうだ」
どれだけ変装をしてきたのだろうか。本人がそう豪語するくらい、化粧をするのも落とすのも造作の無いことだろう。
「確認をさせてほしくてね。君達への協力はする。―けれども、僕の好きなようにやらせてもらう。この方針のままで良いかな?」
「ノア様……」
ノアの眼差しはどこか挑戦的でもあった。試されているかのようだった。アマリアは断定して答えることはできない。だが、こうは答えた。
「ええ、それでも良いと思うわ。あなたが間違うようなら。私達の障害となるようなら。―矯正させるまでよ」
「……へえ」
ノアは値踏みするような態度だ。アマリアはアマリアで譲らない。
「……先輩さー、しみついてない?悪役っぷり。大丈夫?もう舞台終わってるよ?」
「な、なにを言うかしら。分別はついてるわよ!」
レオンに突っ込まれ、フィリーナには拍手される。いつもの雰囲気の中、彼らは劇場を出ることとなった。
帰り途中の生徒はかなり多かった。人の多さで賑わっており、渋滞もしていた。話し込んでいたアマリア達がこの時間になるのはともかく、観劇していただけの生徒が遅めに帰るのはどうしたことか。
生徒達は手に食べ物を持っていた。閉演後も料理は振る舞われていたようだ。それを堪能しきっていた為、観劇帰りの生徒達はこぞってこのタイミングになってしまったようだ。
にしても、生徒の数が多い。どうやら、よその公演に出向いていた生徒までやってきているようだ。料理が振る舞われていたと、聞きつけてやってきたようだ。渋滞も然りだった。
「ふむ。わたしももらって帰れば良かったかも」
「それそれー。―なんてね、ちゃんと確保してますから。ノア様に、エディ君の分もね」
「わあっ。レオン、ありがとう!食べ歩きしてみたかったの」
フィリーナははしゃぐ。レオンの手には四本の串料理があった。ノアには既に渡し済みとのことだ。アマリアとフィリーナにも渡した。
「んじゃ、食うべ食うべ」
「わーい、いただきます」
二人は堪能していた。アマリアも慣れないながらも、食べ歩きを試みることにした。舞台は無事終了した、そのご褒美だと思って。
「ありがとう。私もいただく―」
「きゃっ」
アマリアは食べる前に、小柄な少女とぶつかった。相手は後ろからやってきて、アマリアにぶつかってきたのも彼女からである。だが、弾き飛ばされそうなのは少女の方だった。
「失礼っ、あなた大丈夫!?」
アマリアは慌てて手を伸ばす。ふらつく相手を受け止めた。
「……すみません。大丈夫、です」
「そう?……あなた、確か」
青白い顔の少女、彼女は俯いたままそっと離れていった。アマリアは覚えのある少女だと、改めて声を掛けようとしたが。
「失礼します……」
か細い声と共に、少女は人混みの中。溶け込むかのように姿を消していった。
「―リア、アマリア。おーい、大丈夫ー?」
「ごめーん!オレらも流されててさー!止まってあげられないんだわー」
「!」
人混みに埋もれながらも、フィリーナは手を上げて軽く振ってきた。彼女もレオンも随分と先に行っていたようだ。この二人は、ぶつかった少女のことに気付いてないようでもあった。
「……」
それは、道行く生徒達にも言えたこと。一瞬でもあり、アマリアは幻であったような気さえしてきた。完全にその少女の姿はなかったのだから。
「……お待たせしてしまったわね。今、行くわ!」
アマリアは急ぎ気味で、人混みの間を縫っていった。フィリーナ達に追いつく頃には、入口付近までくることになってしまった。
エディの姿はない。ノアもぎりぎりになるだろう。アマリアも串料理を食べ終わった。三人は劇場街を出ることにした。
「お待たせしたわね」
「ううん。美味しかったね。それじゃあ、帰ろう」
「帰ろ帰ろ。―って、アマリア先輩?」
帰る流れになっていたのに、何故か立ち止まりだしたのはアマリアだ。彼女は辺りを見回している。
「いえ、長話ではないわ。ただ、疑問なの。たとえばこちらの串。捨てる場所はどちらでしょうと」
辺りには空の容器が捨てられていた。ポイ捨てだ。いつの間にやってきていたのか、着ぐるみ達が清掃していた。着ぐるみに直接ゴミを渡す生徒もいるが、それはまだマシなのかもしれない。少なくとも捨てて帰る生徒よりかは。
「わたしは持って帰るつもりだった。ちゃんと片付けないと!」
「ええ、そうよ。フィー、その通りよ!」
当然と答えるフィリーアに、アマリアは力強く賛同した。
「ええと……。まあ、うん。お先にー」
神妙な顔をしているのはレオンだ。何ともまあ、答えにくそうにしていた。ただ、目にすればわかりやすいかと。一人、先を行った。
「!?」
アマリア達は驚く。レオンが白い光に包まれると共に、彼が持っていた串が消失したのだ。
「持って帰れないってこと?」
「そういうことかしら。けれども……」
確かにレオンが入口を通ると共に、串は消えていった。これは現実に持って帰れなのだと、レオンが示したのだろう。だが、それはそれでアマリアは腑に落ちなかった。
アマリアの部屋にある軍用ブーツも。悪臭と頑固な汚れありのずたぼろなドレスも。レオンが持ってきたうさぎの着ぐるみも。―それらは確かに劇場街にあったものだ。
「……レオ君?」
レオンは何か知っているのだろうか。
「……いえ、帰りましょうか」
エリカの公演が終わったとはいえ、いくつか疑問を残したままになってしまった。それでも。今、こうして現実に戻れることを噛み締め、アマリアは前を向く。
「うん、帰ろう」
フィリーナもにこりと笑った。アマリアも頷いた。
「ん……」
アマリアはゆっくりと瞳を開く。寝ぼけは残しつつも、ベッドから起き上がる。カーテンを開けると、そこにあるのは淀んだ空模様だった。思わずため息をついてしまうが、彼女は首を振った。あの支配者のようにはなりたくないのもあるが。
「エリカ様はもう大丈夫。あと、一週間!慎ましく生きるわよ!」
気合を入れて朝から大声を出す。隣室に人がいない為、やりたい放題であった。