?つ星公演 エリカ嬢はご所望です。―こんなにこんなにいいんですかぁ!?閉幕
「ああ、おいしゅうございますぅ……。ああ、たまりませんわぁ」
エリカの勢いは変わらずだ。あれだけたくさんあったデザートも、残りわずかとなってしまった。エリカは食べ続ける。手づかみでクッキーを頬張るも。
「これは……」
エリカは食べかけのクッキーをそっと戻した。彼女はそれからじっとしたままだ。ただ、一点を見つめていた。
「……?」
アマリアは腕を組みながら、エリカの食べ残しを確認する。そこで、アマリアは気がつく。使われているのは、ナツメヤシだった。
「ああ……、そういうことね」
『―ね?美味しいね、そちらのクッキーも。わたし、クルミとナツメヤシの食感も好き』
ヨルク派とのお茶会の時、フィリーナがエリカに向けて掛けた言葉だ。そして、エリカの過去の回想。ナツメヤシは彼女の思い出の食物なのだろう。それこそ、母親が振る舞ってくれた―。
「あ……。あああ……」
エリカは慟哭した。
「母様。かあさまぁ……。とうさまぁ……!逢いたいですぅ……。私、帰りたい……。帰りたいよぉ……!」
大粒の涙をこぼしていた。思い出のクッキーも水浸しになる。それでも、エリカの涙は止まらなかった。
「た、食べなくちゃ。食べて、元気に……。うう……」
エリカは水気でしけったクッキーを口元まで運ぼうとする。だが、食べることは出来なかった。そのまま俯いて泣き続けた。
「……!」
アマリアは喉元を押さえた。嗚咽の声が出そうになっていたからだ。彼女の過去を思えば、そうならざるを得なかった。エリカは食べ物に逃げていた。と、同時に食べ物に救われてきたのだと、思い知らされた。
「私、元気でなくちゃいけないのに……。笑って、はしゃいでいる私だから、お姉さまも、ヨルク様だって、一緒にいてくれるのに……!」
「エリカ様、それは―」
アマリアは言いかけて口を噤む。『悪役』が何を言い出そうというのか。それに、どうやって、それは違うと言えるのだろか。説得力が欲しい、アマリアは歯痒かった。
カラン。店の扉が開く。やってきたのは、華やかなドレスを纏った少女達だった。先頭はカンナだった。どうしたことだろう、普段よりもひと際目を惹く。
「なによ。なんなのよっ。やっと営業している店があったと思ったら!店員がお客様をいびっているじゃないの。訴えようかしら」
「お、お姉さま……?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔面を、カンナ達に向けた。泣きはらした目をみて、カンナはますます糾弾しようとしていた。
「って、エリカじゃないの!ますます放っておけないわね!」
ずいっと前に出てきたカンナは、悪そうな女主人を指差した。アマリアは困惑をするも、態度を変えるわけにもいかない。アマリアは相手を見上げて、目を合わせる。調子を取り戻そうとする。
「……さあ、知らないわよ。そちらのお嬢さんが勝手に泣いただけ。当店はただ、美味しい料理を提供しただけよ」
「まあ、なんたる言い草っ!許せないわね。私の同志になんてことしてくれたの!ねえ、みんな!?」
先頭に立つカンナは、後ろに控えていた少女達に同意を求めた。彼女達もそうよ、そうよと賛同した。
「同志、ですか……?わたくしは、お姉さま達とは違いますわ……」
「一緒よ。私達、仲間じゃない。……ヨルク様を慕い、そして救われたじゃないのよっ!」
「そ、そんなことは……。わたくし、私は違います……」
エリカは力なく首を振る。勢いは削がれていた。それも、このカンナ達の登場も大きいのだろう。さっきは相手にすらしてもらえなかったが、アマリアはめげずに力を借りようとしていく。
どうしてかはわからない。けれど、今のカンナなら通じると思ったのだ。
「……あら、お知り合いかしら。ちょうどいいわ。あなた達も同席してくださる?お客様もいなくなってしまってね、食べ物がもったいなくて」
「ちょ、ちょっと!なんなのよ、あなたっ!」
語り口は温和だが、カンナの腕はしっかりと掴んでいた。逃がすまいとする強固たる意思が感じ取れた。
「アマリア様、何を……。アマリア様?」
「ええ、エリカ様」
エリカは今になって相手を認識したようだ。胸元が激しい主張している女主人が、学園の先輩であることを。ようやくだった。エリカは確かに正気に戻っていた。揺れる瞳のまま。
「ちなみに、全部彼女持ちよ。日頃お世話になっているのでしょう?ふんだんに振る舞って差し上げないと!」
「ちょ、ちょ、アマリア様……?」
いつの間に戻っていたレオンが、おかまいなしに料理を運んできた。給仕の姿にもなっていた。以後、ウェイターに徹するようだ。
「あら、そうなの?エリカ?」
「それは……」
「いいわねっ!みんな、座るのよっ。この機会に食べたいもの、食べましょっ?」
カンナにならって、他の乙女達も着席した。遠慮することなく、食べ物を注文していく。もりもりと乙女達は食していく。特にカンナがすごかった。エリカは圧倒されていた。
「お姉さまぁ……」
「なによっ。私達だって、食べるわよ。……安心なさい。足りない分は私が出してあげるから」
「いえ、そこは大丈夫ですが……」
エリカは食べずにいた。涙は止まったものの、下を向いたままだった。机の下ではドレスを握りしめていた。何かを耐えているかのようだった。葛藤しているともいえた。
「……お姉さま達は、やっぱり素敵です。私を気遣ってくださる。いつだってそうです。美しくて、優しくて、そんな素敵なお姉さま方」
絞り出すような声だった。エリカは何かを迷って、それでも告げようとしている。
「……」
アマリアはそっと、彼女の背中をさすった。そして耳元で囁く。
「……言ってもいいのよ、エリカ様。ここは『夢の中』なのだから」
「夢、ですか?」
「……ええ」
禁じ手だったかもしれない。夢の住人に、ここは夢の中だと告げるのは。それでもアマリアは告げることを選んだ。
「口にするだけで、すっきりすることもあると思うのよ」
「……なんでしょう、随分と確信されているような」
「ええ、そうね」
アマリアははっきりと肯定した。そこはまごうことなき事だった。
「……お姉さま達は、素敵で。素敵過ぎるからこそ、勝手に劣等感を抱いてました。……私!安心してたんです。一時期のお姉さま方、本当に殺伐としていたから!ああ、この人達も私と同じなんだって!私達、悩みを抱えていたから!救ってくださったヨルク様を心の拠り所にして!ああ、一緒だ!こんな素敵な人達も、一緒なんだって。……そう思っていたのに」
エリカは、アマリアの方を見た。責めているわけではない。かといって、好意的ともとれないものあった。
「……アマリア先輩が、学園に来てから。お姉さまたちは素敵さを取り戻していった。……私は、変わらないまま。ヨルク様のお茶の葉でごまかして。夢、ええそうですね。夢の中に逃げ込んで」
「エリカ……」
「私だけが……」
カンナ達は、ただエリカの話を聞いていた。ふう、と大きくため息をついたのはアマリアだ。
「私からしてみれば、一緒よ。お嬢さんよ、お嬢さん!」
「なんなのよっ、あなたっ!」
「ああ、騒がしいったらないわ」
アマリアはわざとらしく耳を塞ぎ、苦い顔をした。それでも続ける。
「夢の中なら、ね。あなたはこうして、夢の中で発散してきたわけね」
「……はい。情けない話ですが。結局、何も変わってないわけですから」
「あら、誰が悪いと言ったの?」
アマリアはきょとんとした。ちゃっかりと隣の席に着き、エリカの顔を覗き込む。
「―私の知り合いの歌姫もね。ここぞとばかりに大声で歌っているの。きっと他の子もそう。私もそうね。みんなそう。何を恥じることもないわ。だって夢の中よ。やりたい放題やればいいじゃない」
「それは……」
まだ惑うエリカに対し、アマリアは悪い笑顔を見せる。
「こんなとこ利用するだけして。……そうして、現実に戻ってくればいいのよ。ふふ、そちらのお姉さま方に怒られればいいわ」
「……」
「馬鹿にしているのかしらって。―私達も、一緒よって。カンナ様あたりに激しく怒られることでしょうね」
「!」
エリカは瞠目した。アマリアは続ける。これは、エリカにだけ伝えたいこと。だから、そっと囁きかける。
「だって、そうでしょう?あなた達、内容は違えど苦しみを抱え続けてきた。だからこそ、団結したのもあるでしょうね」
「どうしてですか。そんなに言い切れるの」
「言い切れるわよ。見てきたもの」
「何を……」
断言するアマリアを可笑しくは思ったが、エリカは黙り込む。やけに、アマリアが確信めいていたからだ。まるで、何もかもお見通しかのように。力強く、ただ肯定してくれたから。
「……大丈夫、あなただって一緒。あなただって素敵よ。あなたの人柄に癒されて、助けられてるの」
「……はい」
心からの言葉だったから。エリカは素直に受け取った。
「さあて!」
アマリアは立ち上がると、エリカ達に話しかけた。
「人前だからと遠慮することもないのよ!ここは夢の中。食べたいだけ食べなさいな!この私も腕を振るってあげるわ!」
「わたしも!ウェイトレスは完全引退します。料理に目覚めたの!」
アマリアはシャツを腕まくりすると、厨房へと向かっていった。すっと隣に並んだのはフィリーナだ。一度舞台袖に引っ込んでいた彼女だったが、すっかり舞台に溶け込んでいた。
「フィー、あなた……」
アマリアはよっぽどのことだっと思い、フィリーナを確認する。
「ん?どうかしたの?……ああ、さっき?あのね、服を直してたの。ここだけの話」
「……そう」
フィリーナはにこりと笑った。どう見ても、体調が悪そうには見えない。気がかりではある。だが、舞台も終盤を迎えていた。今はそれを乗り切ることに集中する。
「ふふ、うふふ。あははっ」
エリカを取り囲んで、乙女達は談笑していた。エリカもようやく、笑顔を見せてくれた。食事も進む。たくさん笑って、たくさん食べて。オーダーは止まった。エリカは満腹になったのだ。
「……こんなに、こんなに満ち足りていいんでしょうか。ううん、いいんですよね!私、幸せです!」
エリカは満たされていた。愛しげに自身のお腹をさする。実に満足していた。
「ええ、喜んでいただけて何より」
「はい!ごちそうさまでした!」
エリカは会計を済ませることにした。尊敬するお姉さま方は遠慮はしつつも、甘えることにした。エリカはええ顔をして、値段を確認する。
「こ、これは……?」
「エリカ?足りないの?」
ここぞとばかりに食べたのだ。予算オーバーは想像できた。カンナも仕方ないわね、と合計金額を見た。卒倒しかけた。
「な、な、な、なんなのよっ!この金額は!?ぼったくりじゃないのよっ!」
「そう申されましても。当店は、この金額でやらせていただいてますが?」
アマリアはしれっと答えた。何かおかしいことでも?と言わんばかりだ。このガラの悪そうな女主人が経営しているのだ。よく、良心設定と思えたなと呆れもしていた。
「な、な、な、なんなのよっ!」
「お姉さま、カンナお姉様!落ち着いてください!私が責任持ちますから!」
今にも掴みかかりそうなカンナを、エリカは全力で止めていた。納得してなさそうなカンナ一行を帰すことにした。ここは素直なことか、あっさりと彼女達は退場していった。
腕を組んで待機していたアマリアは、エリカの言葉で手を打つ。
「殊勝ね。そう、古来より食い逃げの罰として―」
「く、食い逃げなんて!人聞きが悪いです!」
「……なんと、人の話遮るとは。まあ、いいでしょう。私も鬼じゃないもの。ふふふ、さあ、エリカ様?―皿洗いで勘弁してあげるわ」
「!」
アマリアが指し示すのは、大量の食器類だった。全て洗い終えるとなると、どれだけの時間を要するのだろうか。エリカは気が遠くなった。
「エリカ様、エリカ様。手、荒れるから。使ってください」
「わ、わあい。ありがとうございますぅ……」
フィリーナは善意で手袋を渡してくれた。といっても、要は皿洗えと言っているも同然だった。
「あー、疲れた。なんか持って帰っていい?体が糖分欲してるー」
背伸びをしたレオンは、許可を得る前にあれこれ持って帰っていた。
「いつもなら勝手に、というところだけど。私も食べてみたかったのよね。それこそ夜に糖類をたんまりと。ふふふ。ふふふふ!」
「悪い笑い方するわー……」
レオンは引いていた。アマリアは気にしない。
「倒壊した建物も。……ああ、いいわ。あの男に投げましょう。それで免除してあげるのだから、感謝して欲しいものだわ!あははははは」
「ほんと悪い笑い方だわぁ……」
あくどい女主人も、愛らしい調理人も、軽いノリな給仕も。自由に舞台から退場していった。申し訳なさそうなカンナ達もだ。
「あ、あ、あんまりですうぅぅぅ!」
泡塗れになったエリカと共に、舞台の照明は落ちていった。
かつては貧しくとも平和に暮らしていた。だが。内紛と共に、少女の生活は一変した。亡命したエリカは、祖父母に溺愛されて育つ。飢えることもない豊かな暮らし。コンプレックスを抱えたままエリカは、食べることによって満たされていた。入学し、友人達との出会いにより、エリカは明るくなった。それでも、歪みはそのまま消えることもなかった。ある編入生により、変わっていく同志達。エリカの歪みは隠しきれなくなっていた。
今となっては、街中に繰り出し、暴飲暴食を繰り返すのが彼女の生きがいだった。破滅だろうとなんだろうとお構いなしだ。同業店がつぶれていく中、残ったのは悪い女主人が束ねる店だった。どうなることかと誰しもが思った。
見事、エリカを満足させることができた。エリカの同志が来店したことも大きかった。実は夢の中での暴虐を恥じていた彼女だったが、現実を送る為に、ここでの発散は必要だと考えを改めた。エリカは無事、笑顔を取り戻した。
が、彼女はわかっていなかった。この店が何故、悪い店とされているのか。ぼったくりに騙され、大量の仕事までも押し付けられてしまった。颯爽と帰る店員たち。店内にはエリカの悲痛な叫びが響く。
―二つ星公演。『エリカ嬢はご所望です。―こんなにこんなにいいんですかぁ!?』。終演。