『彼』との再会、『彼』との出会い
「……確証はもてないけれど。あのご婦人も然り、皆様方も何かをご覧になりたがっている?そして、こちらが本当にタイトルロールならば―あの方、白鳥様がおっしゃっていた旧劇場と繋がるというのなら」
白鳥様、もといフィリーナが夢で見たという旧劇場。大きさ、広さが異なろうとアマリアにはどうでもよかった。彼女は確かにこう言っていたのだ。
―この場所で伯爵家の嫡男を見たのだと。
「あ……」
アマリアは小さく声をもらした。そして、一歩、一歩と足をすすめていく。
たとえ遠巻きだろうと。
数年会ってなかったとしても。成長した姿を目にしていなかったとしても。
―その横顔には面影がある。彼だ。『彼』がそこにいた。
「……!」
アマリアは駆けだしていった。ただただ、彼を追い求めた。
「待って!……ねえ!」
何度も何度も彼の名を呼ぶ。そして、彼に追いつくまで走り続けている。劇場街を駆け回る。今いる場所はどこなのか。それがわからなくありつつも、彼だけは。
彼だけは見失うわけにはいかない。
「……?」
嫌でも目に入ったのは。
点灯しているランプはたった一つ。そして書かれているのは。―アマリアの名だ。
「どうだっていいわ」
アマリア自身の名が冠された劇場があろうと、それは捨て置く。それどころじゃないのだ。
「急がないと」
こうしている間にも彼との距離が離された。彼を求めるあまりに、彼女は気がつけなかった。あまりにもおかしな事なのに、アマリアは気がつけなかったのだ。
『彼』はアマリアの声に気づきもしない。ふらふらと歩いている。それに対し、アマリアは走り続けている。それなのに一向に追いつけないのだ。
「……?」
ずっと続くかと思った。だが、彼がどこかの劇場の扉を開いて入っていった。ようやく追いつく。
「そちらに、何かあるのなら……!?」
アマリアは勢いよく劇場内へと飛び込んでいった。劇場に足を踏み入れたアマリア。そこには。
白い光が目の前で広がる。それはあまりにも眩く―。
―気付けば、熱狂の渦の中にいた。アマリアはその騒々しさに思わず耳をふさぐ。不快な歓声はどこからなのか。
「……!?」
見上げた夜空は曇りきっていた。だが、劇場街の人口的なものとは違い、本物と思わせてくれた。今アマリアが立っているのは、カラフルな三角屋根が並ぶ街中の中心である大広場だった。見慣れない光景よりも、さらに目を疑ったのは。
「あちらは?……何なのです?」
夢、いや悪夢の中だからこそ存在するのだろうか。黒くヘドロのように蠢くのは異形の存在だった。人語ではなく、認識できない言葉で騒ぎ立てている。そもそも人、なのか。辛うじて人の形をなしている。では、騒音の正体は彼らだろうか。
「……いえ」
どこからかはわからない。だが、ブーイングが起こっていた。理解できる言葉ではあるが、何重にも重なることにより聞き取りづらくなっていた。それに伴って異形達のけたたましさである。騒音はひどくなる一方だ。
「なに……?どういうことなの……?」
幸い異形達は何もしてこない。アマリアを認識していないようだ。彼らは他のものに夢中になっているようだ。広場の奥まった場所にある、あるものに―。
「この先に何が―」
アマリアは言葉を失った。その先にいたのは『彼』だ。だが、どうしてだ。どうして彼が。
「どうして……」
広場の最奥に設置されたのは断頭台だった。そこに今、刑を執行されそうになっている青年がいた。―アマリアの婚約者だった。
逸る気持ちのまま、アマリアは彼の元へと駆け寄ろうとする。彼へと至る道を塞ぐのは異形達だ。アマリアは必死でかき分けている。
「何か何だかわからない。……けれども、待ってて!」
彼はきっとおかしな事に巻き込まれてしまったのだ。彼が何かを叫んでいる。異形のヘドロまみれになっても、アマリアは進み続ける。ようやく彼の声が聞き取れるところまで来られた。彼は叫んでいる。
―来るな。今すぐこの場から逃げろと。
ああ、彼だ。アマリアはただそう思った。
たとえ、それが婚約者の願いでも。アマリアは聞き入れることなど出来るわけがなかった。彼を救出する為に、さらに走り抜けてゆく。
「……うっわ、よくやるなぁ。ぼくなら絶対にやだ」
「……え」
頭上から聞こえてきたのは、愛らしい子供の声だった。その声に気をとられたアマリアは上を見上げた。声の主は断頭台の横に降り立つ。
どこぞの王族さながらに王冠に赤いマントを身につけているのは、女子とも男子とも迷うような中性的な幼い人物だった。光り輝く金髪は内巻きにボブカットされている。くるりと上がった長めの睫毛も紅い唇も人目を惹くものだ。ぼくと本人が称している。ならば少年だろう、とアマリアは単純に考えておいた。
「……あれ?お姉さん、ぼくが見える人?たまにいるんだよね。んーと」
どうでもいいや、と心底興味なさそうにいう。
「……ええ、どうぞお気になさらないで」
このような場でも悠長にしているのだ、この少年に危険はないだろう。それ以前に見知らぬ少年よりも、危機に瀕している婚約者の方が優先したい。アマリアは少年に対しもう目もくれることはなかった。
「……ふーん、やな感じ」
それはそれで面白くなかったようだ。少年はアマリアの婚約者へと近づいていく。彼が手にしているのは杖のようなものだ。婚約者に向けては、上下に振っている。
「何をなさっているの!?」
「べっつに、ぼくは何もしないよ。―まだね」
何かをしでかすかのようで、アマリアはいてもたってもいられなくなる。
「必死だなぁ。なあに、この人ってお姉さんの彼氏?―どっちみち、知り合いだったんだ」
「彼氏、とは違います!……ですが、大切な方には違いありません」
「……大切、ねえ」
婚約者に向けていた杖をアマリアに向けていた。隣で彼が叫ぶ。やめろ、と。彼女に手を出すな、と必死だった。
「―やめろ?『罪人』の分際で何を言っているの?」
「!」
愛らしい見た目からは想像できないほどの、凄みのある声だった。完全に気を損ねたのか、顔を顰めている。
「罪人ですって……?彼が何をしたというのです……?」
「……罪人は罪人だ。この人が罪を犯したのは事実だよ。お姉さん、こんな人を助けにきたの?」
「ええ、その通りです」
「ええー、正気?」
この少年が何を言おうと、アマリアは歩みを止めず、そして駆けだしていく。早く、一刻も早く彼の元へ―。
「なっ……」
アマリアに視線すらもくれなかった異形の存在が牙を向いた。一斉にアマリアの周囲に集まりだして、そして彼女を覆いつくしてしまう。圧迫されてしまい、彼女は呼吸もままならない。必死に彼へと伸ばすも、それすらも叶うことなく。
「あーあ。―お粗末過ぎて、お呼びじゃないってさ」
どこかアマリアを非難するような声とともに、飲み込まれしまった彼女は―。
「はっ!」
アマリアは喧噪の中、意識を取り戻した。今の彼女は劇場街の道端で座り込んだ状態だった。こちらへとやってくるのは、学園の生徒達だ。どの生徒も興奮が冷めやらないようで、話題がつきないようである。
「いやぁ、すごかった!」
「もうエグくて、……もう最高!」
一同どこかを目指して歩いているようだ。ただ一人呆然と座っているアマリアを横目でみる。
「……なに?」
「……さあ?」
アマリアは異質の存在だった。この劇場街にて、そのような浮かない顔をしていたのはアマリアくらいだったくらいだ。興奮しきっている彼らからすると、理解し難いものだった。
「……!」
アマリアにとっても彼らどころではない。おそらく自分は放り出されてしまったのだろう。ならば、もう一度彼のいる場所へと戻ろうとする。手当たり次第で劇場の縦看板を確認する。だが、この劇場も。あの劇場も。
―本日の公演は終了しました。
無情にもアマリアにその事実を叩きつけていく。そんな、とアマリアは小さくつぶやいた。そんな彼女に対して奇異の目を向ける彼ら。
「ほんと、何なのあの人?」
「……んー、なんか冷めるよね。ああいうの」
「まあまあ、放っておこうよ。私たちには関係ないし」
そう口々に言うも、どうでもよくなったのか。アマリアを放置し、そして再び歩き出していった。アマリアは取り残されてしまった。
「ふう……」
劇場の扉によりかかったアマリア。思った以上に疲労が溜まっていたようだ。身体が思うように動かない。立ったままではあるが、まるで眠りに落ちていくような感覚だ。
「まだよ……。このまま落ちるわけには……」
今にも閉じられそうなアマリアの瞳に光が差す。思わず天上の造られた夜空を見上げ、ゆっくりと瞳を開く。そこにあるのは夜空ではく、朝焼けの景色だった。その眩さにアマリアは再び目を閉じかける。
「……さっきから、あんたさ。何なの?」
「……?」
アマリアの目の前に誰かやってきた。だが、逆光により相手の顔が良く見えない。背格好や低めの声からして、相手は男子生徒だろう。彼もまた、アマリアを奇抜な人物とらえているのだろうか、劇場街にいる生徒達のように。
「……大丈夫?」
一見、相手の正気を疑っているかのようだった。だが、どこか相手を案じるような声でもあった。
「―ほら、あんたも『日常』に戻らないと」
「!」
少年は断りもなくアマリアの手に触れ、そして彼女の手を引いていく。力強い光がる方へと招くかのように。―そこで、アマリアは夢から目覚めた。