?つ星公演 エリカ嬢はご所望です。―こんなにこんなにいいんですかぁ!?開幕
生徒達が次々と劇場内に踏み入れていく。アマリア達も続いた。入った途端、エントランスも経ずに舞台のある部屋へとつながっていた。
荒野の外景とは違い、舗装された石造りの床となっていた。深めに座れる椅子も整然と並べられていたが、急造なのか木箱に座らされている生徒もいた。いや、座れるだけまだいい。立ち見の生徒も多くいた。アマリア達もそうだ。
まだ、特殊なことがあった。
美味しそうな匂いが充満していた。ガラス越しに調理場が見え、着ぐるみ達が腕をふるっていた。給仕姿の着ぐるみ達が運んでいく。劇場内の生徒達は美味しそうに頬張っていた。
どれだけ食べても、尽きることなく提供されていく食糧達。好きなだけ食べられる幸せを、誰しもが噛み締めていた。
「―うふふ、素晴らしいですわぁ。皆様幸せそうで、何よりですわぁ」
「……!?」
突如、劇場内に響き渡った声。と、同時に劇場内の電源が落とされた。そこかしこで混乱の声が聞こえてくる。びっくりして食べ物をこぼしてしまったり、思わぬ木箱につまずいてしまったり。生徒達の混乱は極まっていた。
「……でも、ここまでですわよ。あとは全部―」
最奥にある舞台にスポットライトがあてられる。中央にいるのは、着飾った少女だった。大きな羽飾りの帽子に、華美なドレスを纏った、さながら令嬢。そんな彼女が。
「―エリカのもーの、ですよ?」
舌なめずりしながら、下品な表情で笑っていた。
「エリカ様……」
アマリアはただ、舞台の上のエリカを見る。確かに着飾った彼女は綺麗だ。だが、今まで見てきたエリカの姿とはあまりにも違い過ぎる。戸惑いの気持ちが強かった。
「さあ、返してくださいまし」
「「「あっっっ!」」」
エリカが客席に向けて手をかざす。観客席側の生徒達は悲鳴を上げた。彼らが手にしている食べ物が浮かんだのだ。そして、吸い寄せられるかのように。エリカの手元へと向かおうとしていた。
「させるか!」
「やっとありつけたのよ!」
生徒達は抵抗する。手元から離れようとする食べ物の皿と掴む生徒や。制服が汚れようと構わず、皿ごと抱える生徒など。現実では食糧規制されている。取り上げられてなるものかと、―それはもう必死だった。
「……困るなぁ。観客に迷惑かけてくる人は」
心底嫌そうな声と共に、舞台と客席の間に透明の障壁を発生した。生徒達の手元に食べ物が戻ってきた。観客席から喜びの声が上がった。彼らにとっては認識は出来ないものの、感謝すべき相手。アマリアにとっては。
「……案の定、といったところかしら」
忌々しい相手だった。アマリアの目つきは険しくなった。
「今夜はいるんだね、あの子」
「……ええ」
フィリーナが指す人物は支配者である少年だった。今回もまた、舞台の高い所から見下ろす形で立っていた。―支配者に目をつけられているのは間違いないようだ。
アマリアは怪訝そうに見る。彼が参じていたこともそうだが、衣装が普段のものだったからだ。いつもなら、舞台に合わせて服装まで変えてきていた。憎たらしいまでに雰囲気を合わせてきたのだ。この王子様然とした姿が、今回の舞台に相応しいと言われればそれまでである。
「……安定のショタだわー。でさ、看板もさ。おかしくなかった?」
「うん。わたし、見たことない。……様子見とかしていていいのかな」
「ええ、そうね。私達、一日遅れもとっているわけよ。……彼、不在でもあるけれど」
エディは結局、今夜は来ないのだろう。先程話題に上がった、レオンいわく『あの人』も未だに姿を現わしていない。
「よいかしら、お二人とも」
「うん、もちろん!」
「了解」
エリカはぎりぎりの状態であると判断し、三人は舞台に臨むことにした。
「……やっぱり来たか。昨夜は大人しくしていると思ったら。……はぁ」
「昨日は、ええそうね……。訪れることは出来なかったのは確かね」
「そのまま、大人しくしてくれれば良かったけど?あーあ」
「あなた……」
確かに一日遅れをとっている。支配者はどこまで考えているのだろうか。探りを入れてみることにした。
「早まった考えをしていないことを祈るわ」
「早まった?なんのことかなぁ?」
「……」
支配者は明らかにとぼけていた。アマリアが気づかないわけがない。冷ややかな目線に気付いた支配者は、わざとらしく両手を上げた。
「……まあ、きみもわかってるだろうし。こんな状況でぼくは黙っていられると思う?食糧危機もそうだし、彼女の暴走もそう。ましてや、昆虫食なんて!食べさせたくもないし。……はあ、そんなのごめんだよ」
これが支配者からの返答だった。結局、支配者は昨日も訪れていたのか。そして、今晩で決行するのか。それはわからずじまいだった。もちろん、支配者はそれ以上答えてくれないだろう。
「ええ、いいわ。いくらでも溜息をつくがいいわ」
「まーた、そういうこと言う」
支配者はアマリアの存在に気がつく。しめた、とフィリーナとレオンは思った。支配者はこうなると、アマリアに集中する。わざわざ支配者に指摘することもない。二人はいそいそと裏口を探し当てて、別ルートから。
「お邪魔するわよ、エリカ様!」
アマリアはド正面から。―彼らは舞台に立ち上がった。
「……アマリア、様?」
「ええ、ごきげんよう」
アマリアは舞台の上にて、エリカと対峙した。一方は制服姿の生徒、一方は豪華絢爛なドレスの令嬢だ。エリカは目が点になっていたものの、すぐに笑顔になる。
「まあ!アマリア様ったら、ようこそ!わたくし、歓迎しますわぁ!」
「エリカ様……」
エリカはあくまで令嬢として徹していた。アマリアもこうした彼女を見るのは初めてではない。打ち解ける前もそうであり、そしてかつての舞台でも。ヨルク派の公演の時もエリカは基本こうであった。
何にしろ、歓迎されているのならそれは有難い。アマリアは一歩前に出て、歩み寄ろうとしている。
「だって、アマリア様ってば。―肉厚で美味しそうなんですもの」
エリカの目は血走り、口元から涎が垂れていた。
「なっ……!?」
抗議しようとしたアマリアに、黒い影がまとわりつく。拘束されてしまったアマリアは、身動きが取れない。
「はあ、ドキドキしますわぁ……。わたくし、人間は初めてですもの……?」
エリカの涎は止まらない。恍惚しきった表情の彼女が携えているのは、巨大なフォークとナイフだった。カチカチと行儀悪く鳴らしている。美味しそう、美味しそうと楽しげに口ずさんでいた。
「ひっ……」
アマリアは思わず悲鳴を上げた。素で恐怖してしまったのだ。体も動けないままで、拘束から逃げることも出来ない。辛うじて顔が動かせるくらいだ。
「い、いけないわ、私……」
なんとか自身を奮い立たせようとするも、声の震えが止まらない。いつもの『悪役』としての姿勢を思い出そうとする。たとえ、普段通りの制服姿だとしてもだ。自分は悪役ならば如何様にも振る舞えるのだと。
「……うふふ、だいじょぉぶ。くるしいのは、いっしゅんだぁけ」
エリカの目の焦点は定まっていなかった。ナイフとフォークを持ちながら、体をゆらゆらと揺らしていた。その状態で近づいてきてくる。
「……」
恐怖でしかなかった。
「……いえ、私!しっかりするのよ!」
アマリアは観客席に向けて、目だけ動かす。生徒達もあまりの恐怖に青褪めていた。アマリアへの同情、悲愴な面持ちであった。それもそうだろう。か弱き女生徒が捕食されようとしているのだ。
まだ、始まったばかりというのに。アマリアは手出しも出来ずにいた。このままだと、支配者からも追放されてしまいかねない。アマリアは訴えるように、支配者に眼差しを向けた。自分はまだやれると。
「……いや、怖いでしょ。ぼくだって怖いし。―アマリア、今、助けてあげるからね」
支配者は首を振った。強がっているのは明白であり、恐怖に怯えているのはみてとれた。支配者は善意から助けようとしていた。まあ、彼が善意だけ済ます事はないだろうが。
「結構よ!」
「えー……」
アマリアは秒で答えた。支配者は引いていた。恐怖の少女エリカ以上に、アマリアに対してだ。
「……ええ、怖いのは認めるわ。けれども!あなたに同情される屈辱に比べたら!」
「ええー……」
支配者はさらに引いていた。アマリアは一向に構わない。良くも悪くも、自身を奮起させてくれるのが、この支配者なのだ。アマリアはようやく持ち直した。
「なにより、私はここで諦めるわけにはいかないのよ。よくご存知でしょう、あなたなら」
アマリアの懐が淡く光る。取り出されたのは、短剣だった。確かに感じるのは『婚約者』の存在。舞台に立つアマリアを支えてくれていた、本名も姿も思い出せない。それでも彼女にとって大切な存在である。
アマリアはそのまま黒い霧を断ち切った。切っ先をエリカに向ける。立ち向かう覚悟が今、アマリアには出来ていた。
「……だろうね」
支配者はまた、高みの見物を決め込むことにした。今は下がってくれたようだ。
「エリカ様」
「……なーんだ、調子戻っちゃいましたぁ。怯え食いしようと思ったのに」
怯え食い、とは。と突っ込みたくなったが、今は捨て置く。アマリアはエリカと向き合う。
「あなたにも苦しみはあるのでしょう。それでも、今はまずいのよ。それを承知して欲しいの」
「……」
「エリカ様?」
エリカから表情が消える。彼女は屈み、手にしていたナイフとフォークを地面に置いた。
「……確かに苦しみはありました。でも、食べ物さえあれば。食べ物さえあるのなら!!はは、あははははは」
座り込むエリカの近くに食べ物がたくさん並べられる。エリカは歓喜の声を上げる。たくさんの食べ物が沸き続ける。次第に、エリカを埋め尽くしていった。沈み込みながらも、彼女は笑い続けていた。実に、多幸感溢れるほどに。
―ふた、二つ、三つ、二つ、三つ、三つ……。
「!」
いつもの公演名を告げるアナウンスのはずだ。これもまた、様子がおかしい。アマリアは思い当たる。それは、劇場の立て看板にある星形ランプ。点灯の仕方が見慣れないものだったのだ。
二つ分点灯していたのなら、まだ通常。その三つ目が点滅し続けていたのだ。いつ、三ツ星公演になってもおかしくないと、言わんばかりだった。
「……まさか」
観客席は多くの生徒で埋まっている。注目度も高い。
―二つ星公演。『エリカ嬢はご所望です。―こんなにこんなにいいんですかぁ!?』。開幕。
「……」
アマリアは胸に手を当てた。たとえ、いくつの星の公演になろうとも。ただ、やり遂げるのみだと。