新月寮の意地と絆
「……ん」
今は夢の中なのか、それとも起きる前のまどろみの中か。アマリアの意識はまだ覚醒しきれていなかった。
「―」
「―」
「―」
耳に聞こえてくるのは、この国の言葉ではない。おそらく、アルブルモンド語だろう。あの三人は起きているのか。話しやすい言語を選んでいるのか。
「―あれ、アマリアさん?起こしちゃった?」
「……」
急にこの国の言葉となった。小声で呼びかけてきたのは、クロエだ。アマリアは答えられない。彼女自身も起きているのかわからないからだ。
「うん、ゆっくり休んでね。ラストスパート。ここまできたから、安心してね。……本当にありがとう」
クロエは眠っていると思っているようだ。いつもなら、この後輩なら飛び起きて反応するだろうと。寝てる相手だからか、いつもとは違う声音だった。どこまでも優しいものだった。
書類がめくる音が続く。やがて、紙束を揃える音が。
「―」
クロエが母国語で何かを発する。伴うのは、安堵する溜息だ。これは、やり終えたということだろうか。その時だった。
―クロエの悲鳴が響き渡った。と、同時に椅子が倒れる音がする。
「な、何事ですか!?」
アマリアは今はっきりと目覚めた。只事ならない悲鳴だったのだ。
「い、いや私じゃなくて。エ、エディ君が」
「あ、あ、あぶなっ!エドゥアール様、あぶなっ!」
動転しているクロエと、大慌てのシモン。そして、当人のエディは。―寝ていた。シモンに支えられながらである。この状況からして、急に眠り、椅子ごと倒れ込もうとしたエディをシモンがすんでで救ったのだろう。
「エディ……」
アマリアも胸を撫でおろす。すやすやと寝ているエディをみて、安心はした。それにしても急だった。あれだけ起きて活動していた彼が、突然いつもの彼に戻ったからである。
「あなた、相当無理していたのね。私は気がつかなかったわ」
「うん、名演技だった……」
妙に感心しているクロエに、アマリアは首をかしげる。演技、とは。
「エディ君、無理しているのをわからせないように。そう、演技していたんじゃないかな」
「なんと……。それは役者が過ぎる……」
「あらら、レオン君みたいなこと言ってる」
「なんと」
アマリアは言われて気がついた。張り切っていたエディは演技で乗り切っていたのか。演技力でごり押ししていたというでもいうのか。『エディが演技』。あまりにも想像がつかな過ぎて、アマリアは鵜呑みにすることはなかった。
「なになに、アマリア先輩?影響されちゃったー?」
「ここからが本番。わたし、頑張るよ」
「こんなん、仮眠だ仮眠!」
なんだなんだ、と周りも目を覚まし始める。クロエの悲鳴は思いの外大きかったようだ。原因はエディであるが。
「皆、ありがとうございました……!」
クロエは大事に書類を抱え、深々と頭を下げた。ゆっくりと顔を上げた彼女は、紙面を見せた。―クロエのサインと、リゲル商会の承認印。入荷日も昨日のものだった。品名もクロエが選んだものである。全て、ちゃんと契約が成されていたのだ。
わっと場が沸いた。自分達の、何よりクロエのした事は無駄ではなかった。間違っていなかったのだと。
「私、朝一番に学園長にお見せしてくる。信頼出来る方だから」
学園長。アマリアはまず、憎き支配者の顔を思い浮かべてしまった。アマリアとしては、誰がそうだという説明もなかったからだ。話題にも不自然なまでに出てもこなかった。万が一、あの少年だったとしても。
「……」
ここはクロエの為。騒ぎ立てることはない、と抑え込むことにした。
「……朝一番っつってもよ」
寮生達は時計を確認する。まだ夜は明けてはいない。学園長と面会するまでには時間がある。
「そこはもちろん。私がしっかり管理するから。……今度こそ」
クロエは書類を抱きしめた。今度こそ、守り通すと決めたようだ。
「―クロエ様。途中で寝ちゃってごめんなさい。だから、付き合いたいの」
「そうそう。オレら、仮眠とったようなもんなんで。一緒に起きてましょうよ」
次々と他の寮生達も賛同しだす。ここまできたなら、見届けたいのだろう。
「ありがとう、本当に……」
クロエは素直に厚意に甘えることにした。あとは雑談で過ごしたり、寮生活の改善案だったり、また寝落ちしそうな人には束の間の安眠を許したり。そして、熟睡している功労者を温かく見守ったり。思い思いに時間まで過ごしていた。
「ふふ」
こっそりとカップを片付けに、アマリアは洗い場に立っていた。そして、実感したこともあり、笑みがこぼれた。
根本的な問題は残されている。だが、クロエの頑張りは証明できたのだ。アマリアは嬉しかった。
「はい、追加分。ごめんね、そこまでやらせちゃって」
「なんと。クロエ先輩、お手を煩わせてしまいました。申し訳ありません」
アマリアが持っていきれなかった分を、クロエが持ってきてくれた。アマリアは恐縮してお礼を言う。
「ううん。むしろ私が率先してやるべきだったから」
「いえいえ、そのようなことは決して。ここは私にお任せを」
お互い自分がやる、やると言い合っていたが。互いに諦めて協力して片付けることにした。
「……素敵な寮ですね。改めて実感しました」
「突然。……でも、そうだね。私、助けられちゃった」
「ふふ、そうですね」
「あー、言ってくれちゃって。……そうだね、その通り」
洗い場に食器の音が響く。賑やかな声が遠くから聞こえてきた。
長かった夜が終わり、ようやく朝を迎えることが出来た。
「いってきます」
早朝。クロエは信頼できる生徒達と連れ立って、学園へと向かっていった。
といっても、クロエが学園内に留まるのはこれくらいだ。授業を欠席してでも、食糧のことで奮闘するという。―クロエも責任は感じているからこそ、ここが彼女の頑張りどころなのだろう。
「ええ、いってらっしゃいませ。お気をつけて……」
アマリアは玄関口で彼らを見送ると、ぎりぎりまで仮眠をとることにした。それなら、登校は出来るだろうと判断したのだ。
「お嬢……」
シモンは残されていた。クロエ言うには、シモンも徹夜していたから、登校時間まで寝ていてほしいとのことだった。いっそ、今日の授業休んでもいいと。それくらい寛容なことを伝えていた。
「……」
アマリアは同情し、その気持ちを深く理解していた。シモンの背中は哀愁が漂っていた。置いてけぼりにされた状態だった。
「シモン先輩もお疲れ様でした。先輩のご尽力もあってこそでしたね」
「……え?あ、ごめんね、聞いてなかった」
「いいえ。お疲れのところすみません。では、そろそろ」
「うん……」
シモンは空虚な目をしていた。アマリアはそっと声を掛けて、この場から離れることにした。おそらく聞こえてはいないだろうが。
「……」
アマリアは振り返る。シモンはその場で佇んでいたままだった。
仮眠から目覚めたアマリアは、身支度をし直した後、玄関へと向かっていく。朝食をとるのは今は気が引けていた。水分だけとることにしていた。
仮眠をとっただけなので、十分に休めたわけではない。それでも、登校できないまででもない。時間的にも、休む気のない生徒達は登校したのだろう。遅刻確定の時間だったからだ。
アマリアは一人、学園校舎へと向かうことにした。
遅めに出たこともあり、学園に向かう生徒達はまだらだ。誰しもが食糧の話をしていた。リゲル商会より商品が届かなかったことは、もう広まるに広まっているようだ。
「……」
アマリアはすぐにでも反論したかった。クロエはきちんと責務を果たしていたのだと。だが、今はただ耐える。
「ああ、でも……」
クロエはちゃんとやっていた。だが、リゲル側の不手際という疑惑は晴れたわけではない。そして。―リゲル商会からの荷物は届かないままなのだ。
「……」
果たして、意味があったことなのだろうか。クロエ一人の疑惑が晴れたところで。
「……いいえ」
それは、意味があったのかを否定するものではなく。それでも意味はあったのだと、肯定するものだった。クロエの日頃の頑張りや苦労も、アマリアはよく知っていた。もし、クロエに原因があったとしても。それでも、自分ならば。―クロエの味方になっていただろうと。
アマリアは顔を上げた。何も不安ぶることもないだろうと、彼女はそう思ったのだ。
備蓄はたくさんあると言っていた。牧場や農園もあり、自給自足の体制も整っている。アマリアはよく、牛乳の恩恵を授かっていた。なにも取引先はリゲルだけではない。
あの職員達も言っていた。今朝方に、自分達が発注していた定期便が届くはずだと。それならそれで越したことはない。アマリアはそれを願って、学園へと向かっていく。