新月寮、決死の徹夜
人数が多すぎても、ということもあった。もちろん、救援は頼めるようにはしておく。ともかく、寮生達は夕食後、食堂に集められた。ここが一番、作業に適していると判断したからだ。クロエの部屋に押し掛けるには、人数が多すぎた。
「クロエ先輩……」
クロエがようやく姿を現わしたことに、アマリアはひとまず安心した。
クロエは最低限の食事しかとらず、ずっと自室にこもっていたようだ。もう一度リゲルに宛てた手紙や、彼女が思いつく限りの取引先に文を送っていたようだ。まともに休めてないだろう。今回の件で、誰よりも疲れきった彼女だろうに。
「……」
「……よく、引っ張ってこられたな。まあ、寝たら寝たで交代要員いるけどよ」
この静かな。どこか遠くを見ているのは、惰眠貪り男と称された、エディその人だった。連れてきたレオンが得意そうにしている。
「クロエ先輩。……大変な時、俺いなかったから。だから、力になりたい」
ぼうっとしているかのように見えて、意識ははっきりとしていたようだ。クロエにそう声をかけていた。
「エディ君、ありがとう……」
いつもなら蕩けた目でみて、陶酔しきるところだろう。それでも今のクロエは、沈んだ表情のままだった。
「……みんな、本当にありがとう。でも、今回のこと。私、本当にやらかしているかもしれない。本当にね、ここ最近頭がぼうっとしたままで。まともに寝ていなくて」
だから、問い詰められた時も。しかと自分ではない、自分はちゃんとやっていると。そう返せなかったのだろう。
「……私が、ちゃんとやっていたか、そうじゃなかったのかの証明。力、貸してください!」
当たり前だと、寮生の返事が響く。クロエの表情がようやく少し緩んだ。
「わたしも、クロエ様の力になりたい」
「ええ、フィー!」
すでに席に着いていたフィリーナも、気合が入っていた。アマリアも力強く頷いた。
「―でね。まず、お願いしたいことなんだけど」
クロエの部屋から既に持ち出していた書類があった。この場にいる寮生達の手によって。数回によって。かなりの量なのだ。
「……順番、ぐちゃぐちゃで。そこから、直近のものを探しだして、……欲しくて。みんな、お願いします」
クロエは非常に頼みにくそうにしていた。それでも、しっかりと頼まないことにはとして。頭を下げてお願いした。
「!」
アマリアは驚いた。クロエならばきっちりと管理していると思っていたからだ。いや、何かの間違いだと信じられない気持ちは続く。
「おいおい。らしくねぇな。―マジで誰かにやられたのか」
「え、でも。クロエの私室でしょ?それこそ、クロエか寮母さんしか開けられないんじゃ。寮母さん?……さすがにないでしょ」
それは他の寮生も同様だったようで、疑問を口々にしていく。
「……それは。私、ここ最近書類を全部見直ししていたりして。もっと、経費削減出来ないかなって。……それで、ここ最近、疲労で頭がぼうっとしていて。……ちゃんと、戻しきれていなかったのかも」
確かにここ最近のクロエはというと、目に見えて疲労が溜まっているようだった。そこは誰も否定しない。そして、自身の管理不足だからこそ、招いたことなのだと。
それでこうも言いづらそうにしているのだと。それならば、クロエのミスに呆れはするものの、納得はいくものだった。
「……」
「……お嬢」
アマリアは考え、思い返す。盗み見るのは、顔色が良くないシモンのことだ。クロエが食堂で居眠りしていた夜のこと。彼女は確か、書類を持ち出していた。そして、それを管理すると言ったのは。―シモンだ。
「でも……」
それでもクロエは、人に見られても問題ない資料しか持ち出さない。それはクロエ本人が言っていた。だから、大丈夫だとも。アマリアはやはりクロエを信じたい。盗まれたら困る資料を外部に持ち出したりなどしていないと。
「……本当に、ごめん。ごめんなさい」
シモンも頭を下げた。クロエより深くである。
「シモン君……」
クロエは彼の名を呼んだ。その声は暗いものだった。クロエ自身もそれに気がついたのか、今度は声を張ってシモンを呼んだ。
「シモン君」
「は、はいっ!」
シモンの背筋がピンと伸びる。クロエは彼に対して、こう伝えた。
「ごめんね、シモン君。色々と疲れているでしょ。そういう心境じゃないと思うし。手伝わなくても大丈夫だよ。休んでて?」
「お嬢……?」
シモンはもちろんのこと、その場にいた全員がクロエの言葉に疑問を持つ。シモンはリゲル商会の人間だ。戦力になるだろうに、と。
「お嬢、俺は……!俺も、俺もやるよ!」
シモン側はやる気だが、クロエの方は浮かない反応だ。とはいえ、ここで時間をとられるわけにもいかない。クロエはそう考えたようだ。
「……それじゃ、シモン君。翻訳中心で、みんなのサポート中心で動いてもらえる?」
「はい、お嬢!」
話はまとまった。各自、作業に取り掛かることにした。
「翻訳とは。……ああ、そういうことですね」
「うん。母国語でやりとりしていたから。……日付もそう。そこ、数字にしていればわかりやすかったけど」
「いえ!そこは根性と気合でどうにか……」
「……うん、なんとか日付!日付さえ、追えれば」
発注した日さえ判別できれば、一気に絞りこめる。記された位置も統一されている。時間短縮も出来るだろう。と、クロエが思っていた矢先の事だった。
「クロエ先輩。なんか、字体が違うのが紛れてた。かなり寄せてきてたけど。というか、こういうの注文している?」
「……え?」
書類を確認しながら言ってきたのは、エディだった。クロエは信じられないといった表情をしている。
「ちなみに、これ。『苦味極め茶』。明らかにクロエ先輩の趣味っぽいけど」
「……頼んでない。頼んでないよ、エディ君。毎回誘惑されるけど、必死に耐えてるもの」
「そう、わかった。あとは、『焦がしまくりプリン』。『激辛唐辛子しか勝たん』とか。あと―ー」
エディは律儀に読み上げていく。クロエは首を振って否定していく。フィリーナもラインアップにそわそわしていたが、今はそれどころではないので自重することにした。
「違う筆跡まで、とか。これ、まじでよお……」
クロエが書類を整理した、本人がしてないどころではない。第三者の介入がない限り、このようなことにはならない。だから、強面の先輩は指摘しようとした。彼だけではない。何人かもおかしいと思い始めていた。
「……」
シモンは黙って、クロエを見ていた。伺っているともいえた。
「……」
クロエは気づいていないのか、それとも気づかないふりをしているのか。シモンを省みることはない。
「……それどころじゃねぇな」
いや、と強面の先輩は今は捨て置くことにした。目の前の大量の書類を何とかしなくてはならないからだ。ダミーが混ざっているというもの。まずは現状だ。
「まじか。品名まで気にしないとなんだー……。オレ、言語選択してないしなー」
そう発言したレオンもそうだ。アマリアを始めとした、アルブルモンド語に精通していない生徒達。彼らは愕然とする。学業優秀であるフィリーナも自信なさそうだ。
「似たような文字の羅列でさえ、固めてくれれば。あとは、こっちで処理する」
エディが難なくそう告げてきた。記憶喪失と知っているアマリアからすれば、母国語の記憶は残っていたのかと不思議に思う。まあ、彼がそういうのならそうなのだと。アマリアは納得することにした。
「……うん。俺だってやらないと。翻訳、なら」
思いつめた顔のままではあるが、シモンも任せて欲しいと。彼もアルブルモンドの、それこそリゲル側の人物なので戦力になるだろう。
膨大な量の書類。順番が混ざりに混ざってしまったもの。ましてや、異国の言語で記されている。そこから、クロエが直近でやりとりした証拠を探さなければならない。
長い夜になりそうだった。
時計はとっくに深夜を回っていた。劇場街を訪れる頃合いだ。だが今は、新月寮の食堂で大量の紙面とにらみ合っている状況だ。
「わたしよー、寝ないのー、寝ちゃだめなの……」
半分目が閉じかけているフィリーナは、必死に自身に暗示をかけていた。手はもちろん止まっている。
「やべぇ……。徹夜は得意なほうなんだけど。文字列が襲ってくる……」
レオンものたまっている。実際、襲ってくるわけがない。だが、大量の文字群を見続けているのもあり、限界を迎えていた。
「おいおい。まぁ、無理すんなよ。変に見落とされるよりは、寝落ちしてくれた方がマシだからよ」
「わー、先輩。すっげぇ、さすがっす……。あー、見てたら眠さマシマシ……。ねみぃ……」
「うっせ、そのまま寝てろ」
強面の先輩は、何故か手慣れたものだった。彼もアルブルモンド語は詳しくない。文字の形で見分けているようだ。紙をめくる速度も見事だった。その様を見続けていたレオンは、催眠が誘発されていた。自業自得かもしれない。
「すうすう……」
「うー……、味気ない文章がぁ……。いや、アタシ、考えるんだぁ……。ここから生み出されるカップリングを……。恋の芽生え……」
食堂にて作業していた大半の生徒達は落ちていた。寝落ちという結果になってしまったものの、彼らの力もあってかなり絞れてきた。
「まあ、こいつらも頑張ってくれたからな。だから、俺も。……っと」
戦力になっていた彼が、寝落ちしかけていた。あくびを噛み殺して、ごまかしてはいる。だが、彼も限界が近いのだろう。
「皆様、お疲れ様です。追加のコーヒーです」
アマリアはトレイにコーヒーを乗せてきた。往復覚悟だったが、今起きているメンバーの数とぴったりであった。大半の生徒は寝てしまったからだ。礼を言って、各々受け取る。
「アマリア、眠気覚めたの?」
フィリーナがコーヒーを飲みながら質問する。アマリアも、つい先ほどまで眠る寸前だったからだ。
「ええ、そうね。気分転換になったのが良かったみたい。さあ、私も再開を―」
立って歩いたのが功を奏したかと思いきや。書類を目にした途端、またしても眠気が襲ってきた。いけない、と踏ん張ってはいる。だが、どうみても寝落ち寸前だった。
「皆、ごめんね……。ここまでやってくれたなら、こっちでどうにか……」
「……うん。俺、責任もってやるから」
クロエもシモンも疲れ切っているだろうに、自分達だけでもやり遂げようとしていた。彼らは疲れすぎて眠れないということもあるだろう。ただ、途中で倒れないか心配になるくらいではある。
「ごめん、みんな。十分たったら起こしてください……。すぴー……」
フィリーナはついに寝てしまった。姿勢正して座っているものの、瞳は閉じており、寝息を立てていた。ハイスペック令嬢も眠気には勝てなかった。クロエも寝顔可愛い、という元気もなく。ただ、頑張ったねと労っていた。
「……ぐぉぉぉぉ」
やたら静かだと思ったら、大活躍していた先輩もいつの間にか寝落ちしていた。書類だけは綺麗に避け、彼は机に突っ伏していた。レオンは彼の奮闘を讃え、敬礼をした。
襲い来る睡魔や疲労。この場にいる誰しもが、限界であると思われていた。
「……あら?」
アマリアの視線は隅の方へと行く。誰しもが落ちていく中、ただ一人。黙々と作業をしている人物がいた。ただ一人、書類と向き合い続けていた男が。
「―一旦、休憩。先輩、俺もコーヒーいただく」
「ええ、どうぞ。……エディ、大丈夫なの?」
「特に。どうも」
エディその人がただ。淡々と取り組んでいたのだ。コーヒー休憩も、今し方初めてである。眠り男呼ばわりされていた彼が今、一番進めていた。
「え、エディ君。なんなん?なんか、一人だけ違くない?」
レオンは思わず突っ込んでしまった。
「よくわからない。……まあ、目はよく冴えているのかも」
「まじか……。夜型人間か……?」
日頃から眠たそうなエディだが、今は確かに別人のようだ。かなり、きびきびとした動きである。記憶の問題も影響無く、手早く確認していっている。
「あとは任せて」
「エディパイセン、かっけぇ……。やっば、俺もやばい……。いったん、寝―」
言い終える前に、レオンもついに落ちた。うつぶせに完全に眠ってしまっていた。
「……」
一気に静かになった。もう起きているのは、リゲル商会のクロエとシモン。いつもの眠たげぶりはどこへやら、なエディ。そして、今にも眠ってしまいそうなアマリアだけだった。
「……いいえ」
アマリアは眠気覚ましにと、コーヒーをがぶ飲みした。ここらが頑張り時だと、気合を入れ直すことにした。そして、気持ちを再確認する。
アマリアはこの寮には来たばかりである。それでも。クロエをはじめとした新月寮の人達が大好きだった。鬱屈とした学園や、衝撃的な劇場街の日々も。普通に過ごして、迎えてくれる。そんな彼らの存在こそが。
愛おしいものだった。だからこそ、力になりたいのだ。
母国語の三人とは違う。それでもアマリアは必死に書類に目を通していく。不得意な彼女には出来ることが限られていたとしても。
書類を見て。書類を確認して。時には目を瞑って眠気をやり過ごして。
「―わかってる。先輩は頑張った。……おやすみ」
ついに迎えてしまった、眠りの時。聞こえてきたのは、エディの穏やかな声だった。
「……俺も先輩と同じ。この人達の力になりたいんだ」
そんな囁きと共に、アマリアは眠りに落ちていった。