ヨルク様と乙女達
アマリア達は旧校舎に立ち入り、中庭まで足を運ぶ。魔力が浸透しているからか、ここは突き抜けの空があるにもかかわらず、暖かさが保たれていた。二人は東屋に並んで座る。フィリーナはタンパク質がたくさんとれそうな、グリルチキンがふんだんに使われたサンドウィッチを頬張っていた。
「もぐもぐ。購買、初めて利用した。美味しい」
「あら、そうなの。確かに美味しそうね。では、私も」
アマリアはフルーツ系のサンドウィッチが主だった。といっても、純粋に果物のみで構成されているわけではない。魚介類にはレモンソースがたっぷりかけられ、ポテトサラダに混ぜられたオレンジといったものだった。
昼食を摂り終え、二人は食後の紅茶を飲んでまったりしている。日頃の喧噪が嘘のようで、ただただゆっくりと時間は流れる。
「―エリカ様のお話、してもいい?アマリアが学園に来る前の話」
ぽつりと会話を切り出したのは、フィリーナだった。
「フィー……。ええ、お願い」
悪意もなく話してくれるフィリーナならば。アマリアには願ってもないことだった。
「……話せる範囲だけどね」
こそりと、フィリーナは付け足す。ここは、学園内だ。これだけの静けさの中でも、どこから聞き耳を立てられているかわかったものではない。アマリアは頷いた。
「元々ね、制限はあったの。こちら、山の中でしょう?賄える分もあるし、蓄えもあると思う。評判高いリゲル商会とも本取引。でも、限りはあると思うの」
「ええ、そうね」
学園にある牧場や、信頼が厚いリゲル商会による、物資の提供。学園内にある鉄道で輸送されてくるという。万全の体制だ。それも万が一ということもある。
「……でもね」
フィリーナは言いづらそうにしていた。紅茶を一口含む。そして続ける。
「エリカ様が入学して、しばらくしてから。……さっきみたいなことがあって。エリカ様がたくさん召し上がっていたのだとか。……たくさんのお食事を」
「そんなに……」
フィリーナは立ち会っていたわけではない。噂話ではあった。だが、それは事実だと決定づけることがあった。
「でね、当時の生徒会の皆さんが、さらに厳しくしていったの」
それが、生徒会によるもの。さらに制限をかけ、違反はないか取り締まることだった。
「わたしの『お肉食べたいデー』も、ままならず。『それってチートデイみたいなもん?』って、レオンが言ってたけど」
「お肉食べたいでー……?ちーとでい……?」
「ううん、それは今はいいの。仕方がないことだって思ってるし、必要だったとも思った。わたしは、そう。でも他の方々は」
「ええ、まあ、そうね。特に食べ盛りの皆様はね」
「うん」
アマリアも直に聞いていた。食べ盛りの生徒の不満そうな声を。
「でも、ヨルク様がどうにかしてくれたの。多分、あなたが想像通りのことをして」
「ヨルク様が。……ええ、そうね」
少し前なら、不純な想像がよぎっていたことだろう。だが、今は違う。支配者に茶々を入れられようと、アマリアが考えたものは、決していかがわしいことではなかった。
―エリカは温室の茶葉や果物が目当てだといっていた。
食欲が減衰するのか、それが腹を満たしてくれるものか。そういった類いのものをエリカに与えたのだろう。結果、今日この日まではエリカは暴走することもなかった。
「きっと、今回もヨルク様がついててくださるのね。それならば、と思うのだけれど……」
「うん、多分……」
今はヨルクに任せて、静観していた方が良いのだろう。二人は同時に空を見上げる。
「……」
「……」
「……わたし、今、あなたと同じこと想像している」
「……ええ、私もそう思っていたわ」
ここにあるのは自然の空。晴天で澄み渡っている青空だ。―劇場街の、人工の夜空ではない。
「……このまま、収まってくれれば良いのだけれど」
「……うん」
二人が共に思い浮かべるのは、劇場街のこと。最悪な事態にならないようにと、今は願うばかりだった。
『伝言よ、アマリア様っ。エリカが話したいって。ヨルク様と温室にいるから』
放課後になり、いの一番にやってきたのがカンナだった。ヨルク派の代表格である彼女が挨拶と伝言にやってきたのだ。伝言係を引き受けてくれた彼女に、アマリアは礼を告げる。
『……』
アマリアも気がかりだったのだ。話ができるまで回復したことに、まずアマリアは安心した。それから教室に残っていた生徒に挨拶をし、そのまま温室に向かうことになった。
温室前までやってきたアマリアは、一呼吸する。そして名乗り出た。
「失礼致します、わたくし、アマリア・グラナ―」
「やあ、アマリアちゃん。来てくれてありがとう。カンナちゃんにもお礼しないとね」
前にもこのようなことになった。名乗り切る前に、扉を開けたヨルクにキャンセルされてしまったのだ。以前と違うといえば、もう一つ。ヨルクは疲れ切っていた。
「……そうそう、エリカちゃんが話がしたいってことだけど」
「……はい」
これが本題だった。事前にどういった話かまでは聞いていなかった。アマリアはドキドキしながら、ここまでやってきたのだ。
「いや、悪い話じゃないよ。だから、肩の力抜こうか?」
「はっ、はい」
ガチガチだったことを、ヨルクに見抜かれていたようだ。まだ構えているアマリアに苦笑しつつ、真面目な話のトーンに戻る。
「俺からというよりは、エリカちゃんが直接伝えたいだろうから。……なんだけど」
彼の目の先にあるのは、温室にもある休憩室だ。兼、管理事務室ともいえた。最終責任者の教師や、ヨルクのように任された生徒達もよく利用している。
「うん、今は落ち着いたけど。彼女、すっかり寝ちゃってね。疲れが一気に出たのかな。休憩室のベッドで休ませているんだ」
「そうなのですね……。お体に差し障りがなければ、ええ」
「……うん、まあ」
ヨルクは立ち話もなんだからと通そうとするが、アマリアは遠慮することにした。
「エリカちゃん、責任もって送り届けるから。本当に、せっかく来てくれたのにごめん。せめて送っていくよ。先に満月寮寄ってからになるけど」
「あ、いえ……。まだ、日も落ちてませんから」
「そう?」
「ええ。エリカ様にもよろしくお伝えください」
「うん、わかった」
今はゆっくりと休ませた方がいいのだろう、とアマリアは考えることにした。エリカも、そして目の前のヨルクも。
「……大丈夫、俺が何とかするから」
しばらく黙っていたヨルクが、暗い顔つきで話し始める。彼が手にしているのは、薬草だ。後方にあるテーブルには、ティーカップがあった。茶を煎じてエリカに飲ませていたのだろう。―こうして、以前にもあったエリカの暴食を抑えていたのだ。
「俺が、あの子達を守らないと……」
ヨルクは薬草を強く握りしめ、そう言った。
「……あ」
ずっと無言のアマリアの存在に気がつく。ヨルクは気まずそうにしていた。
「……ああ、そうだよ。君にあれだけ甘い事言っておいて、これなんだ。……俺にとって、あの子達も大事なんだ。―放っておくなんてできない」
秀麗な眉を下げながら、ヨルクはそう言った。エリカを平然とお姫様抱っこしたこともそうだ。というより、日頃から乙女達と行動を共にすることもそうだ。アマリアにあれだけ甘い言葉を囁いても、ヨルク派の乙女を切り離すことなどない。
「……」
「……これだから、信頼されないんだろうな」
「……」
「いや、今のは無いか。気にしないでくれるといいな」
本人も思わぬ弱音だったのだろう。都合の良い言葉ともいえた。
「―ヨルク様は」
「……うん」
沈黙のままだったアマリアが、口を開く。
「……その、誠に言い辛いことではありますが。ヨルク様は、やはりスマートではあられないようですね。正直が過ぎるとも」
「ええっと、アマリアちゃん……?」
ヨルクは聞き間違えと信じたかった。自分とそりが合わない某生徒が指摘してきたことを、あろうことにアマリアまで言ってきたのだ。しかも、言い辛いとのたまっている割には、ずばりと言ってきた。
「まあ、もっとやりようがあるとは思うけど……」
ヨルクは大人になって受け入れようとする。アマリアから、平時可愛いと思っている少女からの言葉なのだからと。
「ええ。……本当に正直な方」
「はは……」
噛み締めるように言われたら、ヨルクは苦笑するしかない。やりきれなくなった彼は前髪をかき上げた。
「正直で、―優しい方」
「……?」
アマリアからの言葉に、ヨルクは髪から手を離した。崩れた前髪が、揺れる。
「良いではありませんか。自身を慕う乙女達を守りたい。至極、当然ではないのでしょうか?……それだけの絆が皆様にあるのだと、私はそう思ってますから」
アマリアは、それこそ劇場街を通して知ったことだ。ヨルクが悩める少女達に寄り添ったこと。そんな彼を敬愛している少女達。それは尊いことだとアマリアは思っていた。
「私、やはりあなたを信じたい」
「!」
「そう、思えるようになりました」
―きみ、あの男に騙されているよ。
支配者が何だというのだ。実は引きずり続けていたアマリアだったが、今になってようやく、支配者の言葉から解放されそうだ。ヨルクの優しさを信じたい、と心から思えるようになったのだ。
「……アマリアちゃん」
ヨルクがまっすぐに見つめてくる。甘く見つめてくるというものとは違っていた。いつもとは違う。捕らえるかのような眼差しだった。いつもの柔らかなものではなく、アマリアは戸惑ってしまう。
「……ヨルク、様?」
アマリアはどうしたことか、目をそらせずにいた。ヨルクが何を思って、考えているかはわからない。アマリアはアマリアで動けずいる。そのさなか。
こうしてみると、ヨルクもまた同じ漆黒の瞳の持ち主だと実感する。アマリアのそれより、より深く暗い色であり。―互いが持つ黒い瞳が重なり合うかのようだった。
「……」
このままでは、雰囲気に飲まれてしまいそうだった。アマリアはゆっくりと、瞳を伏せる。
「それでは、ごきげんよう。お力になれることがありましたら、おっしゃってください―」
アマリアは背を向け、ドアノブに手をかけようとしていた。
「……優しいのは、君だよ」
優しい。アマリアは家族からくらいしかだろうか。それほど言われ慣れない言葉だ。そんなことない、とアマリアが遠慮しようとするも。
「……!」
背後を覆う影。ドアに手をついたヨルクが体を寄せてきた。ぎりぎり。ぎりぎりのところで抱きしられるまでには至ってはいない。だが、それも同然の距離だった。
「……他の人にとってなんて、そんなの知らない。俺にとっては、そうだったから。ずっと、そうだった」
「……」
「そうして、俺を受け入れてくれるんだ。―どんな俺でも」
今、彼はどのような表情をしているのか。アマリアは振り返るにも、その勇気がなかった。今、彼の顔を見てしまったなら。さっきのように見つめ合ってしまったなら。もう、瞳をそらすことが出来なくなってしまったなら。
―何かの。何らかの均衡が崩れてしまうような気がしてならなくて。アマリアはただ、動けずにいた。
「……」
「……」
それからの沈黙。時間としては長いものではなかった。それでも、アマリアには永遠とさえも思えてならなかった。
「―それでもって、残酷」
「え」
背後からドアノブを回したのはヨルクだった。そのまま、ドアは開かれる。アマリアは反射的にヨルクの方を向く。そこにあったのは。
「おやすみ、アマリアちゃん」
いつもの表情だった。ヨルクは柔和な笑みを彼女に見せていた。