ようこそ、劇場街へ
「ん……」
アマリアはゆっくりと瞳を開ける。もう朝かと思ったが、やけに目がちかつく。―アマリアはすぐに違和感を覚えた。
底冷えするような朝の空気ではない。ふかふかの布団の中でもない。硬質な地面の感触だ。今、彼女は舗装されたレンガの道にいる。起き上がった彼女の目に入るのは蛍光色のネオンの光だ。ここはどこだろう。
「わ、私は何てところに……?」
周囲に人はいない。そこにあるのは、昏き夜空。だが本物ではない。人工的なものだ。そして立ち並ぶ仰々しい建物達。ここはまさか、とアマリアは蒼白する。遠く聞いた話ではあるが、大人達の夜のお楽しみの場があるという。今、アマリアがいる場所はそのものに思えた。
「か、か、歓楽街?」
どうしてなのか。厳粛なるプレヤーデン学園から、なぜこのような享楽じみた場所へとやってきてしまったのか。そもそも、アマリアはさっきまで眠りについていた。どうした経緯でやってきたのか。彼女は何が何だかわからない。
「ここはひとまず。……落ち着きましょう」
ひとつ深呼吸したアマリアは、周囲を見渡す。まず、人がいないか。強面の人物や色気ある大人の女性でもこの際よい。少しでも情報が欲しかった。アマリアは背筋をまっすぐと伸ばす。咳払いをすると、令嬢である自分へと戻った。幸いなのか、寝る前には外しているウィッグを被ったままだ。ますます現状がわからない。
「……すう。どなたかいらっしゃいますか?どなたか―」
二人組の人影が見えた。相手の様子を窺いながらも、話しかけようとする。近寄ろうとするアマリアだったが、思わず足を止めてしまった。前方を歩く彼らは。
「???」
この夜の街に似つかわしくない青少年たちだった。しかもだ。
今のアマリアと同じだ。プレヤーデンの制服を身につけていた。学生だ。道を行き交う他の人物達もそうだった。中には見覚えのある少女もいた。転校初日に交流はなかったものの、同じクラスの女生徒だ。不自然だろうとそこには目をつぶる。アマリアは挨拶がてら話しかける。相手の前に立って、会釈をした。
「ごきげんよう。わたくしの事、ご存知でしょうか。本日編入しました―」
「……」
目の前に突然現れたアマリアに対しても、反応がしない。隣にいたクラスメイトの友人が問いかける。
「……お知り合いですの?」
「さあ?……どのみち『興味』ありませんわ」
参りましょう、と友人を連れてアマリアの真横を通り過ぎていった。取り付く島もないが、下がるわけにもいかない。近くを通りかかった他の女子生徒にも声をかける。だが。
「すみませんが、急いでますので……」
「何?あなたに時間割いてられないんだよね。それじゃ」
「ごめん、他の人に聞いてくれる?」
誰もが足早に去っていく。この場に生徒達からの情報は厳しいかもしれない。最後にダメ元で話しかけてみる。その少女も急いでいたようだが、足は止めてくれた。
「すみません、私急いでいるんです」
「ええ、申し訳ありません。ですが、どうしてもお尋ねしたくて」
「まあ、少しでよろしければ。本当に急いでるんですけどね」
耳を傾けてくれるだけでも有難い。ありがとうございます、というフレーズすらも疎まれるかもしれない。アマリアは頭を軽く下げて、手短に質問する。
「こちらで何か催しでもあるのですか?どのような?」
彼らの目的を探る事にした。そこから何か手がかりがつかめるかもしれない。相手は不思議そうにアマリアを見ているが、無視はしなかった。
「どのようなって。変な質問……。先輩も『観に』来たんでしょう?」
「みに?」
「って、もういいですか?ああ、始まっちゃう!」
それじゃ、と少女は駆けていった。ありがとうございます、といったアマリアの言葉は届いていないだろう。こうして話が出来ただけも上等だった。人づての情報が無理なら、周囲を探るしかない。
「……みに。見る。―観る?」
あるのは立て看板だ。質素な造りのものにしても。豪奢な異国情緒溢れるものにしても建物一つ一つにご丁寧に設置されていた。立て看板の上部にあるのは星形のランプ七つ。
「こちらは?」
地下へと続く階段があった。そのまま降りていくと、重厚な扉があった。ノックをしても反応はなし。試しに押しても引いてみても何事もない。埒が明かないと思っていたところに、立て看板があった。
今アマリアが確認しているものには、ランプは点灯されていない。その下には、文字が書かれていた。見知らぬ人物の名だ。書かれているのは人物の名だけではない。
「『―嬢の秘め事?』」
何やらその人物の何と共に文章が記されていた。さながら。
「―タイトルロール?」
歓楽街とアマリアは思い込んでいた。だが、酒場も遊戯場も見当たらない。ここは歓楽街というよりは―劇場街といえそうだ。
彼女、歓楽街の知識はあるようです。あくまで人伝程度です。