寮長との同衾
目的地のアマリアの部屋まで到着する。シモンは背負っていたクロエを下ろした。
「えっと。寝室まで連れていくのは、君に任せていい?」
「はい、もちろんです。こちらまでありがとうございました」
そうだわ、とアマリアは抱えていた資料の束に目をやる。目覚めたクロエに渡せばよいとはいえ、それまでは預かることになる。クロエと同時に抱えるのはアマリアでも困難だった。
「シモン先輩。こちらなのですが、一度自室に置いてきてもよろしいでしょうか?もちろん、しっかりと保管させていただきます」
「……書類」
シモンはアマリアよりも紙束の方に注力していた。彼は何かを考えている。やけに深刻そうな顔つきだった。普段見せないような表情だった。
「もちろん、盗み見たりなどしませんから。クロエ先輩の許可もなく」
「―ぬ、盗み見!?そんなの当然だよ!」
「!」
アマリアはびくっと反応してしまう。入学当初から人当たりが良かった先輩がシモンだ。そんな彼から初めて怒号を浴びせられたのだ。
「……あ、ごめん。アタリ強かった。……当然、アマリア様がそんなことするって思ってないからね?」
「さようでございますか……。あの、封をしていただいても?袋や貼るものでしたら、自室にあります。紐で固定でも。いかようにも」
何らかの書類とアマリアは思っていた。クロエの仕事に関するものだと。改めて重要なものなのだと。気軽に預かると言って良いものではなかったのだろうか。
「あ、いや、なんかごめんね?……ごめん、アマリア様」
「いえ、私の方が申し訳ないことを」
「……いや」
シモンは何かを言いかけた。それから黙ってしまったが、彼は書類をもう一度見た。
「……はは。お嬢だけじゃなくてさ、俺らも休まないとね?ここでたむろっているのもなんだしさ」
「ええ、おっしゃる通りではありますね……」
シモンはすっかり普段の笑顔を取り戻していた。アマリアは不思議に思いつつも、いつもの雰囲気に戻ったのならば、蒸し返すこともないと。そう考えることにした。
「―書類、俺が預かるよ。アマリア様は信用できる子だとしてもさ、これ『リゲル』関係のだし。商売に関わることだからさ」
「……はい。では、お願い致します」
クロエの馴染みの相手に、アマリアは書類を手渡した。うん、と満足そうにシモンはそれを受け取った。
「では、どうぞ。クロエ先輩」
ようやく両手が解放された。託されたアマリアは、クロエを丁重に背中に乗せる。シモンの言う通り、クロエは軽かった。やつれてもいる気がする。
「……いや、俺が寝室まで連れってっても良かったんだけど。ほら、君の周りの男子達が、さ?ほら、変に誤解させたくないし?」
シモンはやけにキョロキョロしている。ドアを開けてくれたのは良いが、後ずさりもしているようだ。
「周りの男子……。いえ、たとえお互い懇ろであろうとなかろうと、誤解されるような行動は避けるべきですね。私も同感です」
「だよねだよね。うん、いないね?誰も見てないね?じゃあね、お嬢を頼んだっ」
「ええ、おやすみなさいませ……」
足早に去るシモンを見送りながら、アマリアは呟く。
「男子……。誤解……」
アマリアは首を振った。誰も思い浮かべてなどいないのだと。
「では、クロエ先輩。どうぞ、お入りください」
アマリアは片手でドアを閉めると、クロエをおぶったまま寝室へと向かっていく。
「うう……」
自室に入ると実感せざるを得られない。変わらず底冷えする寒さだった。フィリーナから譲り受けていた石によって、暖かさの恩恵はある。それがなかったこれまで、自分はよく耐えたと。アマリアは一人感心していた。
アマリアは寝室のドアノブに手をかけて、入室する。先にクロエをベッドに横たわらせ、羽毛布団を掛けた。今だけはと石を目につきにくい場所に移動する。一連の流れをやり遂げたアマリアは、ふぅと一息をついた。
「おやすみなさい、クロエ先輩」
自分は毛布にくるまってソファで寝ることにしたようだ。ホットミルクは飲み損ねてしまったが、どのみち寝つけたかはわからない。
「ん……」
「あら」
クロエが起きたかと思ったが、瞳は閉じたままだった。寝返りをうったことにより、布団がずれてしまったようだ。アマリアはそれを直して、退室しようとした。―が。
「えっ」
細腕からは想像できないような力によって、アマリアはベッドに引きずり込まれてしまった。
「えっ。ええと……?」
羽毛布団はまたしてもずれてしまったままだ。アマリアは直すに直せなかった。今の状態はなんということか。
「クロエ先輩、あの……?」
アマリアは今。クロエに抱きしめられた状態だった。寝ぼけているのだろう、とアマリアはそれはわかっていると自身に念を押していた。
「すうすう……」
依然、クロエは寝息を立てたままだ。アマリアを抱きしめたままだ。起きさえしない限り、離れることもなさそうだ。
「……ああ、どうしたものかしら」
これは徹夜続行かとアマリアは諦めかけていた。敬愛する先輩と、いきなり。初めて。同じベッドで寝ることになったのだ。今でも心臓が落ち着かない。
「これでは……」
緊張によって、眠くなることはないのだと。それでもクロエの疲労が減るのが救いとも考えていたが。
「ああ……」
夢うつつなのか。クロエはアマリアの背中を優しく撫でた。そして、伝わってくるクロエの体温。人の温もりに触れながら眠りにつくこと、アマリアにとって久しかった。あれだけ眠れるか不安だったのに。
「すうすう……」
穏やかな気持ちのまま、アマリアは眠りについていく。
『ねえさまー!』
『わーい、みつけたー』
アマリアが立っているのは、実りを迎えた小麦畑だった。夕暮れが優しく辺りを照らしていた。駆け寄ってきたのは、彼女の双子の弟妹だ。アマリアの元に辿り着くと、そのまま抱き着いてきた。
「まあ……」
二人のぬくもりが感じられる。柔らかい手の感触もある。心地よい笑い声もよく聞こえる。それでもアマリアはわかっていた。いくら現実同様の感覚だろうと。―今は夢の中なのだと。
「ふふふ……」
夢だとはわかっていても、アマリアは嬉しくてならない。微笑みかけながら、弟妹を包み込む。
優しい夢だった。
アマリアはゆっくりと目を覚ます。短時間ながらも、熟睡していたようだ。寝起きでぼうっとしながらも、体を起こす。
「おはよう、アマリアさん」
「ええ、おはようございます。クロエせんぱ―」
アマリアはすぐに意識が覚醒した。起き抜けにクロエがいたからだ。彼女はベッドに腰かけている。寝間着姿のアマリアとは違い、クロエは身支度を済ませていた。一度自室に戻ったのだろう。
「なぜ、クロエ先輩が。……では、ないわね」
アマリアは寝る直前のやり取りを振り返った。食堂で眠り込んでいたクロエを、自室で休ませることにしたのだ。そう、回想は正しい。
「色々とありがとうね。私、食堂で仕事の続きやろうってなって。それからの記憶がなかったんだけど。まあ、アマリアさんが連れてきてくれたのかなって」
「さすがです。ご明察です」
「ふふ」
クロエこそ、起きて他人の部屋にいたので訳が分からなかっただろうに。彼女は自力で状況を把握出来ていた。
「私、最近食堂で寝ちゃうことが多くて。いつもだったら、自分で起きて帰ってはいたんだけど」
「クロエ先輩……」
クロエはそこまで疲れているというのか。無理をしているのは確かだ。
「アマリアさん、大変だったでしょ。おぶって階段とか、さ?」
ただ、一人の人物のことは伝わってなかった。
「私は部屋を提供したに過ぎません。シモン先輩がほとんど連れてきてくださったのです」
「シモン君が?」
「はい……」
クロエとシモンは旧知の中だ。日頃の行動もよく共にしている。仲が悪いようには見えない。それなのに、このクロエの反応はどういったものだろうか。
「その、もちろん紳士も同然の扱いだったと思います。クロエ先輩をとても大事にされていて」
アマリアも自信が無くなりつつも、シモンの功績を伝える。そうだ、彼はリゲル商会関連の書類も預かってくれていたはずだ。この事も伝言として残さなければならない。
「そうそう。クロエ先輩の書類もですね。シモン先輩が」
「……シモン君が?」
「……はい」
クロエの表情は無に近しい。だが、喜んでいるとは思えない。何故かはわからないが、アマリアは何かまずい事をしてしまったのかと、不安になる。
「あ、違うの。いや、シモン君にも迷惑かけちゃったなって。それに、持ち出せるくらい大したものじゃないから。別に見られたって、普通に大丈夫なもの」
「そうでしたか。それでしたら……」
「だから、シモン君に見られたからって大丈夫」
「……?……はい」
「あとさ、まあ良くなかったよね。書類、ちゃんと扱わなくちゃなのに」
クロエの反応が不審に思えてしまう。妙に早口でもある。それでも笑顔になったクロエに押し切られるように、アマリアはそれ以上言う事もなかった。
「んー、よく寝た。疲れ、取れた感じ」
ベッドから立ち上がったクロエは、体を思いっきり伸ばす。まともな睡眠をとれたのはわずかだっただろうに、彼女は元気そのものだった。
「……疲れは、取れたんだけどね」
クロエの表情が曇っていた。
「クロエ先輩?」
気になったアマリアに対し、クロエはにこりと笑う。
「……寝ぼけちゃってた。疲れもとれた、の間違い」
「それは良かったです。私もよく眠れました。クロエ先輩のおかげです」
「私の?」
「はい。クロエ先輩が、その、私を。……抱きしめてくださいまして」
思い出し、アマリアは赤面してしまった。最後の方は完全に小声である。ごにょごにょとしか相手には聞こえてないかもしれない。
「私が」
「はい、その、抱きしめました」
「あなたを」
「はい……」
クロエは確認するようだ。そして。
「……うーん。覚えてない!私、完全に寝ぼけてたんだね」
「なんと」
はっきりと答えられてしまっては、アマリアはそう受け取るしかない。
何はともあれ、目覚めはすっきりとしたものだ。クロエを待たせるわけにはいかないと、アマリアは急いで身支度をすることにした。