寮長のうたたね、らしかぬ失態
「ん……」
ふと目を覚ましたアマリアは、ベッドの中でよじろぐ。部屋の中はまだ暗く、夜明けを迎えていないようだ。
「……ふう」
アマリアは二度寝をしようにも、変に目が冴えてしまっていた。彼女は体を起こし、ベッドの横にかけてあったガウンを羽織る。このままでは寝つけない為、寮の食堂へと向かう事にしたようだ。
食堂には明かりがついていた。このような時間で珍しい。どうやら先客がいるようだ。
「失礼します―」
アマリアは小声で声を掛けて、食堂に入っていく。そこで視界に入ってきたのは。
「すうすう……」
机に突っ伏せて寝ているクロエだった。書類を下敷きにしてしまっている。髪はいつもみたく凝った髪型ではなく、緩くまとめられていた。
「……なんと」
クロエがいるのも驚きだが、彼女がうたた寝しているのも珍しい。そもそもいつからだったのか。
「……クロエ先輩?」
「すぴー」
アマリアが遠慮がちに話しかけても、彼女は起きることはない。クロエは大爆睡していた。
「まあ、どうしたものかしら……」
実に気持ち良さそうに。クロエは寝息を立てていた。アマリアとしてはこの睡眠を妨げたくはなかった。かといって、このまま食堂で寝ても体調を崩しかねない。体も冷えているのではないか、とアマリアはふと思ったが。
クロエの背中にかけられていたのは、カーディガンだった。それも、彼女の体格よりもかなり大きめサイズのものである。これはクロエの私物とは考えにくい。
「……!?そこにいるのは誰だ!?」
「!」
クロエに寄り添おうとした時だった。罵声が飛んできたので、アマリアはびくついてしまう。
「はっ!?わ、わたくし、アマリア・グラナト・ペタイゴイツァにございますが!決して、決して、クロエ先輩に害をなすことなどは!」
反射的に姿勢を正して、アマリアは名乗り上げた。クロエはこの大声でも起きない。
「君だったのか……」
険しい顔つきの男子生徒がやってきた。彼の強張り続けていた表情も、大分安らいでいく。そして、人好きのする笑顔へとなっていった。
「あれ、アマリア様?君、どうしたの?」
「……あ、ごきげんようシモン先輩。私は気分転換に参りました。その、お久しぶりでもありますね」
アマリアは相手の男子生徒に挨拶をした。シモンと呼ばれた彼は、寮の先輩であり、またアルブルモンドからの留学生だった。クロエとは同郷だ。
「……あ、うん。俺、ここんとこ寝込んでいたから」
「ええ。お加減はいかがですか?」
「うん、すっかり良くなったよ!」
「さようでございますか。それは何よりです」
シモンの朗らかな笑顔にアマリアも微笑む。
特徴である金色の髪は短く切り揃えられており、健康的なおでこが拝める。くっきりとした緑の瞳はいつも笑んでいた。また、かなり大柄な生徒であり、学園の生徒の中でもかなり長身の部類だった。
クロエの親族が経営している『リゲル商会』に、彼の家族は属していた。クロエに付き添うかのように、この学園にもやってきたのだ。立場の差、身分の差はあれど、クロエとは仲良く過ごしているようだ。
「……」
それでもアマリアは気にはなっていた。彼はどうも顔色が良くない。本当は本調子ではないのに、アマリアに気遣ってだろうか。問おうにも、本人が平気と言っている以上、アマリアも触れられる話でもなかった。
せめて、無理はしないようにとクロエに頼むくらいだ。
「俺も気分転換しつつ、お嬢を回収にねっ?―あ、回収とか言っちゃった。お嬢、怒るかな?……怒られちゃうかなぁ、俺?」
「その、言い間違いでしょうから」
しょげる彼に対し、アマリアはフォローを入れようとするも。
「い、いいんだ……。お嬢に、怒られた方が……。俺も学習するわけだし……」
「さようでございますか」
「そうそう……。お嬢が、叱るんだ……。あの可愛い声でさ……。『もう、シモン君?なに言ってくれてるのかな?ちゃんと教え込まないと駄目かなぁ?』って」
「は、はい……」
「教育されちゃうからさぁ!お嬢に!」
恍惚しきったシモンは、眠るクロエの近くで声を張り上げた。気のせいか、クロエがうなされていたような。―アマリアはフォローを取消したくなっていた。
ある意味、いつものシモンだった。クロエに従順でさながら忠犬のようだ。従順過ぎるからか、クロエからの叱責も嫌な顔をしない。むしろ、満更でもないようなのだ。
そんな彼はクロエの犬、とも称されていた。犬が好きなアマリアは複雑だった。彼らの忠義心を揶揄されている気がしてならなかったのだ。
「……はっ。お嬢、風邪引いちゃうよなっ。俺さ、お嬢を探しにきたのは本当なんだぜ?―お嬢、すぐ無理するからさ。……まあ、俺も体調崩した身でもあるし」
「……ええ、それはまあ、そうですね」
アマリアもその通りだと思った。人には無理するなと言ってくるが、クロエも大概であると。このシモンもそうだ。
「で、案の定。お嬢、寝落ちしてたわけで。お嬢の部屋に連れてこうとしたけど。……鍵、ないんだ。お嬢、落としちゃったのかな。寮母さん起こすのもあれだし」
シモンはアマリアにお願いする。軽くでいいからお嬢を探ってくれないかと。異性のシモンだと限界があるようだ。アマリアも失礼がない程度に探すが、彼の言う通り、クロエは鍵を携帯していないようだった。
マスターキーとなるものは、寮母と寮長であるクロエ。他にもいるかもしれないが、アマリアが想像つくのはその二人くらいだ。ともかく、クロエの自室へは連れていけない。
「……だからさ。……その、俺の部屋?連れてこうとしたんだけど。そのつもりで部屋の片づけも軽くだけどしていたわけで?」
「な、な、な……」
しどろもどろながらも、顔を赤らめるシモンと驚愕するアマリア。時間帯関係なく大声出しそうな発言だったが、アマリアは動揺の方が勝ってしまったのだ。夫人を自室に送り届けるならまだしも。自分の部屋へ連れて行こうとしたというのだ。
送り狼という言葉は、アマリアがこの学園に来てから知ってしまった言葉だ。しかも学園の生徒の噂話からである。クロエ達が信頼関係があるのは承知の上とはいえ、人間魔が差すということもある。しかも、相手はこの可憐な美少女だ。妖精と見紛うほどの。
「違う、違うよ、アマリア様!きっと誤解してるってぇ……」
「え、ええ……。信じておりますとも、信じて」
「……絶妙に目そらすの、やめてくれない?」
そうシモンに指摘されても、アマリアは机の方に視線を向け続けていた。書類達は小さい文字なので、ここからは内容は把握できない。というより、プライバシーもあるのでジロジロ見るものでもないか、とアマリアは視線を戻した。
「ほら!アマリア様が来たならさ、それもそういう流れだったんだよ。―お願いっ、お嬢を泊めてくれないかな?」
「わ、わた、私の部屋にでしょうか?」
耳を疑うような内容だったが、目の前の先輩は本気で言っているようだ。アマリアは慌てふためく。思ってもない事態だった。そんな後輩をシモンは指摘せずにはいられない。
「……なんで、俺より動揺してるかな?ほら、二人なら同じベッドでもいけるでしょ」
「お、お、お、同じベッド!?―はっ、し、失礼しました」
今回は大声を出さずにはいられなかったが、アマリアは口元を覆う。いっそ、これでクロエが起きてくれればとも思うが、彼女は目覚める気配はない。
「……ええ、クロエ先輩もお疲れでしょうから。休んでいただけるのでしたら、ぜひ」
防寒対策もフィリーナから譲り受けた『あるもの』で大丈夫だろう。アマリアの方が緊張で眠れない気が。いや、気がじゃなく、ほぼ確定だろう。だが、クロエの為だとアマリアは納得した。
「ただ、クロエ先輩。驚かれるでしょうから。いざとなったら、説明のご協力を願うかもしれません」
「んー、確かに。お嬢びっくりするだろうね。でも、嫌がらないと思うよ?だって、アマリア様のこと大好きじゃん?」
「!?」
アマリアは衝撃が走った。『大好きじゃん?』というフレーズが脳内でぐるぐる回り続けていた。
「あれ、自覚ない?結構デレてると思うぜ?……もちろん、フィリーナ様にも。だね?」
「―え。はい。そうですとも。そうです」
有頂天になっていたところを、一瞬で現実に引き戻された。それでも、嫌われているよりは絶対良い。話はこのへんにして、アマリアの部屋に連れていくことにしたようだ。
「そうそ、アマリア様の部屋は大丈夫?いや、片付いているイメージはあるけどさ。うん、もちろん」
「ええ、お気遣いありがとうございます。面白味はない部屋ではありますが、清潔であることを心がけておりますので」
「そっかそっか。……あ」
眠る少女をシモンは背中に背負う。アマリアがカーディガンを掛けた後に、シモンは何かに気がついたようだ。
「……それ、片付けて持ってきてくれる?」
「こちらの資料でしょうか?はい、かしこまりました」
アマリアは机の上の紙を束ねて、両手で抱える。それなりの量があった。クロエの仕事に関するものだろうか、内容は決して見ないようしていた。
「……?」
不自然に目を背けていたのはアマリアだけではない。シモンだった。
「お嬢の重みがぁ……。って、軽いね。お嬢、ろくに食べてないんだろうな。よし、今日の朝食は俺も作ろうかなっ」
いつものが発動するかと思いきや、シモンは真面目であった。その声音からして、クロエを心配する気持ちは本物であると。アマリアはそう思った。