出発前のひととき①
時間を潰そうと思ってやってきた寮の居間。先客達がいた。ソファで並んで座っている男子生徒達。彼らもまた、アマリアにとっておなじみの二人だった。
休日ということもあって、彼らは制服姿ではない。私服である。いや、私服なのかとアマリアは目を疑っていた。その恰好に触れるべきか見ないふりするか考えていたところ。
「あっれ?アマリア先輩もフィーも。まだ出かけてなかったんだ。ま、オレらもだけど」
思いっきり背もたれにもたれかかっている、もたれかけ過ぎている少年。
レオン・パロクス・シュルツ。短めの黒髪や朗らかな笑顔が人に爽やかな印象を与える。騎士の養父を持ち、教育と訓練を受けてきた。だが、普段の当人は騎士道もへったくれもない。改まる場でもなく、休日でもないとはいえ、だらけにだらけきっている。
一時は学園の人気者であった彼だ。ある一件がなければ。
―もう一人の『キミシマ レオン』の存在。隕石症でもあったレオンだったからこそ、認識して、そして出逢った存在。そんなキミシマがレオンを乗っ取り、ひと騒動を起こしてしまう。シュルツ家のレオンが処罰の対象になってしまうほどだった。
双方のレオンの力を借りて、アマリアは四つ星という想像だにもしなかった公演をも乗り切った。
この騒動の後、レオンの人気は地に落ちた。ほとんどの生徒からの恐怖の対象となってしまったのだ。当人も気にしてないわけでもないが、持ち前の明るさとノリをもって日々を過ごしているようだ。
「ほらー、見てみ?このエディ君の眠りっぷりを」
レオンが指したのは隣で寝息を立てている少年だ。
さらさらの金髪に、端正な顔立ちが過ぎる中性的な少年。今は閉じられている大きな瞳も、吸い込まれそうな緑色をしている。
彼はエドュアール・シャサール・シャルロワ。愛称としてエディとも呼ばれている。異国の特徴を持つ彼は、隣国アルブルモンドからの留学生だった。
ちなみにアマリアの一個下にあたる。レオンもフィリーナもそうだ。アマリア、と堂々と呼び捨ててくるフィリーナもまた、後輩なのだ。
「あら、気持ち良さそうに寝ているわね。……いえ、失礼」
アマリアは微笑ましそうに彼の寝顔を見つめていた。だが、すぐさま自身を律する。殿方の寝顔を不躾に見るものではない、ましてや自分は婚約者がいる身だと。
気持ち良さそうに眠るエディから目を背けつつ、アマリアはこれまでを振り返った。
エディはアマリアの恩人であった。編入したばかりの頃、慣れない生活もあった。舞台での孤軍奮闘もあった。何もかもに打ちひしがれていたアマリアだった。そんな彼女の救いとなって、導き出してくれたのがエディだった。
「……」
彼がいるのが。彼を見ているだけで心が温かくなるのは。―自分を救い出してくれた大切な存在だから。アマリアはそうだと考えこんでいる。
アマリアにとってのエディ、大切な存在ではある。だが、そこに恋慕の想いはないはずだと。ただただ、大切だから。だからこそあれこれ心配せずにもいられないと。
「ああ、エディ。あなたという人は……」
そう、アマリアは心配していた。そして、嘆いた。落胆したともいってもいいかもしれない。
レオンが口にした通り、彼らもまた出かける予定があった。人付き合いが得意ではなかったエディも、ここ最近は人と関わるようにしているようだ。陽キャのレオンに引っ張られている節もあるが、エディ本人もそれが嫌ということもないようだ。
アマリアは寂しくないわけではない。それでも人と関わろうとするエディを応援したい、という気持ちが強かった。良い傾向だと思っていたのだ。
だが、本日の彼はどうだ。この熟睡っぷりだ。これは夕方、いや夜までも起きてこないという可能性さえ出てきた。だろうね、とレオンも思っているようだ。彼は言う。
「あー、こりゃ起きないかな。一旦脱いどくかな。くそ重いし」
「ええと、そうね。かなりの重装備だこと」
「そりゃね。がちがちに着とけって。パイセンたちがね」
さっき、アマリアが触れるのに困っていた彼らの恰好。それは、防寒具だった。相当着込んでいる。
「……」
どこにいこうというのか。鬱屈とした雰囲気の学園なれど、腐っても名門校。そのような頑強な恰好でどこへ赴こうというのか。疑問顔のアマリアに対し、レオンはしれっと話す。
「あれ、オレらの行先言ってなかったっけ?」
「ええ。聞くのも失礼かしらとも思ったけれど」
「そ?まあ、寮長だけにはバレるなっと。でも今日は出かけてるみたいだし。言ってもいいけど」
「まあ。……ええ、まあ」
話題に上がったのは、新月寮の寮長である。小柄で可愛いらしい少女が寮長を務めている。可憐な見た目に反して圧がすごいと、怖れられてもいた。アマリアは色々あってこの寮長のことを崇拝しているが、心のどこかで恐ろしく思っているのもまた、事実だった。
「知りたい?オレらの行先」
「うん、知りたい知りたい」
ぐいぐいときたのはフィリーナだ。好奇心の塊でもある彼女としては当然といえた。
「ま、いいけどね。―『山』、だよ」
「山、ですって?」
レオンも特に焦らすこともなく、さらりと答えた。対するアマリアは怪訝そうな顔をしていた。山。新月寮は山頂部に近しい位置にある。いや、この学園そのものが山中であるともいえた。
「あー。山奥?なんか、奥の奥?そこに探検に行くというか。先輩ら、開拓してるんだって。代々、新月寮の伝統なんだってさ。まだまだ未踏の地もあるとか?」
「なにそれなにそれ気になる」
瞳を輝かせたフィリーナは、かなり興奮していた。
「へ、へーえ?けれど、危ないのでは?許可とか、問題ないのかしら」
アマリアもそわそわしているのが隠しきれてない。口ではこう言っているが、自分も参加したい感が見え見えだった。
「ふーん?アマリア先輩も参加したいん?」
「い、いえ?私は心配しているだけよ?」
「ふーん」
「……正直、楽しそうだと思ったわ」
「っと、素直だねー。いんじゃない?」
バレバレだったようなので、アマリアは自白した。
「で、この重装備。……つか、この男よく寝てられんな」
体力が余り余っているレオンでも、ずっと着ていられるわけではない。そのような恰好でも熟睡しているエディをジト目で見ていた。
「起きないね、エディ」
「ええ、本当ね」
フィリーナもアマリアも彼の寝顔ではなく防寒具に目をやっていた。安定した寝息が聞こえてくる。大爆睡だった。
「起きねー。―つかさ、二人は制服なの?こう、ドレスドレスしたカッコだと思ってた」
「うん。レオンたちみたく重装備じゃないよ」
「そりゃわかるって。いや、いっそこれで行ってみてほしいけど」
「わたしも構わない。うん、反応が楽しみ」
「すげー度胸。いや、オレも気になるけどね」
フィリーナとレオンの軽いやりとりが始まった。波長が合うのか、放っておくとこの二人はずっと話していたりする。
「うーん。でも今回は制服なんだって。不平等にならないようにって。あくまで気楽にいこうって。わたしもそのほうがいい。アマリアもそう思うよね?」
「ええ、そうね。私もよ。制服が一番だわ」
「ふふん、やっぱり。アマリアはそうだと思った」
学園側が用意してくれるのは、制服だけではない。晩餐会といった催し用の豪奢なドレスや、礼装。貴族や富裕層に相応しい服装。そうしたオーダーメイドも受け付けてくれているようだ。
「ええ、私達は学生ですもの。学生には学生に相応しい恰好をですね?」
「えー、私服見てみたいけどなー。なんか、新月寮ってさ。ラフな私服たくさんあるじゃん?」
「ラフ、ですって?」
アマリアはなんのこっちゃと思った。レオンもどう説明した方がいいか、と彼にしては珍しく詰まっているようだ。それでもレオンなりに説明する。
「こう、なんていうか。お嬢様とかが着るというよりは、こう着やすいっていうか。着倒せるというのかな。ここの寮の人たち、絹のパジャマとか着てないじゃん?なんだろ、ここでいうと新し過ぎるというか。こういうとこじゃ着ないだろ、的な」
「未知の服装、ということ?」
「それだ、フィー!『ここ』だとそんな感じ!」
助かった、とレオンは笑う。フィリーナもなんの、と笑う。
「なるほど。未知の服装ということね。―はっ!」
以前の自分の服装をアマリアは思い浮かべる。『月初の市』にて、部屋のクローゼットに用意されていたのは、ニット素材のワンピースだった。見慣れないデザインだったが、アマリアはシンプルに可愛いと思えたものだった。当時、浮足立っていたこともあり、いそいそと着替えたのだ。
月初の市。―それは月初めに外部から商人がやってきて、専用の通貨で購入が出来るという、大半の生徒達が待ち望んでいる催しである。
「……」
リンクするかのように、月初の市に関わる騒動をアマリアは思い出してしまった。目の前のレオンが大きく絡んだ騒動だ。
だが、わざわざ触れることもない。アマリアは元々の会話に意識を戻す。
「……わたしの部屋にも用意されていた。……うん、可愛いお洋服たち」
「まあ、いいわね」
フィリーナならどんな服装も着こなせてしまうだろう。レオンではないが、アマリアも着こなす彼女を見たくなった。
「……うん、有難いんだ。うん、どなたかが用意してくれたのなら嬉しい」
「ええ、そうね。……そうよね?」
フィリーナはやけに反応が薄いというか、困惑しているというか。彼女は時々、こういうところがある。何とも言えない時はそう返してくるのだ。アマリアまでもつられるかのような反応をしてしまった。
「まだ起きないか。こりゃ、今日は起きないパターンかなぁ。まー、こんな休みもありかなぁ」
レオンは隣の眠り男をつつく。やはり起きない。