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アマリアの中の婚約者

積もりに積もった雪道を歩く。勢いはやんだものの、雪はぽつりぽつりと降り続けている。長い階段を昇り続けて、ようやく山頂へとたどりついた。どうしてこんな辺鄙な場所に建てたのか、と恨み言をいうクロエも押し黙る。そして、綺麗と呟いた。

「……こんななんだ。私達が暮らしている場所は」

「ええ……」

 そうみない景色であった。山頂から見渡すのは白い雪に包まれた学園だ。空も白み始めている。―じきに夜が明けてしまう。

 歩き続け、ようやく着いたのが旧劇場。

「そんな……」

 アマリアの目の前にあるのは。―建物の残骸だった。燃やし尽くされたそれは、朽ち果てていた。痛ましいその姿に目をそらしたのはクロエだ。

―旧劇場跡。彼の姿などあるわけもなく。

「アマリアさん……」

「……」

「ほ、本当にもう!あの乙女達も知ってたんじゃないの?それこそ、フィリーナ様とか。それならそうと言ってくれればいいのに。そしたらさ……」

「……」

「こんな目の当たりにすること、なかったじゃない……」

 アマリアはただただ見つめていた。こうして目を凝らせば、彼が見つかるのではないかと。―いるわけが、なかった。

「……寒っ」 

 クロエは体を震わせた。山頂の空気はよく冷えた。いつまでもこうして留まるわけにもいかない。寮に帰って温かい紅茶でも飲もう。賑やかしが必要だったら、スーザン達を叩き起こそう。―だから帰ろうと。努めて明るくクロエが提案しようとした。

「……いらっしゃいますか?」

「……アマリアさん?」

「そちらに……、いらっしゃいますか?わたくしです、アマリアです!貴方に会いに参りました……!」

 アマリアは自身の胸元を手繰り寄せる。そして、叫び続ける。自分はここにいると。あなたに会いに来たのだと。

「ねえ、そこにいるのでしょう……!?お願い、答えて!ねえ、―!」

 彼の名を呼ぼうとする。呼ぼうとした。呼びたいのに。

「そんな……」

 アマリアは口元を押さえた。―彼の名前が、出てこない。自分までも。自分までもが彼を忘れてしまうのか。アマリアは青褪めてしまう。

「そんなの嫌……。嫌よ!」

「―さん!」

「絶対嫌……!」

「アマリアさん!落ち着いてって!」

 大声で呼んだのはクロエだ。その声にアマリアは引き戻された。クロエはあやすようにアマリアの背中をたたく。

「……落ち着こ?―あなたにとって大切な人だってのはわかる。でも、ここにはいない。……わかるよね?」

「……」

 アマリアは静かに首を振った。彼の記憶が薄れていくのを感じ取っていた。じきに自身も彼の記憶が消えてしまうだろう。ここが、最後の希望だった。

 意地でもその場から動きそうにないアマリア。クロエはゆっくりと語りかける。

「……あのさ。あなたがいう大切な人だってさ、アマリアさんの事心配しているよ?相手だってアマリアさんの事好きなんでしょ?」

「……それは、いかがでしょうか」

「え」

 クロエは小さく驚くが、のち納得した。親同士が決めた婚約者だ。恋愛関係はないのかもしれない。これは聞いてもよい話だろうか。話させてよいものだろうか。

「あのね、アマリアさん?……別に今話さなくてもいいんだよ?」

「……聞いてくださいますか、クロエ先輩。少しでも話してないと、忘れてしまいそうで―」

 何を忘れるというのか。その疑問は今問うべきではないだろう、とクロエは言葉を待つ。今更素知らぬ顔もできなかったのもあった。

「決められた婚約ではあります。それは両家の約束によるもの。わたくしが、相手方が望む条件を満たしていたから。そういった理由です」

「ええー……」

 まさしく政略的なものではないのか、とクロエは辟易した。まあ、貴族の婚姻に愛が伴わないのは何も珍しくはない。

「いえ、違うのです。とても優しい方でした。頼りがいもあって、皆の心を晴れ渡らせるような、太陽のような方でした。幼い頃から、わたくしは彼を慕っておりました。そんな方だからこそ。―恋をしたのだと思います」

「そう……」

 クロエは納得する。あれだけの熱量があるのも、ちゃんとした理由があったのだ。だが、まだ何かあるようだった。

「……初恋の相手、だったのです。報われる事はありませんでした。わたくしなりにもっと足掻けば何かが変わるかとも思いました。でも敵わないな、と諦めるに至りました。もうわたくしの心では整理がついてます。……結構時間はかかってしまいました」

「……」

 婚約者には他に思いを寄せた相手がいたのか。クロエはそう受け取った。アマリアはただ悲しそうに笑った。

「ねえ、アマリアさん。……それでも、会いたいんだ。それでも」

 彼とはずっと婚約者のまま。そして、一生添い遂げるのだろう。それでいいのだろうか。アマリアもそうだが、婚約者の彼もだ。

「はい。―それでも会いたいです。わたくしがあの方の幸せを願っているには変わりありませんから」

 アマリアの顔は穏やかだった。クロエはふう、と息をついた。

「そっか。まあ、お互い納得してるんだし。私が口出す事でもないしね。……まあ、事情はわかったけどさ。無理は禁物だからね。それこそ相手に会えなくなったら困るでしょう?」

「ええ、クロエ先輩のおっしゃる通りです」

「そう、先輩の言う通りなの。そんなにしてまで会いたいんだからさ。会って、たくさん話したいことだってあるんでしょ?」

「……いえ、伝えたい事は少しばかりです」

「……そんな、積もる話あるじゃない。彼だって、ほら、色々と変わってるかもだよ?」

 年月が人を変えてくれるかもしれない。他に思い人がいるようだが、彼だって心変わりするのではないか。年頃となった彼女は美しく成長している。意識もするのではないかとクロエは考えた。

「……生憎、意思が固い方なのです。変なところで頑固で。きっとそれはないでしょう。そのような方ですが、伝えたいのです」

「……アマリアさん?」

 不気味なまでにアマリアは穏やかだった。この静けさは何なのか。

「……本当に幸せになれる相手と幸せになってって。今のままだとあなたは後悔するから。ね?」

 短いでしょう?と笑われてもクロエは戸惑ってしまう。

「それを告げらたら、ようやく終わらせられる。いつまでも踏み切れなかったわたくしとも、これでおさらば」

 軽いあしどりで、劇場跡に踏み入れた。そして、くるりと一回転。芝居じみた動きだった。

「―彼に愛されて、わたくしも心から愛する。彼と幸せな家庭を築ける未来。それもあったかもしれない。けれど、諦めて投げ出したのもわたくしだから」

 長い黒髪が風にたなびく。このウイッグさえあれば、令嬢として振る舞うことが出来る。素の朴訥な自分などどこにもいない。きっと、彼の前でも笑っていられる。笑顔で振る舞える。彼の幸せを祝福する事ができるだろう。

「せめて、彼の本当の幸せを望みたいのです。―その結果が婚約破棄だとしても。もう彼の婚約者としていられないとしても」

 クロエは無言のまま見守っていた。どう声をかけたらいいのかわからなかった。

「夢、か……」

 アマリアは黎明の空を見上げる。あの黒鳥の乙女が告げた事は偽の話だったのか。振り出しに戻ってしまったのかもしれない。それでも、それだけは諦めたくなかった。

「夢のような日々でした。……でも、もう目覚めなくては」

 淡く、アマリアの胸元が光る。光源は隠し持っていた婚約指輪だ。

「ああ、こちらもですね……」

 これも手放さなくてはいけない。モチーフの雪の結晶は二人だけの思い出だ。けれどいつまでも持っているわけにはいかない。

「―お付き合いくださって、ありがとうございました」

「……もう、大丈夫?じゃあ、戻ろうか」

「はい。―今宵はよく眠れそうです」

 気持ちを吐き出した事もあり、アマリアの表情も少しは明るくなったようだ。もうほぼ夜明け前だけど、とクロエが茶々を入れた。もう、とアマリアは笑った。

 二人は新月寮までこっそりと戻ってきた。他の寮生達を起こさないようにアマリアとクロエは静かに別れた。

 自室に戻ったアマリアは寝間着に着替えた。就寝準備をしてからベッドに入る。自身が思った以上に身も心も疲れきっていたようだ。

「……まだ、諦めない。明日からまた頑張らないと。おやすみなさい―」

 いつもは枕元に置いている婚約指輪がかけられたネックレス。だが、アマリアは手のひらでそれを包み込む。今夜は触れながら眠りたい気分だった。そのまま瞳を閉じた。

「すう……」

 アマリアは徐々に眠りに落ちていく。

 雪の結晶が淡く光る。その事をアマリアは知らない。

 そのまま深い眠りへ―。

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