たのしい楽しいお菓子作り
ある休日。
「ふふーん」
ご機嫌なアマリアの前にあるのは、熟した果実らだった。彼女の故郷の名産品でもあった。籠の中に入っていたそれらを手にする。
極寒の地にそびえ立つプレヤーデン学園。山頂近くにあるのは新月寮。アマリアがお世話になっているところだ。調理場を借りてアマリアは調理に勤しんでいた。朝食の準備を終えた後なら好きに使っていい、ということだった。
艶やかな黒髪は、肩よりも短く切り揃えられていた。漆黒の瞳は父親譲りであり、はっきりとした目鼻立ちは母親譲りだ。背もそれなりに高いので、姿勢正して調理をしているとより高く思える。
きつい印象を与えがちで、生まれ備わった迫力は担任教師も怯ませたほどだ。そのような少女だった。
「ええ、良い焼き色」
焼き上がったのは果実を練り込んだパウンドケーキだ。一番の自信作である。そして、果実を乗せたシフォンケーキ。果実のムース。
「ふんふんふん」
アマリアは張り切った。張り切るに張り切った。久々のお菓子作りということもある。それも、故郷の慣れ親しんだ果実を扱えるのだから。菓子作りに必要な材料達もそう。『とある筋』から入手したそれらは限られている。一応ぎりぎり足りる分量ではある。
「ええ、有難いわ」
このような機会を与えられたのも。とある茶会に本日、アマリアは招かれたからだ。やれ胃痛だの、やれプレッシャーだのあったが、根底には嬉しさがあった。
「まずはこちらを分けて、包んで―」
お茶会の時間までには余裕をもたせつつ、仕上げられるところまではやっておいた。お世話になった調理人達へのお礼の分を分ける。色々と助けてもらったこともある。そして、日頃の感謝も込めて。
「ふふふふ、いいわね」
そして、焼き立ての菓子類が調理台に並ぶ。培った家事能力が役立ったと、アマリアは得意げだった。伊達に幼い頃より家事をこなしてきたわけではない。貴族の令嬢とは名ばかり、彼女の暮らしはほぼ庶民そのものだったのだ。
「ええ、よくやったものよ。私は……」
そう長年の経験によるものである。アマリアは誇っていいはずだ。なのにどうしたことか、アマリアの表情は曇る。ある存在が頭によぎってしまったのだ。
「……いいえ、よくやったのものよ私!ふふん、完成よ」
アマリアが得意になったまま、完成を宣言する。言い聞かせてない。言い聞かせてなどいない、と当人は必死だった。
「出来たんだ、アマリア」
と、同時に調理場に入ってきたのはおなじみの少女だった。
顔を覗かせる、そんな何気ない仕草も何もかもが愛らしい少女。そんな彼女はフィリーナ・カペラ・アインフォルン。
生まれ持った愛くるしさ、長い手足にすらりとした体つき。整った顔立ちの持ち主である。名門侯爵家の息女であり、教養も豊かである。そんな彼女だからこそ、学園の生徒中から憧れられている。
かつては学園の一大勢力を誇っていたのだ。今では大人しいものだが、彼女を慕う生徒は多くいる。最近はとっつきやすくなったこともあり、よりファンが増えているのだろう。フィリーナの雰囲気は柔らかいものとなったのだ。
アマリアが学園に編入した当初、彼女の優しさは感じ取りつつも、暗い表情が気がかりであったのだ。
フィリーナもまた、夢の中の劇場街。舞台の上で晒されることになってしまった。フィリーナを苦しめていたこと。―隕石症。隕石症が起因して親友を傷つけてしまい、偽りの令嬢をも演じることになってしまった。
舞台を通じて、アマリアは彼女と心を通わせられた。無事だったからこそ、今こうして彼女といられるのだ。この現実に。
「……」
アマリアには感慨深いものだった。浸っていたいところだったが、目の前のフィリーナが不思議そうにしている。きょとんとしている表情も愛らしい。隕石症に苦しめられたということもありはするが、何もかも恵まれた少女といえた。
「ええ、お待たせ。あなたにも試食をお願いしたいの」
「うんうん。あとは時間まで居間でゆっくりしよう」
フィリーナも本日のお茶会に招かれることになっていた。というのも、主催である女生徒達からの要望でもあった。
『憧れのフィリーナ様と、この機会に話してみたい』
フィリーナも快諾した。そうした経緯で彼女と共に赴くことになったのだ。
当然、フィリーナも自分で作ることになった。
『お菓子作り?やったことない。アマリア、教えてください』
そう、当初はそう言っていた。しかもだ。教えてください、と言ってはいたが、アマリアが教えたのは本当に基礎的なことだけだ。『なんかできた』
『なんということでしょう……』
アマリアはすぐに認識を改めることになった。
フィリーナは最早、初心者ではない。手際の良さと生来の勘の良さで、次々とお菓子を作り上げていく。それも見た目も見事なものだった。
『はい、あーん』
味を見て欲しいと、フィリーナに手を添えながらスプーンを差し出される。にっこりと微笑まれて口元まで運ばれる。弟妹相手ならば出来るが、同世代の同性相手にそのような機会はそうそうなく。そんなアマリアが躊躇するのも無理がなかった。
『え、ええ。いただくわ。ごちそうさま』
だが、フィリーナはアマリアにとって大事な友人でもある。覚悟を決めたアマリアは口を開く。アマリアは照れを残しつつも、受け入れる。ぷるんと揺れるプリンを口に含む。
『な、なんということでしょう。見事過ぎるわ……!』
味までもが完璧だった。さらりとフィリーナはやってのけるのだ。そう、初心者はそこにはいない。いないのだ。アマリアは正直に認めていた。自分を凌ぐ菓子作りの腕前であると。
「―いえ、私も覚悟を決めるのよ。さあ、フィー。召し上がれ」
アマリアはパウンドケーキを取り皿に乗せ、フォークを添える。フィリーナは首をかしげる。流れ的に自分も口に運んでもらえると思っていたようだ。彼女は心のままに質問する。
「あれ?あーん、は?」
「あーん、は……。もう少し修行をしてからね」
人からもそうだが、さらに自分からとなると。アマリアにとってとてつもなくハードルが高かった。
「修行。わかった。わたしも相手になるね」
「ああ、フィー!あなたという子はっ!」
「えへへ」
アマリアは感極まったあまり、フィリーナの頭を撫でまわした。フィリーナも顔を綻ばせている。満更でもないようだ。
フィリーナは否定することも笑うこともない。『修行ってて何。急に何』と真顔で訊いてくることもない。『修行て。まあ、いんじゃね?いやいや偉いんじゃない?偉い偉い。知らんけど』と適当な扱いをしてくることもない。
「この流れ。テンション。あーん、いける……?」
「うう、ごめんなさい……。まだ心の準備が出来てないの」
「むう……」
アマリアは頭を撫でるのを継続しつつも、それはそれと答える。フィリーナも軽くむくれはするも、仕方ないと流した。お礼を言って、アマリアのを味見した。
「おお、美味しい。うん、もっと食べたい」
「そう?良かったわ」
フィリーナは気遣っているわけではなく、そのままの感想を口にしてくれているようだ。アマリアは胸を撫でおろした。その間にフィリーナは完食する。もっと食べたそうにしていたくらいだ。
アマリアも調理を終えたことで、二人揃って食堂の片づけを行った。心ばかりの綺麗さとお茶菓子を添えて。そうして彼女達は食堂をあとにした。
時間には余裕がある。アマリア達は寮の居間でくつろぐすることにした。