プロローグ⑧ 彼との脱出劇
思い出すのは満天の星空。二人でこっそりと抜け出して見上げた夜空。―そこに至るまでひと悶着があったのだけれど。
『マーちゃん、むちゃだよ。わたし、じぶんでおりるから』
『むちゃじゃない。おまえひとりくらい、どうということない!』
夜風が吹きつける中、館の窓から身を乗り出しているのは幼い子供達。小さな彼、私の婚約者はなんということか。幼少の私を背中に乗せたまま、垂らした布を伝って下りようとしていたの。
ああ、確か。以前に怒られたわね。裏口から出ようとしたのが見つかってしまって。だから、窓から脱しようと思いついたみたい。
窓からの脱出。無茶がある。私、さすがに今ほど図体は大きくないけれど。それでもひと一人背負うのは無理があると思っていたわ。思っていたのだけれど。
『ほら、いくぞ』
『わっ』
彼は造作もなく私をおぶると、軽やかに下りて行った。お互いの体がやけに密着し、安定していた。見事なものだこと。
『ほら。おてをどうぞ』
『わあ……。マーちゃん、ありがとう。マーちゃんって、やっぱりすごい』
着地後のエスコートまで完璧だった。素直に讃える私に対して。
『だろうだろう。そうだろう!』
彼は相当気分を良くしたようだ。胸を張って高笑いしていた彼を見て、幼い私は絶えず賛辞を送っていた。今思えばよくバレなかったものだわ。これだけ騒いでおいて。
ひらけた草原まで到着すると、二人して寝転ぶ。並んでいっせいので夜空を見上げる。私達のお気に入りの場所だった。
『きれい。ねえ、マーちゃ―』
いつものように星のお話、神話を語ってもらおうとしていた。そんな私の手に転がっていたのは球体の謎の物体。
『そ、それは!』
慌てて飛び起きる彼。彼の大切なものだろうと、私も体を起こして彼に手渡した。
『!』
『!』
お互いの手がくっつく。中々離れない。不思議そうにしている私に対し、焦っているのは彼だ。彼の方から手を離すと、互いに自由になったよう。
『マーちゃんのひみつどうぐだ』
目を輝かせている私とはうってかわって、彼はひたすら気まずそうだった。
『……その、あれだ。おまえをおぶることくらいかんたんだ。でも、たかいところからおりるとなると、あんぜんせいをだな?』
『うん』
『……ほら、あれだ。おれだって、もっとおとなになったら。おまえをかかえるくらいは』
『うん、そうね!』
『……ほんとうだぞ?』
彼にしてはやけに所在なさそうだった。幼い私は念押しをした。
『うん!マーちゃんはゆうげんじっこうだから!マーちゃんなら、きっとできる』
『ゆうげんじっこう。……まあな!』
彼はようやく満足そうに笑ってくれた。相当気まずかったみたいね。
『ゆうげんじっこう、しってたんだなー。アマリアはかしこいなー!』
彼も彼で褒めちぎってくれた。頭を撫でまわされた私もまた、嬉しそうにしていた。
『わたしも。じぶんでおりられるようになりたいわ』
『いや、それはいい』
『えー……』
張り切る私は、あっさりと反対されてしまった。不満そうにしていた私だったけれど。
『ぐぬぬ、アマリアだからな……。こっそりとやられるよりかは……。おれがずっとつきそっていればまあ……』
『やった』
彼は折れてくれた。まずは自分が出来るようになったら、という条件付きであったわね。
『……』
『……』
なんとなく黙る。そんな二人は座り込みながら、二人は体を寄せ合っていた。いまや夜空ではなくお互いを見ていた。
『ほんとうだからな。もっとおおきくなったら、アマリアのひとりやふたり。ひょいひょいだからな?』
『もう、マーちゃん。わかってるから』
とことん気にしていたみたいね。笑ってみせる私だったけれど、彼の顔はいたって真剣だった。
『ほんきだからな。おとなになったら、おまえをかかえあげて』
『……?』
『さらっていく』
怖いくらいだった。
『……マーちゃん?』
『……いや、いまのは』
私の声が震えていたのに気がついたのか、彼の方こそ狼狽していた。
不安そうにしている。素直にそう感じ取っていたのは、幼い私。
強くて、賢くて、誰よりも恰好良くて。そんな彼が時折見せる弱さ。昔の私は、ただ彼の支えになりたかった。幼いなりに、語りかける。
『……さらうひつようないよ?わたし、マーちゃんのおよめさんになるのに』
『!』
『ずっと、マーちゃんのもの。ずっとそばにいるから』
『ずっと……』
彼は笑うことはない。ただ、手が繋ぎ合わせてくる。
彼は有言実行の男。きっと実行してくれたのでしょう。
成長した彼と、ずっと。
ずっといたはずなのだけれど。それこそ、彼が学園に入学するまでは。
ただ、それ以前が。彼の入学前の時期が。どうしてかしら、曖昧なの。
ずっと。ずっと、一緒にいたはずなのよ。
私は彼のもの。―彼も私のもの。
それって。それは、本当にそうだった?ずっと?本当に?
ああ。
頭痛がする。思い出そうとすればするほど、不鮮明になっていく『あの頃』。
ああ、頭が痛い。
お久しぶりです!
今回もお読みくださりありがとうございます!