黒い、黒い瞳の色
『―ヨルク様?温室にいらっしゃるわよ。……私もだけど、なによりヨルク様がよ?今回の件心配なさっていたのよ。早く安心して差し上げるのよっ!』
放課後になると、アマリアはヨルク派の乙女に頼み事をしにいっていた。今回のストーカー騒動が落ち着いたことにより、週末のお茶会に参加し直したいと願いでたのだ。二つ返事で承諾してもらえたので、今度はヨルクにも話をすることにした。
「……そうよね、その通りだわ」
今回の件で、ヨルクにも力になってもらえたり迷惑もかけたりした。その件の話もある。そして―。
「……お話、しておきましょう」
夢の中で思い出した。そのようなこと、ヨルクに言っても信じてもらえるかはわからない。ヨルクに笑って思い違いと言われるかもしれない。それならばアマリアも笑って詫びるまでだ。妙に緊張しながらも、アマリアは温室へと向かうことにした。
アマリアは温室の前に立つと、扉の札を見て在室を確認する。深呼吸を何回も繰り返して、それでようやく。アマリアは扉を叩く。
「失礼致します。わたくし、アマリア・グラナト・ペ―」
「うん、知ってる。それ懐かしいな」
アマリアが名乗り出る終える前に、ヨルクが扉を開けて招き入れてくれた。
「ヨルク様!此度はお話がありまして、お伺いしました」
「うん、そんな気してた。どうぞ」
温室に設けられたテーブル席に案内された。ヨルクが座るのを待つが、それだけで時間が長く経過しそうだった。軽く笑ったヨルクが椅子を引く。アマリアは恐縮するも。
「俺にとっては役得だから。それとも、お膝に抱っこしようか?」
「いえ、それこそ恐れ多いですから!では、恐縮ではありますが」
引いてもらった椅子にアマリアが座ると、ヨルクも奥から紅茶とお茶菓子をもってきた。至れり尽くせりだ。アマリアはこれはもう素直にお礼を言うことにした。
「あら」
顔なじみの黒い小鳥が近くまで飛んできた。フィリーナの愛鳥だ。温室に遊びに来ていたようだ。アマリアに挨拶をしたあと、ヨルクの肩に止まって頬ずりをする。主までとはいかないが、ヨルクに対して随分と懐いているようだ。気が済んだのか、小鳥は飛び立っていく。木の枝で体を休めていた。主の迎えを待っているようだ。
「とりあえず、話。それがあって来たんじゃないかな」
「は、はい。まずは勝手なお願いではありますが、お茶会の話でありまして。やはり、参加をさせていただきたく存じまして」
「ああ、そうだね。もちろんいいよ。彼女達も歓迎してくれるだろうし」
「はい、誠に有難いです……」
一度は取り消したことなのに、ヨルク達は温かく受け入れてくれた。アマリアは嬉しいながらも、申し訳ないという気持ちもあった。
「もちろん。君にも沢山働いてもらわないと、だね。力仕事頼みやすいから」
「はいっ、もちろん!」
「ふふ」
「……あっ」
ヨルクがそう言ってくれたことで、アマリアの心が軽くなった。まんまと乗せられたともいえる。
「ヨルク様……」
目の前で温かく笑ってくれるヨルクを、アマリアもまたまっすぐに見つめる。
「―果物の叩き割りなど、なんなりとお申しつけください。ご存知ですよね?」
「……ああ、うん」
ヨルクは、そういえばと苦笑いした。アマリアはアマリアで苦しい。夢の中の、しかも他人の舞台で思い出したのだから。正々堂々と取り返した記憶ではない。
「思い、出したんだ」
ヨルクは感情を表に出さず、アマリアに問う。アマリアの出方を伺っているようだった。
「……はい」
歓迎、されてないのだろうか。思い出したことを、ヨルクは実は喜んではいないのだろうか。
「ヨルク様、遅くなりました。とあるきっかけがありまして、私が自力でというわけではありません。ですが、思い出したのです」
「……うん」
ヨルクは喜びも悲しみも、怒りもしない。ただ、アマリアの言葉を待っていた。
「……その、ご事情がおありでしょう?ですので、お答えづらいところはそのまま、聞き流してくだされば。それで、思い出したと申しますと」
「……待たされるの辛いな。いいよ、早く言ってくれて」
「は、はい」
表情は変えないまでも、ヨルクの口調は焦っているようだった。いや、苛立ちも含まれていたかもしれない。
「失礼しました。……学園入学の数年前でしょうか。―行商にいらしてませんでしたか?黒いローブを羽織っておられて、お顔までは覚えてないものでして」
「……え」
「ヨルク様?」
ヨルクは目をぱちくりとさせていた。アマリアにはよくわからないが、これは喜んでいるとも悲しんでいるとも。先程のように怒っているわけでもないようだ。
「ああー……。そうか、いや、そうだね。はは、そっかそっか。ははは……」
ヨルクは前髪をかき上げて、一人で笑っていた。呆気にとられているアマリアを見ると、謝る。
「ごめんごめん。まあ、俺も言えば良かったね。ただね、お忍びでもあったから。それでも君相手なら言ってもよかった、けど。ほら、あれだ!どうせなら君から思い出して欲しかったというか!」
妙に矢継ぎ早にだった。
「さようですか」
「そうそう。……そうだね、武者修行みたいなものかな。一応護衛はいたし。確かにそう、あの港町に行商に出てたよ。そのあと、北上しつつ都へって感じで。……あの港は、訳有の船も迎えいれてくれるから」
「そのようないきさつだったのですね」
「うん、そうだよ」
大国の王子が寂びれた港町にやってきたのは、かなりの驚きである。アマリアも内心はかなり驚いてはいるものの、感慨深い思いも同じに抱いていた。
「そのようにして、私達は出会ったのですね。申し訳ない事に本当に初めてお会いした時のことは覚えてはいないのです」
「……うん」
「それでも、交流は思い出せました。助けてくださったり、気遣ってくださったり。ええ、今と一緒ですね」
「……」
「……忘れてしまっていたのですね。共に笑って、時には理不尽さにも一緒に怒って。それでも私はすっぽりと記憶が抜け落ちたかのように、忘れてしまっていたのです。申し訳ありません、ヨルク様」
アマリアは瞳を伏せた。相手が自分のことを覚えていなかった。その辛さをヨルクに味わせてしまったのだとアマリアは後悔する。
「アマリアちゃん」
「……!」
今度こそ触れられた。そっと、ヨルクはアマリアの頬に触れているのだ。アマリアは思わず相手を見る。
「無遠慮でごめんね。それでも、触れずにはいられなくて」
「そ、そうおっしゃられましても」
ヨルクの顔も思った以上に至近距離であった。こうして近くでみると、よりヨルクの顔は整っているのだと思い知らされる。漆黒の瞳の色もまた際立っていた。
「……そう、『あの頃』からずっとそう。俺の想いは変わらない。俺は誰よりも君を愛しいと思っているし、―誰よりも君に救われたんだ」
「……それは」
アマリアは瞳をそらす。フェルスの言葉を借りるなら、顔見知り程度の関係のはずだ。学園での期間も短い。ヨルクにここまで入れ込まれる理由、それがアマリアにはわからない。アマリアはそらした瞳を、もう一度戻す。
「……」
ヨルクの瞳はどこまでも深い闇の色をしている。アマリア自身も黒い瞳を持つが、こうも深淵を覗き込むようなものであるだろうか。
「ヨルク様……」
アマリアに対する温かみは本物だと信じたかった。それでも、ヨルクの瞳を見ると信じ切れない自分もいる。―深い深い漆黒の色。まるで、『何か』を覆い隠しているかのような。
「……ははっ、っていってもさ。どの口がいうか。そんなとこだよね」
「!」
ヨルクの笑い声に意識を引き戻される。目の前のヨルクは既にいつもの彼だった。
「ああ、お茶冷めちゃったね。でも飲むよね?」
「……!ええ、いただきます」
その紅茶は故郷の味がした。
一応はヨルクとの過去は判明したようです。